あなたの戦国時代はどこから?

社の健康診断でもっと運動せよと言われたので、数年ぶりに位置情報ゲームを始めた。
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あまり歴史に詳しい方ではなく、特に戦国時代には明るくない。そのため戦国大名の名前を見てもいまいちイメージできないので、せめて主要な武将ぐらい知っておこうかと思った。

で、まずは戦国時代の主な流れを調べようとしたところで、実は私のイメージしていた「戦国時代」はその半分以上が戦国時代ではなかったことに気付かされた。

戦国時代はいつからいつまでか

時代というものは後世になって論じるために作られる区分であり、明確な定義のあるものではない。何らかの変化が訪れ、「それ以前の時代とは明確に区分すべき」という主張が生じた時に、その変化が始まった時期を区切りとするわけだが、しかし歴史とは常に以前の流れから連続しているものであって、変化もまた一度に発生するわけではなく、したがって「どこを変化の始まりとするか」には諸説ある。

戦国時代について言えば、室町時代の終わりによって始まるという点では共通認識が形成されているものの、では「いつが室町時代の終わりか」というとなかなか難しい:というのも、室町幕府将軍足利家は弱体化しつつも長く存続していたからだ。

室町幕府が名実ともに消失したのは1573年、織田信長が第15代将軍足利義昭を京都から追放した時ということになるが、しかしそれよりずっと以前から幕府は形骸化しており、各地の大名らは幕府の支配下になかった。そのため実質的には、第8代将軍足利義政の時代に次期将軍の座を巡り幕府を二分して応仁の乱が始まった1467年頃、もしくは第10代で後継者問題が再燃し幕府が再分裂した明応の政変1493年頃を実質的な室町幕府の瓦解と捉え、戦国時代の始まりとする見方が一般的であろう。以降5代ほどにわたり、室町幕府は実質的に武家を掌握できていない。

始まりはそれで良いとして、では終わりはというと、こちらは概ね安土・桃山時代の開始とする見方が一般的のようだ。
安土・桃山時代とは織田信長が安土を本拠とする政権を築いた時代と、豊臣秀吉が桃山を本拠とする政権を築いた時代である。織田信長は前述の通り15代将軍を追放して室町幕府を消失せしめて京と将軍を巡る長い争いを平定、豊臣秀吉は天下統一を成し遂げており、これは確かに大名らが群雄割拠した戦国時代が終わったということができよう。
つまり信長が足利15代将軍義昭を擁し上洛した1569年、もしくはその義昭を追放し室町幕府が完全に終焉を迎えた1573年あたりが戦国時代の終わりと考えられており、歴史的用語としての定義では「戦国時代」とは概ね1467あるいは93〜1569あるいは73年の76〜106年間ほどを指すものということになる。

あなたの思う戦国時代とは

さて、学術的な「戦国時代」はひとまず定義できたとして、では実際に「戦国時代の大名」を、あなたはどれぐらい思い浮かべることができるだろうか。何人もの名前が出てくるとして、彼らが戦国時代の100年間のどこで活躍したのか、ご存知だろうか。あるいは「戦国時代の合戦」を、あなたはどれぐらい思い浮かべることができるだろうか。
歴史に詳しくない人でも教科書や、あるいは歴史もののフィクションなどでいくらかは触れたことがあるだろうが、これらが具体的に認識できている人はごく僅かではないだろうか。

非歴オタの一般人が戦国時代に触れる機会というのは、歴史の教科書以外ではほとんどエンターテインメントの中に登場する場合だけではないかと思われる。
しかし映画や小説、漫画など様々なジャンルに渡って戦国時代を扱う作品を俯瞰できるデータベース的なものはちょっと見当たらないので、ひとまずデータの入手が容易な範囲を参照したい:ゲームのステージ情報である。

戦国時代をテーマとしたゲームは色々あるが、その中で信長出陣と同じコーエーテクモの「戦国無双」シリーズが、ちょうどシリーズ通してのステージ一覧をデータ化してくれていた。
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戦国無双は元々歴史ウォーゲーム系のメーカーが手がけたシリーズであるためユーザも歴史好きが多めと思われ、その分やや知名度の低い合戦もいくらか登場する。また作品本数が多いこともあって、前作との差別化のために異なる合戦をステージ化するなどにより総計で約110の合戦が採用されており、これではまだ多すぎて「有名な合戦」だけに絞りきれていないため、ここから更に各タイトルでの採用割合によって絞り込みをかけた。
戦国無双はナンバリング5まで、プラットフォームの違いなどにより全15タイトルがリリースされているが、うち戦国無双2は4本目に当たる(3は9本目)。したがって「ほぼ全作」および「2以降ほぼ全作」で登場する合戦については採用率が約80%に達し、どのタイトルでも定番として登場する「有名な合戦」と見做して良いのではないかと考えられる。

以下に、それらの合戦を記す。

戦国時代

西暦 合戦 陣営
1560 桶狭間の戦い 今川軍 対 織田軍
1561 第4次川中島の戦い 上杉軍 対 武田軍

安土・桃山時代

西暦 合戦 陣営
1570 金ヶ崎撤退戦 浅井・朝倉軍 対 織田軍
1570 姉川の戦い 浅井・朝倉軍 対 織田・徳川軍
1573 三方ヶ原の戦い 武田軍 対 徳川軍
1573 小谷城の戦い 浅井軍 対 織田軍
1575 長篠の戦い 織田・徳川軍 対 武田軍
1577 手取川の戦い 織田軍 対 上杉軍
1582 本能寺の変 織田軍 対 明智
1582 山崎の戦い 羽柴軍(織田軍) 対 明智
1583 賤ヶ岳の戦い 柴田軍 対 羽柴軍
1584 小牧長久手の戦い 織田・徳川軍 対 羽柴軍
1585 四国征伐 長宗我部軍 対 羽柴軍
1587 九州征伐 島津軍 対 豊臣軍
1590 小田原征伐 豊臣軍 対 北条軍
1600 関ヶ原の戦い 西軍 対 東軍
1600 長谷堂の戦い 上杉軍 対 伊達・最上軍

