あしかがフラワーパーク

日曜日の予定が唐突にキャンセルとなり午後が丸々空いたので、唐突に思い立って栃木県の「あしかがフラワーパーク」へ行ってきた。
あしかがフラワーパーク


関東在住なら名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。主に藤の花で知られる観光地である。
元を辿れば戦後すぐの頃、足利市の大地主であった早川氏が藤を植えた庭を近隣の人にも開放したのが始まりだという。その後、市の都市開発に応じて土地を明け渡し、現在の地に移転。
当時、大藤は樹齢130年、幹回り3.6m、棚面積は600m^2にもなり、そのままでは移植できない。そもそも幹が脆い藤の、幹回り1m以上の大木の移植は前例がなく、数年にわたる検討と1年におよぶ準備の末、1997年にあしかがフラワーパークとして開園した。
この藤は県の天然記念物となっているだけでなく、2014年にはCNNによる「世界の夢の旅行先10」に選定されたそうで、海外からの観光客も多い……のだが、逆に関東民は意外に訪れたことがない場所ではなかろうか。私も初めてであった。

交通

都内からはJR宇都宮線で小山(おやま)駅、あるいは東武日光線栃木駅からJR両毛線に乗り換えてあしかがフラワーパーク駅へ。片道およそ2時間ほどの旅路である。
うちからだと最寄り駅が京浜東北線なので浦和で乗り換えの予定だったが、1分差で便を逃してしまったため到着予定時刻が30分ずれる……と思ったら上りの便で赤羽へ出ると乗り換え予定だった便を掴まえられるのだった。Yahooの乗り換え案内なんで最短でない経路提案してくれないんだ……

古河駅を過ぎ、利根川を渡って小山へ。

小山駅東北新幹線の停車駅でもあり、駅内にはコンビニやカフェもありちょっとした食事には困らない。

両毛線は小山から高崎までを結ぶ単線路線で、1時間に1〜2便程度しか列車がない。またドアは半自動扱い、すなわち「駅に着いてもドア脇のボタンを押さないと開かない」ので、乗り降りの際には注意のこと。
Suicaの簡易改札を備えた駅を出ると、園はすぐそこである(入口までは少し歩くが)。

なお自動車だと多分東北道佐野ICか北関東足利ICあたりからのアクセスになろうかと思う。駅前に専用駐車場がある。

料金

入園料金は開花状況によって異なるため、当日の朝までわからない(最大で2200円)。
なお園内には複数の売店がありソフトクリームや軽食などを売っているが、暑い日はかなりの列ができる。自販機もあるが数が少なく売り切れやすいので、予め飲み物の一本ぐらいは持ち込んでおいた方がいいだろう。

園内

園の入口からもう藤の花が飾られており、入口をくぐって売店も藤にあやかった商品がずらりと並ぶ。流石は藤で有名な場所だけある。

園内に植えられているのは藤だけではない。様々な花が植えられ園内をカラフルに彩る。



とはいえ主役はやはり藤。





この日は紫の藤と薄桃色の藤が盛りを迎えていた。白藤はもう少し遅いようで、咲き始めてはいたがまだ見頃には早い。

そしてこちらがフラワーパークの目玉となる、大藤棚である。


園内にはこの大長藤以外に八重藤、二連大藤と4本の大藤棚がある。

園内にはあちこちに水路が設えられ、橋が架けられている。


また水面に枝を垂れる木も多い。


藤も見事な枝振りに剪定されていたし、これらの樹木も景色として計算されたものだろう。

藤の時期は丁度つつじのシーズンでもある。色とりどりの花が咲き乱れていた。




花といえば桜というイメージがあるが、園内には梅も桜もあまり植えられていない。それでも散り際の八重桜が数本、あたりを薄桃色に染めていた。

綺麗に色を揃えて整えられた、メルヘンのような一角も。



藤の大スクリーン。日が暮れればライトアップされて輝くのだろう。

夜景も楽しみではあったが、なにぶん両毛線は1本逃がせば次が30分から1時間先、小山に辿り着いてから家までは更に1時間半。あまり遅くなる前に帰らねばなるまい。
夕日を惜しみつつ帰途。


