だから「空気読め」が厭になる

http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2006/04/post_343.html
「空気読め」を悪とする意見への反論として書かれたらしいが、これでは逆効果にしかならないような。
結局この人は、自分の患者を救うために他へ犠牲を強いている。そのために「空気」を利用する-----それこそは空気読め反対派が最も嫌うことだ。
満足のゆく結果を出すためには決定的にリソースが足りていないであろうことは認める。それを公平に分配していては結局すべてが悪くなるだろうことも。
だとしても、強引にリソースを奪うことが正当化されるわけではない。それは単なるエゴであり、エゴの押しつけは通常「悪」と認識される。「空気読め」=悪、という構図は全く崩れていない。
また、この例では空気を読んでいるのではなく読ませているにすぎず、その意味でも「空気を読む=圧力に屈する/読めない方が得」だとさえ思わせてしまうことになる。


医療に限って言えば、患者の望む「腕のいい医者」のイメージとは「政治的手腕でリソースを奪って来る人」ではなく「技術的手腕で少ないリソースをなんとか補ってしまう人」である。
医療に振り分けられるリソースそのものを増やすためには政治的な手腕が必要だろうことは理解できる。でもそれは政治家の役目、或いはその政治家と直接交渉に当たる上の人の役目であって、現場で医療に当たる医師が発揮すべき能力ではない。