江戸時代

西暦 合戦 陣営
1615 大坂夏の陣 徳川軍 対 豊臣軍

お分かりだろうか。
戦国無双に於いて、ほぼ全作に登場するほどの有名な合戦のうち、実際に戦国時代に行われたものはわずかに2戦しかない。大半は安土・桃山時代の合戦であり、大阪夏の陣に至っては江戸時代に入ってからのものだ。
つまり、一般にイメージされている「戦国時代」というのは、実質的にほとんど戦国時代ではなく、安土・桃山時代を指しているということになる。

なお戦国大名の活躍時期についてはリングワールドの黄昏(たそがれ) 戦国武将の生没年表に主要人物の生没年グラフがあるが、この表で左半分が戦国時代である。

位置情報ゲームのためのモバイルバッテリー選び

社の健康診断でもっと運動せよと言われたので、数年ぶりに位置情報ゲームを始めた。
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プレイヤー自身が移動する必要のある位置情報ゲームは、出不精に移動の動機を与える面に於いて非常に優れており、運動不足解消などには適している。
反面、ゲーム内の状況が外的要因に左右されること、逆にゲーム内から外への干渉は不可能であることからバランスコントロールには難があり、展開が単調になりがちで飽きやすいといった弱点もある。事実これまでにプレイしてきたタイトルはいずれも最長半年程度で離脱してしまった。本作はどれぐらい保つだろうか。

さておき、位置情報ゲームを遊ぶにあたり、必然的に生じる問題を解決せねばならない:連続プレイ可能時間の短さである。
GPSで頻繁に測位を繰り返すせいなのか、それとも画面を常時点灯してタッチ操作を繰り返すからなのか、位置情報ゲームは全般に電力を多量に消費する傾向がある。

信長出陣では通信データ量をかなり抑えているようで、1時間の通勤時にかかるデータ量を確認してみたが60MB程度と、通信負担はかなり軽い。なんならAppleMusicなど音楽ストリーミング再生の方がよほど通信量は多い。
また「委任」機能を利用すればプレイヤーが操作せずとも自動で資源回収や領地登録が行われ、省電力モードでは画面も暗くするので電力消費はかなり抑えられる。
それでも、ゲームを遊ぶ以上ずっと委任で省電力モードのままというわけには行かず、たびたび確認し操作せざるを得ないため、どうしても電力の消費は激しくなる。

私はiPad Air4を使用しているので、連続駆動時間は公称で9時間ということになっている。実際、普通にネットなどを使用する使い方であれば1日持ち出してもバッテリ切れを起こすようなことはまずない。
しかし位置情報ゲームをプレイすると、およそ2〜3時間程度でバッテリ切れになってしまう。それほどまでに、位置情報ゲームプレイ時の電力消費は激しい。
自宅周辺などを徒歩で散歩する程度なら十分か知れないが、位置情報ゲームは既に訪れたことのある場所よりも新たな場所へ行った時にこそ沢山の特典が得られるように作られていることが多い。特に信長出陣の場合は「エリアの占領」が主要なリソースとなっており、それには新たな場所を実際に訪れる必要がある。
つまり家の周囲を巡るだけではなくて、なるべく遠出したくなるようにできているということなのだが、となると3時間程度の稼働時間では往路の移動だけでバッテリーを使い切りかねない。
特急車両のように移動中の充電が可能ならば良いが、それでも到着後はそう頻繁には充電できない環境となる。安心のためにも、モバイルバッテリーを携行しておきたい。

必要なバッテリー容量を考える

モバイルバッテリーの選定にあたり、まずは端末のバッテリー容量を確認する。
iPad Air4のバッテリ容量はおよそ7500mAh。miniだと5000、12.9インチのProだと11000mAhほどあるらしい。iPhoneはSEが2000、通常のサイズだと3300、大型で4300mAhほど。端末が小さいほど画面も小さいため消費電力も少なめであり、容量ほどに稼働時間の差はないが、それでも大型端末ほど長時間駆動であるのは間違いない。
プレイした時間とバッテリの残量から時間あたりの消費電力を求めると、私のiPad Air4は容量7500で平均2時間半であるから、1時間あたり3000mAhぐらいを消費している計算になる。

次に、延長したい稼働時間を見積もる。
昼頃に家を出て夕方に帰るとしても5〜6時間ぐらい。朝から出て日暮れまでだとすれば8〜10時間ほど。本体のみで2時間半だとすれば、バッテリーで+3〜8時間ほどを保たせる必要がある。
もっとも、途中で電源を借りられるなら条件は緩和されるし、位置情報ゲームのためだけに出かけるのではなく観光の合間にプレイする程度だとすれば消費ももっと緩やかかも知れず、条件は色々に変わるが、少なくとも2〜3時間程度の延長は欲しいところだ。
1時間あたりの消費電力と、延長したい時間を掛ければ必要な追加電力がわかる。私の場合、1時間あたりの消費量が3000mAhなので、3時間延長するならば9000mAhを充電する必要がある。