次に来る時は栃木市内にでも宿を取って夜景を撮るつもりである。

同性婚と重婚と近親婚

同性婚を巡る議論の中で、「同性婚が認められるならば重婚や近親婚も認められるべき」という主張を見掛けた。
同性婚とは直接関係のない主張がどういう理屈で持ち出されているのかよくわからないが、(無理筋の主張を通すことで同性婚を諦めさせようという魂胆でないのだとすれば)「いずれも従来の婚姻制度を覆す点では同列である」という意図だろうか。

同性婚は、従来ならば男女と定められていたものを男男あるいは女女にまで広げるものである。その結果、従来の婚姻と何か違いがあるかというと、せいぜい「同性間では生殖を行なうことができない」点ぐらいに留まる。従って、従来との違いを理由として同性婚に反対するとしたら、それは「子供ができないから」駄目なのだ、という理屈となろう。
すると逆説的に、異性婚は「子供ができるから認められている」ということになり、その延長線上として「(同性婚が子を生めないから許されないのであれば)異性婚であっても子供を生まない/生めない場合は婚姻を認められない」という理屈に到達する。
つまり、「子を生めるかどうか」を理由として同性婚を認めないのであるならば、それに基づいて婚姻にかかる法が改正されねばならず、男女間であっても子を生むまでは婚姻が認められないようにせねばならなくなるはずだ。
結果として、同性婚を認めることにより生じる法改正よりも、認めないことによる法改正の方が面倒なことになるだろうと予想される。

重婚に関しては、当人同士の自由意志に基づく行為としては認めても良いのではと個人的には考えるものの、かかる法的手続きは決して軽くはなさそうに思われる。
まず従来の法に於いて婚姻が常に二人間でのものとして法整備されてきたという事実から、これを覆すことになる重婚への対応は世帯の概念や扶養関係、財産分与や共同所有など広い範囲にわたり見直しを迫られるものと予想される。
また実施にあたっても、たとえばA・B間の婚姻にCとの婚姻を加え重婚とする場合にA・C間だけでなくB・C間の意志も問われることになるはずであるから人数が増えるほどに婚姻関係の成立はややこしいことになるだろうし、またそうした関係性の中での出生・養育などが整理し切れるのかどうか、甚だ疑念に思われる。

一方、近親婚の方は生物学的見地から好ましくないとされてきたが、その点が無視できるとしても「幼少期からの対等でない関係性にある」近親者との婚姻には慎重であるべきと考える。たとえ双方が成人しており自由意志に基づいた婚姻であると主張しても、そう言い切って良いかどうかには懸念が残る。

以上から、同性婚については容認し、重婚・近親婚については保留とするのが現時点では妥当ではないかと考える。

アークナイツの育成時間

アニメ放映によって離脱していたドクターの復帰や新人ドクターの着任が増えたようで、育成に苦労する様が伺える。

アークナイツは育成にコストのかかることで知られる。とりわけ高レア育成ではゲーム内通貨と素材がものすごい勢いで溶ける。ついでに時間も溶ける。
闇雲に理性と時間を溶かしながら攻略しても良いのだが、「新キャラの育成にどれぐらい時間がかかるのか」を把握しておくと育成計画も立てやすくなるのではないかと考え、ちょっと計算してみた。

オペレーター☆数によるコスト差

アークナイツのオペレーターには☆1〜6までのレアリティがあるが、それによる育成上の差は次のようになっている。

☆数 最大レベル スキル数 総経験値 総龍門幣 2昇進まで経験値 2昇進まで龍門幣
☆1 無昇進30Lv 0 9800 6043 - -
☆2 無昇進30Lv 0 9800 6043 - -
☆3 1昇進55Lv 1 115400 104040 - -
☆4 2昇進70Lv 2(1昇進時) 484000 476337 150200 206241
☆5 2昇進80Lv 2(1昇進時) 734400 819325 239400 371947
☆6 2昇進90Lv 3(2昇進時) 1111400 1334796 361400 589841

これはレベルMAXまでの育成+昇進コストの合計である。
☆1はロボット、☆2は人間だが、育成上で差はない。
☆3は昇進1までしかないため、スキルレベル特化・モジュールの対象外となる。また☆4以降とは異なり、昇進しても第2スキルが追加されない。
☆4と☆5は最大到達Lvが異なるため育成コストに差があるものの、スキル数や特化、モジュールなどの面では差がない。
☆6は唯一昇進2によって第3スキルまで解放され、また素質も2種類となる。

