はだしのゲン閉架問題を整理する

松江市教育委員会が小中学校の図書室にある「はだしのゲン」を閉架に置き、閲覧には教諭の許可を必要とする措置を下したことが報じられ(→荻上チキ氏のはだしのゲン閉架騒動について - Togetterなどに経緯取材のまとめがある)、巷では様々な反応が見られた。
この件は複数の問題を含むため、その論点も様々に散り、些か話が錯綜した感もある。ちょっと要素を整理してみよう。

「閉架に移動させる」ことの意味

閉架は「閲覧を申請しないと読めない書架」である。一般には、破損や紛失の可能性を低くする目的で貴重な資料などを収めておくことが多い。あるいは破損が酷い書籍を修復のために収めるようなこともある。

翻って松江市教委の通達を見ると、「全小中学校の図書室にある『はだしのゲン』を閉架に入れ、教諭の許可なく閲覧できないようにする」とある。これは「貴重な資料だから」でもなければ「破損しているから」でもなく、「児童生徒に見せないようにするため」の閉架収蔵だ。
もちろん、建前上はあくまで「許可を受ければ閲覧できる」ことになっているのだが、そもそも閉架への移動措置の理由が「暴力的な描写、残酷な描写があるため子供に見せるのは望ましくないから」だとされたものに、そうそう許可が出るだろうか? 実際、校長通達で閲覧許可を出さないとした学校もあるようだ。
だいいち、子供たちが「書棚にない」本が閉架にはあることを知って閲覧申請を出すだろうか? 「閉架にはある」ことをどうやって知るのか。目に見えるところにない本は、存在しない本に限りなく近い。

はっきり言えば、これは「禁書」扱いである。ただ「閲覧を禁じる」「所蔵を禁じる」では問題になりかねないから、あくまで「閲覧できないわけではない」としつつも、実質的な運用としては閲覧禁止状態に置く、そういうことだ。しかし教委としては「閉架にしろと命じただけ」と閲覧許可が出ないのは学校の問題と言い逃れできるし、校長としても「子供に見せるのは望ましくないと言われたので不許可とした」と言える。
「他の図書館などでは読める」というが、単に図書館への命令権がないだけである。市教委の意図するところが「子供の目に触れさせない」であることは明白で、どう見ても表現の自由への侵害に当たる。

ただし、表現の自由は強い権利ではあるが、一切の規制を受けないものでもない。規制に足る条件が整っているならば、判断は間違っていないと言える。
では次に、その辺りを見てゆこう。

「禁書」化の理由

直接の理由としては「首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断、ということになっている。もちろんこの2箇所だけということはないだろうが、要するに「残酷・残虐な描写」を子供に見せることの是非、というわけだ。
現状、法的に表現内容を元にしたゾーニングが行なわれているのは性描写のみである(これについても、本来「これが描かれていたら駄目」のような明確な線引きはなく、個々には猥褻の要件を満たすかどうかを判断するのだが)。それ以外の描写については「業界の自主規制」はあっても、ゾーニングを要請する明確な基準はない。ただし地域によって条例などで定める「有害図書」指定はあり、特に東京都の「東京都青少年の健全な育成に関する条例」は(大手出版社の大半が東京に社を構えることもあり)影響著しい。

ところで松江市に於ける「有害図書指定」関係の条例は市独自のものではなく島根県の条例に準じるようだが、それを見ると「内容が青少年の性的感情を著しく刺激し、粗暴性を著しく助長し、又は残虐性を助長し、その健全な育成を阻害するものであると認められるときは」有害指定する、とある(PDF:島根県青少年の健全な育成に関する条例)。
これ、「はだしのゲン」には当てはまるんだろうか。例えば「女性への性的な乱暴シーン」というのは(ちょっと例示する先がアレなのだが)正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現 はだしのゲンの貸出し禁止を松江市教委が小中学校に要請・嘘八百の愚劣極まりないプロパガンダ漫画の中の「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊をひっぱり出したり」「女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺したり」あたりではないかと思われるが、これ「性的感情を著しく刺激」するシーンだろうか? 嫌悪感は著しいと思うが。もちろんこれらは「粗暴」「残虐」なシーンではあるが、「粗暴性や残虐性を助長する」ものだろうか? つまり、「自分もこんな風に人を殺してみたい」とか思わせる描写かどうか、だ。
いやまあ例外的に、そうなる人がいないとは限らない。が、それを言ってしまえばどんな「健全な」作品にだってその可能性は否定できない(実際、世の中には考えもつかないようなことで性的感情とかを著しく刺激されちゃうような人もいるので)。が、「僅かでもあれば規制せよ」ではなく「多くの青少年が影響される」というのがこの条例の本来的な趣旨だろうと思われるので、この点に於いてはだしのゲンが該当するとはちょっと思えない。