モバイルバッテリーには容量が示されているが、実はこれは「このバッテリーが他端末へ給電できる容量」ではなく、バッテリー自身の充電容量である。
バッテリーによる給電の効率はだいたい6割程度とされるので、この容量に0.6を掛けたものが実際に端末へ充電可能な分量となる。逆算すれば、バッテリーの容量は端末に充電したい容量の1.7倍ほどのものを用意する必要があるということ。たとえば3000mAhの給電を行うためにはバッテリーの容量は5000mAhが必要となる。
一般的なモバイルバッテリーの容量はだいたい3000〜5000mAh程度。大容量を謳うものでも10000mAh止まりであることが多い(更に大型な15000〜20000mAh以上のバッテリーも存在するが、相当なヘヴィデューティ向けであり種類は多くない)。また、当然ながら容量が大きなバッテリーほど重量も堆積も嵩み、高価になる傾向がある。

容量以外の機能を考える

上では必要なバッテリー容量を確認したが、バッテリーの性能とは容量だけではない。そのほかの要素も見てゆこう。

給電出力

バッテリー容量が「貯められる電気の量」なら、出力は「一度に出せる量」だ。いかに大容量のバッテリーであっても、出力が小さいと充電はゆっくりとしか増えない。
特に、iPadのように容量も消費量も多い機種の場合、出力が小さいと消費速度に対し充電速度が追いつかず、ぜんぜん充電できない場合もある。

細かい話はさておき、雑には「出力のW数が大きいほど高速充電できる」と思えばいい。ただ、バッテリーによっては接続方法ごとに制限が存在する場合もあるので注意。一般的に、USBのポートがType-A(長方形)のものだと出力が低い場合が多く、Type-C(長円形)のポートを利用した方が安心。
なおメーカーによっては出力をWではなくA(電流量)とV(電圧)で表記している場合もあるが、W=AxVなので簡単に計算できる。

バッテリー充電速度

これはバッテリーから接続機器への充電ではなく、電源からモバイルバッテリーへの充電速度。
どこかで電源を借りる場合、外ではバッテリーから端末に充電し、電源からはバッテリーへ充電することになるかと思うが、そうそう長い時間充電しているわけにも行かないので、バッテリー自体の充電も早い方が好ましい。
こちらは「入力」と書かれている場合が多い。出力と同じく、Wが高いほど高速にチャージできると考えて良い。

入力ポート

「モバイルバッテリーへ充電するときにどうやって接続するか」。
USBポートからの充電である場合、「モバイルバッテリーに充電するための充アダプターが別途必要」であることに注意。
ACプラグを内臓しておりコンセントから直接充電できるタイプも存在し、旅先での取り回しではこの方が好ましいが、大容量のモデルでコンセントプラグ内蔵のものは少ない。

パススルー機能

モバイルバッテリーは、自身への充電中には接続した端末への給電ができないことが多い。そのため「モバイルバッテリーを使い切って本体の電源も切れそう」な状況だと、途中までバッテリーに充電しては抜いて端末を充電して⋯⋯を繰り返さざるを得なくなる。
パススルー対応バッテリーは、モバイルバッテリー自体への充電とバッテリーから接続した端末への充電を同時にこなせるので、電源を借りて充電する時などにはこの機能があると頼もしい。

大きさと重さ

外出するのに、荷物はなるべく軽くコンパクトな方がいい。バッテリー容量が多いほど安心ではあるが、そのぶん重く嵩張る。ガチ勢は複数のバッテリーを持ち歩くとも聞くが、私としてはなるべく軽いもので済ませたい。
重さは単に「軽いほど良い」けれど大きさは荷物にもよる。薄型の方がいいのか筒状がいいのか、

発熱

モバイルバッテリーは充電/給電中少なからず発熱する。ほんのり温かい程度ならば良いが、中には触っていられないほど熱くなるものもある。ハイパワーなバッテリーほど熱くなりやすい。
こればかりはスペックに現れないので、使用者のレビューが頼り。

実機レビュー

現在手元にあるモバイルバッテリーは以下の2機種。

エレコム DE-AC07-10000

容量
10000mAh
サイズ
80x90mm、厚さ34mm
重量
260g
出力ポート
USB Type-Ax1(12W)、Type-Cx1(12/20W)
バッテリー充電時間
4.5時間

本体表面ははシボ加工が施されており、滑りにくく、また指紋などが目立たない。
「ELECOM」のロゴを正面とすると、左側面にUSB Type-AとType-Cの2ポート、右側面上端にACプラグ。裏面には「─・・・・」というインジケータが目立たぬよう配置され、残量に応じて光る。電源ボタンは金色で上品な仕上がり。
大容量バッテリーの中では控えめな10000mAh、重量・サイズには余裕を持たせたつくりに思われる。そのぶん動作には安定感がある。
給電は20WなのでiPad用としては出力がやや控えめで(iPadの急速充電は30Wまで対応している)、充電はあまり早くない。とはいえ消費に追いつかないほど非力ではないので十分役には立つ。
使い切った時点での表面温度は45度と、許容範囲。

中国製大容量モバイルバッテリー

容量
15000mAh
サイズ
84x84mm、厚さ30mm
重量
240g
出力ポート
USB Type-Ax1(12W)、Type-Cx1(12/20W)、内蔵ケーブル(Type-C/Lightning)
バッテリー充電時間
4.5時間

メーカー不詳。なぜかAmazoには同じ写真でいくつかのブランド名が存在し、価格もまちまち。レビュー写真を見る限り製品としてはほぼ同じものとは思われるが、表面のプリントが30W°だったり35W°だったりと、細部には違いがある。中身が同じかどうかも保証の限りではない。