☆3と☆4では育成コストが4倍も異なる。☆4と☆5、☆5と☆6では1.5倍程度の差があるので☆4と☆6では2倍以上の差、とりわけ龍門幣の方は経験値よりも差が大きいため3倍弱にも達する。
概して低レアの方が育成しやすく、また配置コストも低いため序盤の戦力としては使いやすい。逆に高レアの突き抜けた強さは魅力的ながら2昇進程度まで育成してこその強さということも多く、育成にかかる負荷は大きい。
単純な話、☆6を1体育てる余裕があれば☆4が3体育てられる。既にある程度の戦力が整って育成の余裕がある、または最大戦力を以てしても突破できない難敵に足踏みしている状況ならば、より強大な戦力を目指して高レア育成を始めるのもいいが、最初のうちはおすすめしない。
まずは☆3の育成を中心に戦力を固めて攻略を進めつつ、要所を☆4に置き換えることを目指した方がいいだろう。☆4は(スペックやスキル性能に差はあるものの)基本的に☆5と遜色ない構成ながら安価に育成でき、また出現率が高い分だけ潜在力を上昇させやすい。
突破できない箇所ではフレンドから高レアを借りてその使い勝手を確かめつつ、長期的な育成目標を立てよう。


ところで、この経験値と龍門幣の量を稼ぐにはいったいどれぐらいの時間が必要なのだろうか。

理性消費から必要時間を考える

アークナイツではステージ挑戦にあたり「理性」を消費する。
理性の最大値はプレイヤーのレベルによって違うが、回復速度は上限に依らず1時間あたり10である。つまり「使い切ってから溢れるまでの猶予」はレベルに応じて広がるものの「1日に使える量」は常に一定で、24時間あたり240ということになる。
これに配布される理性回復剤の分が加わる:週間任務達成で得られるのは上級理性回復剤+(回復量200)x2個。一週間あたりの最大理性量は240x7=1680なので合計2080。そのほか月パス(680円)を購入していれば毎日のログインで初級理性回復剤+(回復量80)が得られるので、1週間あたりに消費可能な最大量は2640となる。
従って無課金でも1日平均297、月パス課金すれば377ほどを使える計算である。
(もちろん、これは理論上の最大値に過ぎない。実際には理性を溢れさせるなどの事情で、利用可能な理性量はこれよりも少なくなると思われる)

経験値の入手方法

まずは経験値を稼ぐことを考える。
経験値の入手方法は大きく分けて「ステージクリア時の報酬」「ログインボーナス」「基地での製造」「購買部での購入」といった手段がある。
このうち不確定な「購買部での購入」は除外して、他の3種について考える。

経験値:戦術演習(LS1-6)

経験値はあらゆるステージで入手可能だが、効率良く稼ぐには(イベント報酬などのイレギュラー以外では)戦術演習ステージを周回するのがもっとも効率が良い。

ステージ 消費理性 入門作戦記録(200) 初級作戦記録(400) 中級作戦記録(1000) 上級作戦記録(2000) 合計 理性1あたり 龍門幣
LS-1 10 1 3 1400 140 120
LS-2 15 5 5 3000 200 180
LS-3 20 2 2 3 4200 210 240
LS-4 25 2 3 2 1 4600 184 300
LS-5 30 1 1 3 7000 233.3 360
LS-6 36 2 4 10000 277.8 432

戦術演習では作戦記録がドロップする。厳密には固定数ではなく確率ドロップであるらしく若干のバラツキはあるらしいのだが(特に理性あたり効率が却って下がるLS-4はもしかしたらドロップ数違うかもしれない)、ほぼこの枚数で確定に近い割合ではあるようだ。
LS-1→2の理性効率幅に対し、以降LS-5まで上がり幅は小さいものの効率自体は向上している(LS-4以外)。LS-6は大きく効率が上がるので周回できる体制を組みたいが、LS-5以降は攻略がぐっと厳しくなる。LS-4以外で自力☆3攻略可能な最大のステージを周回しよう。
単純計算すれば、1日あたり平均理性量xLS-6の理性1あたり経験値効率から、無課金で82506/日、月パス課金で104730/日が見込めることになる。実際には1回あたり消費理性36、経験値収益10000であるので端数を丸めて1日あたり8回(8万)および10回(10万)ということになるだろうか。LS-5ならば7.5万あるいは9万/日、LS-3ならば6万あるいは8万/日ほどになる。