だとすれば、少なくとも松江市教委の判断は「法的にも条例的にも問題ないが規制すべき」という判断だったことになる。言うなれば「明確な根拠はないが規制する」ということだ。

「健全な育成云々」以外でも、青少年に対してショッキングな描写を見せること自体が「虐待に当たるのではないか」といった議論は可能だろう。例えば性的描写については「子供に見せることで精神的な影響を与えるのも虐待である」といった判断が既にあるわけで、暴力的、グロテスクなどの描写についてもそれによるショックが虐待だといった論調は成り立つ。
しかし実際に「残虐な描写」「暴力描写」などが影響を与えるかどうかという点については、明確な根拠と言えるものがなく、単に「可能性がある」のみを根拠として規制が求められているように見えるのは気がかりだ。

また、そもそも根拠もなしに表現に対して規制を行なうのは憲法に反する行ないではないかとも思うのだが、実際にその点が争われた事例「岐阜県青少年保護条例事件」(最高裁判所平成1年9月19日第三小法判決 刑集43巻8号785頁)では「悪書が青少年の健全な育成に有害であることは、既に社会共通の認識になっている」とし、条例に合憲の判断を下している。従って今回の事例でも、はだしのゲンの描写が児童生徒に有害である」との社会通年が成立しているのであれば、同様に扱われるのかも知れない。ただこの判断基準は「社会がそう認識している」であって「有害であると考えるに足る根拠がある」ではない、というのはちょっと引っかかるが。
(いずれにせよ今回の閉架処分は直接的には青少年保護条例とは無関係に行なわれたものであるので、当条例に定める「有害図書」の合違憲に関してはここで論ずるべき題材ではない。)

結論から言えば、現時点では規制に足る根拠があるでもなく漠然と「害があるのではないか」とするのみであり、議論も実証も充分には程遠い状態で、処分はいかにも拙速に過ぎる。

陳情との関連性は

そもそも、この問題は「一市民の陳情」から始まった。当初「はだしのゲンは反日的であり小中学校に置くべきではない」という趣旨の陳情があり、その審議過程で「表現に過激な面がある」ことを理由に「議会ではなく教育委員会で判断すべき」との発言があったため、この陳情そのものについては全会一致で否決されたにも関わらず教育委員会が独自に判断を下したものである。

元の陳情は「却下されて当然のもの」であったために却下されたわけだが、にも関わらず状況としては「陳情が通った」も同然の状態になっている、というのはちょっとマズいのではないか。
もちろん処分に至った理由は別にあるわけだが、しかしどうやら教育委員会は処分を下すにあたり特段の発表を行なっていないようなので、実質的には「陳情が通った」と判断されるだろう(まあ今回はニュースで理由が報じられたわけだが)。
いずれにせよ、はだしのゲンを「反日的」として排除したい人たちは恐らく判断理由などどうでも良く、結果だけを求めると考えられるので「暴力描写を理由に陳情すれば通る」と見れば他自治体でも同様の陳情が相次ぐ可能性は低くない。

結果として、これは「行政が政治問題に関与した」のとほぼ同義だ。もちろん元の作品とて不偏不党ではないだろうが、そのことと「特定の政治思想に基づく表現への弾圧に加担する」こととは別の問題である。少なくとも、陳情内容をよしとしなかったのであれば、その後の処断については慎重を期す必要があった筈だ。

はだしのゲン:閲覧制限 前教育長、教育委員に諮らず決定- 毎日jp(毎日新聞)
松江市教育委員会の決定ですらなく教育長個人の裁量だったらしい……「私も全巻を読んで性描写のショックが大きく、簡単に子供が閲覧できる状況にしてほしくなかった」個人的な好悪のみで決めてるとしか思えない。
まあ、改めて話し合われるようなので、あとはその結果待ちだが……「これだけ全国的にも話題になっている」からというのも情けない話ではある。