本体にはType-Cケーブルが内蔵されている。横向きにLightning端子も飛び出ているのはだいぶ格好悪いが、別途ケーブルなしにも充電可能なのは便利ではある。
側面の端子はType-AとType-Cが1つづつ。Aには出力、Cには入力と書いてあり、バッテリへの充電の際はACプラグかCを使えということなのだろう。実際にはCは充電専用の端子というわけではなく、機器に繋げばちゃんと出力もしてくれる。
電源ボタン上にはインジケータ、7セグ3桁によりバッテリ残量を1%単位で表示してくれるのは悪くないが矢鱈と明るく、充電中は点灯しっ放しなのでちょっとウザい⋯⋯明度を落とす方法を考えたい。

購入時点でバッテリ残量91%で届いた。満充電状態で出荷されているものと察せられる。
そこからACプラグをコンセントに差し込んで、100%になるまで約2時間かかった。充電速度が一定であるとすれば満充電に20時間かかってしまうが、恐らく充電率が低い間は急速に、いっぱいになってくると速度を落とすのだと思われ丸一日がかりということはない。とはいえ、容量が大きい分だけ充電にはやや時間がかかる様子。

iPadの内蔵バッテリ単体での稼働時間とバッテリ接続時の追加稼働時間から充電量を推計し、総容量と比較してみたところ充電できた量はおよそ9000mAh、充電効率が60%とすれば総容量は15000。スペックシート通りの性能を持っていると評価できる。ELECOMのものとほぼ同じサイズで1.5倍の容量というのはなかなか優秀ではないか。

ただし発熱は相当なものだった。放射温度計で表面温度を計測してみたところ55度にも達しており、低温火傷を発生させるに充分な温度であったので注意されたい。

ミラーボーラー「LOVE LIGHTPIA」

お台場で開催されているミラーボーラーのイルミネーションアート「LOVE LIGHTPIA」を見てきた。
lovelightpia.jp

最寄駅はりんかい線東京テレポート駅。もしくはゆりかもめ青海駅だが、会場と駅の間は工事中で動線が不明瞭に感じたので、むしろテレポートブリッジで首都高を超えてお台場海浜公園駅からアプローチした方が良いかも知れない。

点灯時間は18:00~21:00、この時期は18時だとまだ薄明るい。会場入り口には謎の貘。会場が「シンボルプロムナード公園内 夢の広場」だそうなので、この貘はそのシンボルなんだろうか。

まずはミラーボーラーといえばこれ、という感じのある偏光アクリル板による虹色のオブジェに導かれながら進む。

続いて現れるのは、枯山水と蓮の花を模した「ひかりの蓮池」。


中央にあるのは籠に覆われた大蓮「龍ノ栖」。

龍ノ栖とならぶメインシンボル「希望のたまご」は無数の蝶によって形作られた卵。裏側の二重円は瞳のイメージだろうか。


今回は「ミラーボーラー」の名に相応しく、ミラーボールが多用されている。草花を照らす反射光が美しい。


そして会場最奥に鎮座する虹のドームは「美しき星」。こちらは中に入ることができる。当然ながら待ち行列が取り巻いて、一人1分ほどの制限時間付き。要望があれば係の人が写真を撮ってくれる。


内部は色とりどりの光と植物の饗宴で、さながら万華鏡のよう。



開催期間はもうすぐ終了なので、見たい方はお早めに。

永田礼路「螺旋じかけの海」

先日、Twi⋯⋯𝕏上で、「おぞましい設定のSF」というタグが話題になった。
そういう文脈で出すのもなんだが、おぞましい設定を持った素晴らしいSFのことを思い出したので紹介したい。

「螺旋じかけの海」は、元々講談社アフタヌーンで連載されていたテクノパンクSF漫画である。残念ながら2巻までで打ち切られてしまったが、3巻以降は作者の自費出版により5巻で完結している。

作品の舞台設定について明言はないが、登場人物の名前などから日本と推定される。
序盤のニュースなどから、生体工学がかなり発達した未来社会であり、複数の動物を混ぜ合わせた「キメラ」はおろかヒト胚を操作し動物と混ぜ合わせた[愛玩動物]すら作り出されていること、また警察や政府官公庁が企業の言いなりであるらしいことが窺える。
主人公が船で暮らしており、立ち寄り先が水面に突き出したビルの屋上に建てられたバラック群であることから、地球温暖化が進行し海面がかなり上昇しているらしいことがわかる。恐らく居住可能な陸地の減少に伴い地価は高騰、陸地は富裕層のみが暮らす場所となっていること、経済階層が二極化し貧困層はまともに扱われていないだろうことなどが想像できる。いわゆるサイバーパンク(核となる技術領域がサイバネティクス人体機械化ではなくバイオニクス生体工学分野であるためバイオパンクと呼ぶべきだろうが)的な世界設定といえる。


一般にテクノパンクSFでは人体の改変技術が進み、そのことでヒトのアイデンティティが曖昧になった世界が描かれる。またヒトのアイデンティティ境界がおざなりに扱われる理由として、営利主義が行き過ぎて利益のためには法倫理が簡単に踏み躙られるような社会構造が描かれ、ゆえに企業が政府よりも強い力を持っていることが多い。
「螺旋じかけ」世界でもそれは同様だが、特徴的なのは[ヒト以外の生物の特徴を発現した]人間が少なからず存在する点である。なぜそのようなことが生じたのかは最後になって説明されるが、遺伝子工学の行き過ぎが生じた弊害であることは疑いない。
そして階層の二極化や政府の弱体化などによる利益偏重・人権軽視が合わさった結果として、[純粋な人間]を優遇し[ヒト以外の形質が多い]者を排除する優生思想が強まり、非ヒトの形質割合が一定量を超えた者は動物と見做され人権を失う法が成立しており、それを利用してバイオ企業は[あらかじめヒトの形質割合を抑える]ことでヒトの肉体に近い実験体を[製造]したり、金持ちの求めに応じてオーダーメイドの[愛玩用亜人]を作り出している。実に「おぞましい設定」ではないか。