経験値:ログインボーナス

月間ログインボーナスとして、一週間ごとに作戦記録が入手できる。第1週は入門x10(2000)、第2週が初級x10(4000)、以降中級x6(6000)上級x4(8000)上級x5(10000)と上がってゆくので、4週までしかない2月以外は30000(2月のみ20000)が得られる。
1日あたり8〜10万と比べれば微々たる量のため、育成効率にはほとんど影響しない。

経験値:基地内製造

Lv3の製造所では中級作戦記録を製造することができる。
製造効率は配置オペレーターのスキルによって左右されるが、無スキル状態で1日あたり8個(8000)、最高効率ならばその倍ほどとなる。理性全開での経験値周回と比べれば1/10かそこらとはいえ、複数の製造所を回せばそれなりの量にはなる。

経験値:合計量

ステージ周回で1日8万、基地の製造で1日8000+効率50%x3箇所=1日3.5万程度と仮定して1日あたりの経験値獲得が最大11.5万(月パス課金の場合は+2万)。つまり☆4ならMAX育成までに最短4日、☆5で一週間弱、☆6でも10日で稼ぐことが可能ではある(ただし経験値のみであって龍門幣はまた別に稼がねばならないわけだが)。

龍門幣の入手方法。

次に龍門幣の稼ぎ方を考える。こちらも「ステージクリア時の報酬」「ログインボーナス」「基地での製造」「購買部での購入」になるので、「購買部での購入」以外の方法を考えよう。

龍門幣:貨物輸送(CE1-6)

ステージ 消費理性 龍門幣 理性1あたり
CE-1 10 1700 170
CE-2 15 2800 186.7
CE-3 20 4100 205
CE-4 25 5700 228
CE-5 30 7500 250
CE-6 36 10000 277.8

こちらは理性効率が順当に上がってゆくので無理せず攻略可能な範囲で周回すれば良いが、とはいえ高難易度の効率は魅力的だ。
これも戦術演習同様、CE-5以降でぐっと難易度が上がる。
CE-5およびCE-6を周回するときの効率はLS-5・6のそれと同様、7.5万あるいは9万/日、8万あるいは10万/日となるがCE-4以下は量が異なる。CE-4であれば6 .5万あるいは8.5万/日ほど。

龍門幣:ログインボーナス

月間ログインボーナスでの龍門幣は初週2000、以降週あたり2000づつ増加して合計3万(2月のみ2万)。

龍門幣:基地内製造

龍門幣は基地内で製造した金属を、貿易所での受注によって売却することで生み出される。経験値とは異なり2段階を経るが、受注速度が金属の製造速度を上回ることはそうないと思われるので実質的に受注速度だけを考えれば良いだろう。
売却数は2〜4個と幅があり、量の多い方が若干効率が良いものの、大きな差があるわけではないので最小個数状態で考えると1日の受注数は効率0%で10回(20個)、100%ならその倍となる。1個あたりの売却価格は500なので1〜2万ほどが加算される計算である。複数製造できれば莫迦にならぬ量にはなる。

龍門幣:合計量

ステージ周回で1日8万、基地の製造で1日1万+効率50%x2箇所=3万程度と仮定して1日あたりの獲得龍門幣が最大11万(月パス課金の場合は+2万)。
☆4ならMAX育成までに最短5日、☆5で8日前後、☆6でも12日で稼ぐことが可能である。

総評:合計日数

☆4をMAXまで育てるためのリソースを稼ぐのにかかる日数は、経験値4日+龍門幣5日=9日。
☆5は15日、☆6なら22日が必要になる。
ただしこれはMAXまでの育成コストであり、2昇進Lv1までであればもっと安く済む。とはいえ経験値はLxMAX時の1/3程度で済むものの、龍門幣の方は多額の昇進コストが加わるため割高で、およそ半分弱といったところ。合計すると☆4で4日、☆5が6日、☆6で10日ぐらいだろうか。

レンズを上げよう

半年ほど前に新調したばかりだった眼鏡のレンズに、思いっきり傷を付けてしまった。

近視+乱視により裸眼では最長40cmぐらいの範囲にしか合焦できないのだが、眼鏡をかければ遠方から手元まで不自由しなかった。しかし老眼が進行してきたために、今や矯正視力での最短合焦距離が40cmぐらいになってしまい、それより近くを見るためには眼鏡を外さざるを得ない。
これは意外に不便なもので、本を読んだり携帯機器を使う時の距離はだいたい30cmぐらい、PCなどキーボード越しに画面を見る場合は60cmぐらいなので、PCの前に座ってiPadを併用するような(ごく日常的な)見方では眼鏡をかけたり外したり、頻繁に切り替えることになってしまう。

そんなわけで眼鏡をかけたり外したりすることで対応していたわけだが、今までならかけっ放しだった眼鏡を急に外すようにすると、咄嗟にしまう場所がない。無論、眼鏡ケースを持ち歩くか、あるいは眼鏡チェーンなどで首から下げておくのが順当ということになるが、今までそうした風習がなかったため、やむなく車内でiPadを見ているあいだ眼鏡をバッグに放り込んでおいた。
……結果、眼鏡のレンズがバッグの中でカメラのローレットと擦れて盛大な擦傷を付けてしまい、視界に靄が……

とりあえずレンズは交換せざるを得ないが、この傷はいちいちかけ外しを繰り返すという運用の結果である。できれば運用スタイルから変えてしまいたい。
かけ外しの煩わしさを解消する手段として一般的なのは、レンズ下端の矯正を変える、いわゆる老眼対応レンズだろう。正面を見る場合は近視矯正されたレンズを通して、下の方を見るときは矯正のない(あるいはピントを手前に寄せた)状態で。
ただ、先にそのタイプを作った愛妻に拠ると「結構使いにくい」とのこと。どうやら慣れが必要らしく、結局このレンズは使われず以前の眼鏡に戻してしまったようだ。

それならフレームごと新調して「外してもしまわなくて良い」眼鏡にしようと考えた。つまりレンズ跳ね上げ式のフリップアップフレームである。

www.zoff.co.jp

以前の眼鏡をZoffで作っていたので、今回もZoffフリップアップのフレームを探す。オンラインストアにユーザ登録すると、氏名と電話番号から実店舗での購入履歴が検索され、以前のレンズと同じ度数で眼鏡を購入できる。
……のはいいのだが、仕上がりには少々時間がかかる。実店舗での購入なら、在庫のあるものをその場で購入する限り加工調整には1時間程度で済むのだが、オンラインで購入したものは購入から出荷まで4日ほどかかった。急ぎの場合は店頭購入をおすすめする。
ただ、店頭だとフリップアップの在庫はあまり多くなさそうだ。私の選んだタイプも、実店舗での在庫は地元の店舗にはなかったので、種類にこだわるならオンラインが確実だろう。

フレームは二重構造になっており、レンズのないオーバーリムのフレーム上にヒンジがあってレンズを支えるフレームと結合している。レンズ側フレームの上下を指で挟んで下側をぐいと上に押し上げればレンズが90度跳ね上がって視界が素通しとなり、近距離を見やすくなる。眼鏡そのものはかけっぱなしなので紛失したり、「近くを見るために眼鏡を額に上げたまま眼鏡を探す」ようなこともない。遠くを見たいときはレンズを引き戻せばいい。

無論、欠点もある。
跳ね上げはどうしてもレンズを直接触って指紋を付けやすい。
また跳ね上げ状態では上方にわずかながら「歪んだ視界」が見える。これが影響しているのか、頭痛や肩凝りなどを誘発することもあるようだ。
レンズを下ろしたときにも、わずかに垂直になっていなかったりすると補正が狂う。
そうした欠点と、眼鏡自体のかけ外し、あるいは遠近両用レンズ、それぞれの利点・欠点を比較して自分なりの最適を探るといいだろう。