主人公オトはモグリの[生体操作師]である。

非ヒト形質を有する者たちは、発現が進行すれば[処分対象として密告を受ける]ことになる。軽微であっても外観の目立つ者は差別され、陸で暮らしてゆくことは難しく、必然的に水上バラック地域居住者たちは高い割合で非ヒト形質を有する。
多少外見が変わる程度のことならば生存にそう支障はないが、内蔵などに非ヒトの形質が発現すれば健康に影響を及ぼす場合もあるし、また外見のみであっても体表面積の4割以上に非ヒト形質が見られればもはやヒトとは見做されなくなる。
貧民たちの中には警察と通じて密告で小銭を稼いだり、バイオ企業に実験体として売り渡すようなヤクザ者もおり、ゆえに形質の発現を抑制/除去/ごまかしたいという需要がある。
オトはそうした人たちの需要に応え、遺伝子検査をごまかすためにちょっとした生体操作を加えたり、目立つ形質異常箇所を除去するなどして彼らの生存を助けている。
また、オト自身も重度の異種キャリアであり、もはや何が混ざっているのか自身でもわからない、生物との接触や食べ物の成分でさえ形質を暴走させてしまう体質である。彼はその体質を生かして自身を実験体に異種遺伝子の治療方法を開発している。

ヒトとそれ以外の区別が恣意的に線引きされ、ヒトから生まれてもヒトでない者に堕とされる時代。人をヒトとして扱わぬ者たちと、ヒトとして扱われぬ者たちの、どちらが人らしいか。人は生命に、どこまで手を出して良いのか。
おぞましき設定の上にこそ浮かび上がる、真摯で優しいSF。


:書きかけで1ヶ月半ぐらい放置していたのだが、2024年の星雲賞候補作となったそうなのでこの機会にと航海。

三角コーナーのカビに抗う

キッチンシンクの片隅に置かれる三角コーナーは、生ゴミを流し込んで水を切るためのものである。
必然、そこには多量に水分を含んだ有機物が付着し、カビの温床となる。
これをどうにかしたい。

※おことわり:この記事では「どうやってカビを洗い落とすか」の話ではなく「どうやってカビ洗浄の必要を回避するか」の話をしています。


もっとも一般的な三角コーナーは「下半分が目の細かい金網になっているステンレス製」と思われる。我家でもこのタイプを使用してきた。

これは考え得る限り最悪で、金網の目が水切り袋の網から漏れた細かい生ゴミの欠片を絡め取り、そこを起点にカビが増殖して金網をびっしりと覆い尽くす。また金網とステンレス板の継ぎ目部分に段差があり、ここにも生ゴミが溜まりやすい。そのくせ洗おうとすると頑固にこびり付き、ブラシで格闘する羽目になる。
すべり止めのためゴム足になっているのも困ったところで、ここもカビにやられてヌルつく。

あるいはスリットの入った樹脂製三角コーナーを使っているご家庭もあるかしれない。

私は使ったことがないので想像するに留まるが、風呂の椅子などを考えるとこれもカビに悩まされることには違いなさそうだ。


いちおう製品の名誉のために言っておくならば、これは半分以上ユーザの運用が悪い。
そもそも三角コーナーがなぜカビるかと言えば、水気のある生ゴミを入れたまま放置するからだ。なぜ放置するかといえば、コーナーが一杯になる/ゴミ捨ての日になるまで捨てようとしないからだ。
恐らく、三角コーナーに溜め込むのをやめ、ゴミを入れて水を切ったら都度ゴミ袋に移し、三角コーナーを水洗いした後に伏せて水を切っておけば、これらの三角コーナーであってもカビの発生はだいぶ抑えられるだろうと思われる。

が、「ユーザーが小まめにメンテナンスする」ことを前提とするのはフール・プルーフが足りない、という言い方もできる。家事労働などというものは可能な限り労力最小化されるべきであって、三角コーナーについてもメンテナンスフリーを目指すべきであろう。

よって、まずはこれを捨てるところから始めるわけだが、代替案としては以下のような方向性が考えられる。

バスケット

金属メッシュでは細かい網目に残飯のかけらが詰まることでカビの温床になるわけで、目が荒いバスケットならば詰まりようがないのでさっと洗い流せるはずだ。
ただ、金属棒の接点部分など多少の付着は避けられないかもしれない。それでも全面メッシュに比べ挟まる場所自体が少なく、また周囲とは離れていることでたとえカビが発生しても範囲は限局されると期待され、洗いやすさも格段に高まるだろう。

我が家ではこのタイプを導入した。今のところ水切りメッシュの利用では従来製品とほぼ遜色なく(形状が異なるため容積が若干狭くはなった)、カビが覆う気配はない。滑り止めゴムもないのでそこがカビの拠点になる気遣いもなく、たいへん良好である。

銅パンチング

銅イオンはカビの発生を抑える効果があるため、ステンレスではなく銅に変えるだけでも恐らくカビの問題は抑制できる。その代わり錆びるが。
また下メッシュ型よりも段差がなく洗いやすい全面パンチホールタイプにすることで、掃除もいくぶん楽になることが期待される。
とはいえ、これもまた有機物の付着と無縁になるわけではなく、カビ抑制効果もどこまで有効かはわからない。結局、小まめに洗うべきだという点ではそう変わるまい。
できればステンレス三角コーナーとの比較検証がしたいところだが、あまりそういう情報がない。