スチームパンクの動力源

スチームパンクは明確な定義のないユルいジャンルだ、というのは繰り返し書いているが、それ故に「どうやったらそれらしくなるか」が漠然として捉え難い。
19世紀ぐらいの時代的イメージ、というだけでは単に懐古的な雰囲気に留まってしまう。
歯車モチーフはよく利用されるが、「ただ表面的な模様として使う」だけではスチームパンク感が足りない。
では、どうすれば「スチームパンクらしさ」が出るだろうか。

「スチーム・ガジェット」のイメージ

スチームパンク的装置をイメージする際に重要なのは、「スチームパンクとは機械化である」という認識だ。現代社会があらゆる点で情報化されているように、スチームパンク社会はあらゆる点で機械化が浸透している。
現代に於いて自動化されている部分はスチームパンク社会でも自動化され、人々は労働力の大半を機械に任せていられる。ただ、その解決方法が現代のように電気仕掛けではなく蒸気圧を利用した機械仕掛けであったり、電子的な演算による制御ではなくパンチカードと歯車による制御であったりする点に、大きな違いがある。

目に見えないほど微細で高密度に畳み込み表面的には仕組みを見せない電子回路とは異なり、機械式制御では歯車・カム・ピストン・シャフト・ベルトなどが複雑に絡み合い巨大化し、またその動作が視覚的に確認できる。人には感知できない電磁波で高速に通信を行なう電子式とは異なり、機械式では伝達のために何らかの物理的な接続が必要となる。
そういったことを念頭に於いて、現代社会をスチームパンクに描き直してみると、「史実の19世紀当時には有り得なかった高度技術」と「現代から見れば大袈裟すぎる物々しさ」というスチームパンクの特徴が出現する。

たとえば掌サイズの情報端末を想像してみよう。
現代のスマートフォンのようにタッチパネルのみを備えたシンプルな外観ではなく、通信用コイルアンテナが突き出ていたりダイヤルやプッシュボタンが所狭しと押し込められていたり、映像表示は単色電子管のオシロスコープによる走査波形の残像、あるいはせいぜい解像度の粗い白黒でぼんやりした画像程度、サブディスプレイとして数字あるいは英字を光らせる数桁のニキシー管が埋め込まれている。電力は腰のバッテリーから有線で供給、あるいは背中の発電タービンからかも知れない。

電気/電波が使える想定ならこの程度で済むが、その方面は突き詰めると現代の電子技術時代へとつながってゆく道でもある。電気・電子技術は蒸気機関を駆逐する要因なので、あまり追求しすぎると設定的には危うい。
逆に、敢えて電気も電波もない想定でやろうとするならばワイヤレスで情報を送受信する方法がなくなるため、携帯端末の用途は手回し計算機程度に限定され、高度な演算は(小型化されて家庭内にも置ける程度になった)解析機関内蔵の机を使う形になるだろう。

電気のないスチームパンク世界では、電力線の代わりに市街に張り巡らされた水道管とガス管の圧が家々へと動力を伝え、電話の代わりに近距離通話では伝声管(街中のあらゆる場所から交換局に繋がった管で交換手と会話し、相手先の伝声管と直結してもらう)、中距離では気送管(行き先をパンチカードで設定した専用パケットで文書を送ると自動交換塔経由で相手先へとパケットが届く)などで通信し、あるいは街頭のフリップ式ディスプレイがパタパタとめくれて文字列を表示するニュース掲示装置などが公共情報を担う。
管の繋がらない外の都市など遠距離での通信は光学視認通信、つまり旗や腕木あるいは光の明滅などを利用することで送受信される。

……だんだん「大袈裟な機械装置が高度に発達した」スチームパンク世界がイメージされてきただろうか。

動力の描写と時代感

スチームパンクといえば「蒸気機関」と「歯車」というイメージが強いが、実はこの二つは技術的にあまり重なっていない。なぜなら、歯車の用途は動力の伝達と速度の変更だが、蒸気機関ではこれらを歯車なしで行えるからだ。