ひとまず個人の動画で、三角コーナーではなく排水溝の方だが銅に変えて4ヶ月後の事例があるので紹介しておく。
www.youtube.com
変色はするがヌメリはかなり抑えられるとのことで、これはこれで有効かもしれない。

三角コーナーいらず

三角コーナー自体をなくす方向。
もちろん生ゴミの水切りが不要になるわけではないので、水切りネットをかける枠のみを用意し、有機物と接触してカビやすい網上構造部分をなくす思想である。
そもそも洗うべき対象自体がなくなるので洗浄の手間としては最も楽だろうが、その反面ゴミの重量をネットのみで支えるため、ちょっと入れすぎると破れる、枠を支える吸盤が外れるなどのトラブルが予想される。
下面で水切り袋の重量を支える三角コーナーとは異なり、調理/後片付けで生じたゴミを入れたら即捨てるような小まめな運用を前提とした商品と思われ、それが苦にならないようならステンレスのコーナーでも運用できるのでは⋯⋯ という疑念もある。

自立型水切り袋

三角コーナー自体をなくす方向その2。水切りゴミ袋自体に硬さを与え自立できる構造とすることで、洗うべき三角コーナーそのものを除去しつつその役割を代替する。
過去いくつか使用してみたが、設計としては「防水加工された紙袋の底面および側面下方に水抜きの穴がいくつか空いている」または「やや厚手で硬さのあるビニール袋の底面および側面下方に小さな穴がいくつも空いている」というもので、たしかにそれなりに自立はしてそれなりに水は切れるのだが、通常の三角コーナーで使用するようなメッシュの水切り袋に比してだいぶ水捌けが悪く、生ゴミが穴を塞いでしまい内部にいつまでも水分が残りがちであった。
液体成分の少ない生ゴミに限定すればそこそこ使えるだろうが、それだと水切り袋としての意義は薄くなる。率直に述べて、中途半端な商品と言わざるを得ない。
側面の硬さをそのままに、底面を水切りネットと同様のメッシュにするような設計はできないものだろうか。

アニメ最終回のための小田原旅行

アニメの最終回を視聴するためにホテルを予約した。

我が家のテレビは内蔵チューナーが壊れており受像できない。そのためtorneで視聴・録画を行なっていたのだが、これがどうも不調で再生中に読み込めなくなったり映像が止まって音声だけになったり、あるいは音声が消えたりする。
アニメについては本放送に近いタイミングで配信が行なわれることも多いのでさほど不自由なく視聴できていたのだが、愛妻の追い掛けていた深夜アニメがどういうわけか最終回だけ変則的な配信形態を取り、「TV本放送の直後にまずはキャストの対談番組を(最終回を視聴した人を対象に)配信し、その後に最終回を配信する」ことになったらしく、ネット配信組は「ネタバレを聞いてから最終回を見るか、ネタバレ配信を飛ばして最終回を待ち、それから遅れてネタバレ配信を見るか」を迫られる形となった。ファンと一緒に盛り上がるには些か不自由しそうなやり方だ。
そういうわけで、最終回をTV放送でリアルタイム視聴するためにどこかに泊まろう、ということになった。

TVさえあれば良いので近場のビジネスホテルとか、なんならネットカフェとかでもまあ良いのだが、どうせなら「日帰りでも良いが若干遠い」小田原の街歩き謎解きを兼ねて宿を取ることにした。

小田原 謎解き街歩き

realdgame.jp
小田原駅から始まる謎解き街歩きは、各地のSCRAPリアル脱出ゲーム店舗の他、小田原駅東口から直結する地下街「HaRuNe小田原」内の街かど案内所でキットを購入できる。
また同時期に浅草および池袋でも謎解き街歩きが開始されており、ロングラン中の横浜や吉祥寺・下北沢などと併せてまとめ買いすると割引となるキャンペーンも展開されている。

謎の内容には触れないが、難易度は低め、想定クリア時間はだいたい3時間程度である。
ガチの謎解き派には些か物足りなく感じるかも知れないが、東京からの日帰りプレイを想定すると「確実にその日のうちに解いて帰れる」ぐらいのボリュームに収める必要があったということだろう。なお本編の謎とは別に、小田原城および小田原漁港で遊べる追加の謎も用意されている。

途中ちょっと「必要な情報を得るために行くべき場所」がわかりにくいところがあったものの、謎解き自体はスムーズに完了。

観光

謎解きの後は観光。
ただ今回は、アニメ最終回に合わせたため気候・天候を選べず、まだ桜も咲いていない時期かつ雨がちな天気のためにだいぶ絵面が地味なのと、前回行った箇所はあまり撮り直したりしなかったので写真は控え目。

謎解きキット売り場のあるHaRuNe小田原のエスカレーター脇の柱。なんということもない柱だけど、寄木細工仕立てになっている。

駅直結の商業施設、ミナカ小田原。3階はテイクアウト系飲食店のほか、フードコートなどもあり、食事に迷ったらとりあえずここに来てみるのも良い。6階は図書館、上層階はホテルだが最上階の14階は足湯のある展望テラスになっており、小田原城相模湾が一望できる。

これは名物のアジ唐揚げ。

小田原城址を南へ抜けると小田原文学館がある。
この辺りは明治〜大正頃の別荘などが多い地域で、また文豪が多く暮らした地でもある。
文学館は土佐の出身で明治政府の要職にあった田中光顯伯爵の別邸で、サンルームを備えた南欧風の本館を文学館に、また日本家屋の別館が白秋童謡館として公開されている。


このあたりでは他にも複数の邸宅が公開されているようだ。

前回はどこから行けばいいのかわからず断念した海に到達。

古い書店跡。シバタ書店と読める。とても雰囲気ある建物なので取り壊したりせずに利用されてほしい。

宿泊

さて、日も暮れてきたのでホテルへ向かう。
駅すぐそばの「おしゃれ横丁」というブティック街の一角にある、「Posh」という名のホテルである。




www.hotel-posh.com
小さいが居心地の良いホテルだった。朝食はないが軽食(クロワッサン2個、バナナ1本、チーズ、ヤクルト)が供される。WiFiは速くない。

駅舎カフェ 1の1

10時前にチェックアウトし、近くのカフェで朝食。
ここは「大雄山鉄道」という路線の管理事務所だった建物を利用したカフェである。
www.ekisyacafe.com

大雄山鉄道は大雄山最乗寺への参詣を目的として作られた、全長わずか9.6kmのローカル路線である。この建物は鉄道が開通した大正時代のものと思われる。


入口脇の花壇にはコンクリートブロックの大雄山鉄道。

入口すぐに駅舎プリン販売の窓口。壁を鉄道車両に見立て、床には線路が描いてある。

一番乗りだったのでちょっと特別な、古い事務机を利用したテーブルに案内される。もしかしたら事務所時代に使われていたものなんだろうか。

雰囲気良い内装。

壁には古い鉄道備品や写真などが飾られている。

シーズンメニュー「春野菜と片浦レモンクリームのオムバーグ」と、ベーシックな「足柄牛ハンバーグ デミグラスソース」、それにキャラメルシフォンのソフトクリームとカフェオレを注文。




いずれも素晴らしく美味しかった。
次に来たときは鍋一杯のシフォンパンケーキも食べてみたい。

本日最初の客ということでプレートを頂いてしまった。

ほんの一口のおまけだけど嬉しい。

駅舎カフェはこちらの商店街を入ってすぐ、左手の階段を上ったところにある。

とてもお薦めなので小田原を訪れた時は是非、ちょっと並んででも行ってみて欲しい。

帰宅

本当は2日目に熱海にも行こうかと思っていたのだが、最終回で興奮しすぎた愛妻がほぼ徹夜でヘロヘロだったため予定を変更して帰宅。まあそんな時もある。

蒸気装甲戦闘工兵開発史(4):英領サツマ

前史

1854年
クリミア戦争に於いてロシアと対峙している英国は、ロシア艦隊がナガサキに寄港し補給を受けていることを確認、日本幕府に対し対ロシアの局外中立と英国艦隊の寄港許可を求めた(日英和親条約)。これは外交権を持たない英国東インド・中国艦隊司令ジェームズ・スターリングの独断で行なわれたものであったが、後に本国からの追認を得、1858年には改めて日英修好通商条約が結ばれた。条約には函館、神奈川、長崎の開港および食料・飲水・薪の補給、公使館の設置、居住権、および海底ケーブル敷設権が含まれた。

当時の英国は、海底ケーブルの防水に不可欠な樹脂ガッタパーチャの独占により世界規模での通信事業を掌握し、英国領および主要各国を結ぶ電信網を構築しつつあったが、1842年の阿片戦争勝利に伴い南京条約で得られた香港租借地および上海租界への開通は遅れていたため、英領インドから英領マラヤ連邦・英領サラワク(現マレーシア)を経由し台湾、そして沖縄諸島伝いに九州で海底ケーブルを中継させたいという意図があった。
条約締結後、海底ケーブル敷設は急ピッチで進行し、1961年には薩摩まで、1962年には長崎から香港および上海までが通信圏内となった。

第一次薩英戦争

1862年、江戸付近で英国人が薩摩藩大名行列を横切って切り殺された(生麦事件)。英国側はその賠償と責任者の処罰を幕府に求めたが、既に政体として弱体化しつつあった幕府はこれに対し明確な対応ができず、英国は薩摩藩との直接交渉に移った。ここで幕府が主権者としての責任を曖昧にしたことは、のちになって大きく響いてくることとなる。

英軍は艦隊を押し立てて薩摩藩に圧力をかけることで交渉を有利に進めようと企てたが、これに対し薩摩藩は態度を硬化(通訳に当たった福沢諭吉が英国の要求を誤読、現場の責任者ではなく薩摩藩当主の処罰を求めていると誤解したのが一因であったとも言われる)、攘夷を掲げ対立した。
1863年8月14日、英軍側は要求が受け入れられない場合は実力行使に出るとの通告を行い、薩摩藩は開戦不可避と判断、ただちに艦砲の射程圏内と目される鹿児島城を出て、千眼寺境内に陣を布いた。
翌15日未明、英艦隊は湾内に停泊していた薩摩藩の船舶を拿捕する。これに対し薩摩藩は英国の攻撃と見做し湾内7ヶ所の台場に据えた砲台で砲撃を開始。英艦隊の砲よりも劣る旧式砲ではありながら、揺れる船上砲に対し安定した地上砲の利を生かし高精度の砲火を浴びせ、英艦隊は8隻中3隻が中大破という大損害を被った。
翌日、予想外の痛打を浴びた英軍は体勢を立て直し単縦陣を組んで湾内に進入、市街地を砲撃炎上させ、また砲台2ヶ所を撃破する。しかし薩摩藩の猛攻は止まず、上陸戦に移ることは叶わなかった。艦隊の消耗を鑑みた英軍は戦闘の継続を諦めて撤退。

この敗北は海底ケーブルを通じて英国本土に電信で伝えられ、精強たる大英帝国軍が「極東の未開国」を相手に勝利できなかった屈辱もさることながら、海底ケーブル設置拠点たるサツマが外国勢力の排斥を掲げたことは情報戦略的にも重大な問題と受け止められた。英国議会はただちに派兵を決定、1年後の7月初頭、英軍最新鋭の戦力がサツマへ到着する。

第二次薩英戦争

それは異様な船だった。乾舷は水面すれすれにあり、甲板の中央には艦橋が低く蹲まっている。屋根から2本の煙突が突き出し、マストに帆はなく英国旗が翻るのみ。艦橋を前後から挟むのは巨大な円筒、その切り欠きからは2門の砲が突き出ている。
H.M.S.デヴァステーション。アメリ南北戦争に於ける装甲砲塔艦U.S.S.モニターの成功を目にした英国が、急ぎ作り上げた最新鋭の装甲砲艦である。
船体のほとんどを海中に沈め、海水を天然の舷側装甲と為すことで装甲範囲を限定して重量を軽減しつつも防御力を高め、旋回砲塔により少数の大口径砲を柔軟に運用できる。それは最新の戦訓に基づいて設計され、最新の戦術をもたらす、最新の兵装を備えた最新の艦であり、まともな海軍力を保有しない日本へ差し向けるには明らかに過剰な軍備であった。逆に言えば、それだけサツマでの敗北は「大英帝国の威信を傷つけた」わけだ。

英軍はまずアームストロング式後装砲による素早い装填と大口径砲の火力を以て薩摩藩の砲台を粉砕し、海岸に接近して薩摩勢を威圧した。海岸から運用可能な可動砲ではデヴァステーションの射程を逃れることはできず、また敵艦の装甲を撃ち砕く火力がない。
次いで英軍は輸送艦を岸に寄せ、上陸を開始する。

砲艦も異様なら輸送艦も異様であった。乾舷は高く、窓は一つもない。船体は全体として矩形を成し、他の船のように中央を通る竜骨がなくジャンク船のように見えないこともない。その船首からは厚い平板が斜め上方に突き出しており、左右に結び付けられた鎖が後方へと伸びる。
船は真っ直ぐに浜へと乗り上げると、ガラガラと鎖の音を響かせながら船首をゆっくりと下げ始めた。先端が地に着いて斜面を成し、その奥には黒い荷が蹲っている。

その荷は船よりも更に異様だった。人の背丈の倍以上もあるそれは、前後に長い胴の前方から黒い煙を噴き出し、左右に突き出した脚でゆっくりと歩き出した。見ようによっては身を屈めた巨人のようでもある。
全身を黒鉄で覆った巨人が、槍刀はおろか種子島さえ通じない相手だろうことは明らかだった。砲ならば撃ち倒せもしようが、それは沖合の砲船が許さない。
数機の鉄巨人は進路上のすべてを薙ぎ倒し、踏み潰しながらゆっくりとした歩みで薩摩軍の本陣へと迫った。
薩摩藩士は起死回生を期して鉄巨人に肉薄戦を試みた。だがモンティニー蜂窩砲は驟雨の如く弾丸を撒き、近付くことさえ許さない。
わずか数時間のうちに薩摩藩は降伏し、英軍の占領下に置かれた。
これが、蒸気装甲戦闘工兵グレイヴ塹壕戦以外で使用された初めての戦争であった。

戦後

薩摩藩の降伏後、もはや幕府が日本の主権を有していないと見做した英国は同地を薩摩の支配下にあった琉球王国ともども英領サツマとして大英帝国の版図に組み込んだ。
面積こそ小さな領土ながら東シナ海黄海を押さえる場所であり、北太平洋方面への寄港地、またユーラシア北東部方面への海底ケーブル中継地として、英国の戦略的要衝となった。

日本は薩摩を取り戻したがったが、サツマに駐留するグレイヴと砲艦は生半可な兵力では打ち破れない。だが、それに対抗する装備を模索しようにも英国以外にグレイヴを作れる国はまだなく、また艦砲射撃によって制圧しようにも旧式の木造艦では英軍の装甲砲艦になす術もない。
結局、明治政府の樹立後も薩摩の返還は叶わず、サツマはその後長らく英国領として、日本の軍事的意図を制する楔として、また日本と英国の交渉窓口として機能し続けた。軍備の増強を図る日本を抑えるようにサツマ駐留英軍も都度増強されたが、それは現地の負担増加とともに英本国からの資金流入ももたらし、同地の経済をすっかり軍事従属的に組み替えるに至った。かつて同地にて醸造されていた蒸留酒、所謂「泡盛」は英軍の持ち込んだラムに駆逐され、多くの蔵元がサツマおよびリュウキュウにて広く栽培されるサトウキビの廃糖蜜から醸造されるラム酒の製造へと乗り換えた。
また基地から流出する西欧文化を日本政府は警戒し、国境地帯に鉄柵を巡らせ情報の出入りを制限したが、やり取りされる物資の緩衝材などに紛れて持ち込まれる英字の冊子類や国境を超えて届くラジオの電波などは防ぎようがなく、九州南部を中心に徐々に英国文化が受け入れられていった。

塹壕戦のために開発されたグレイヴはその後、機動砲戦力としての側面を強くし、他国のグレイヴ開発が英国に追いつき始めた第一次世界大戦以後はかつての騎兵に代わる独立した機動打撃戦力として運用されるようになってゆく。

なお、最終的に英領サツマがその帰属を日本へと戻したのは第二次世界大戦後、大英連邦の影響力が低下し加盟国の独立脱退が相次いで後のことである。


蒸気装甲戦闘工兵開発史 - 妄想科學倶樂部
蒸気装甲戦闘工兵開発史(2) - 妄想科學倶樂部
蒸気装甲戦闘工兵開発史(3) - 妄想科學倶樂部