蒸気機関の基本イメージ

史実における蒸気機関の代表格といえる、機関車の構造を見てみよう。
蒸気機関車の車体はほとんどがボイラーで占められている。漠然と蒸気機関車の絵を想像するとき、車体前方が横になった円筒状、前方上部には煙突があり、後ろには運転席があるイメージになるかと思うが、あの円筒全体がボイラーだ。
ボイラー内は水で満たされ、その後端つまり運転席内前方に石炭を燃やす炉(火室)があり、そこからたくさんの細いパイプ(煙管)がボイラーの水の中を通って前方の煙突へと繋がっている。このパイプを通った高温空気の熱は周囲にある水を瞬時に沸騰させて蒸気とする。
その蒸気は配管を通ってピストンシリンダーに送られて往復運動を発生させ、それが動輪の中心軸からずれた位置にある偏心軸に伝えられることで、往復運動を車輪の回転へと置き換える。
車輪の回転速度はピストンの往復速度によって決まり、これはピストンへ送り込む蒸気の圧力を弁によって調整することで変更ができる。

このように、蒸気機関車では動作に歯車を用いていない(もちろん、蒸気機関の利用形態などによっては歯車を介する場合もあるが、主流ではない)。むしろ蒸気機関らしさの演出に必要なのはシリンダーと配管、および各管に付けられた圧力計やハンドルの方だろう。また動作には水蒸気を発生させるための「水タンクと熱源」が必須ということも忘れてはいけない。

ではスチームパンクに歯車は不要なのかというと、必ずしもそうとも言えない。

時計仕掛けの時代感

歯車が強くイメージされる装置といえば、時計だろう。古くは錘の力やぜんまいなどで、回転力を歯車によって伝達し、また動作速度を調整するために歯数の異なる歯車で回転速度を変化させたりして複雑な針の動きを制御する。あるいは時計によって培われた歯車装置の応用として、自動人形などのからくり仕掛けも良いガジェットになる。

機械式時計の発明は8世紀頃の中国だが、11世紀頃からヨーロッパなどでも時計台が作られ始め、16世紀には持ち歩ける懐中時計が発明された。さらに小型化した腕時計の登場は18〜19世紀だが、普及は20世紀に飛行機が発明され、航法のために「操縦しながら時間を確認する」必要が生じて以降のこととなる。
時計仕掛けの利用時期は、スチームパンクの中心である19世紀頃と重なってはいるものの時代が前後に広く、したがって「スチームパンクで歯車をモチーフとする」ことは間違いではないものの、主役ではない。歯車が主役となる世界は(広義のスチームパンクとして扱われることはあるが、狭義には)「クロックパンク」と呼ばれる。まだ「機械化」が動力的なものにまでは及んでおらず、移動は馬車で、船は帆船、飛行装置はまだちょっとない時代。

エンジンと真空管の時代感

あるいは逆に20世紀以降、蒸気機関ではなく内燃機関が普及してきた時代ならば歯車はふたたび主役となってくる。蒸気圧で速度をコントロールしていた蒸気機関とは異なり、内燃機関は「一定の速度で回転させ続け」るエンジンから変速機のギアを介して必要な速度を得る仕組みであるため、複数のギアを切り替えて「ギア比」を変化させることでコントロールするからだ。
現代に連なる技術ではあるが、未だコンピュータ制御技術などが未発達で機械的な仕組みによってコントロールする装置であった時代をイメージして、こちらは「ディーゼルパンク」などと呼ばれる。時代感ではだいたい1920〜70年頃、スチームパンクの終わり頃から電子時代の手前ぐらいまでのイメージである。真空管などはスチームパンクよりディーゼルパンクの範疇だろう。

沖縄へ行こう:4日目(中部編)・5日目(首里編)

沖縄中部地域へ

4日目は那覇バスターミナルから43番系統で北谷ちゃたん町方面へ行ってみる。
この地域は「米国風」な地域があると聞く。

港川ステイツサイドタウン

港川バス停で下りて一本裏手に入ったあたりに、沖縄統治時代の米軍関係者向け賃貸住宅として建てられた鉄筋コンクリート造りの平屋住宅街がある。

www.okinawastory.jp

60年以上が経過しており老朽化著しいが、沖縄の住宅街にはない独特の雰囲気を持ち、また自由にリノベ可能ということで店舗などが多く入店しており、洒落たショッピングが楽しめる。

アメリカっぽさ」を売りとして、通りごとにアメリカの州名が付けられた案内板が。

ミシガン通りにあるオレンジ色の「Casa Machilda」は木のおもちゃを中心とした幼児向けおもちゃ屋

店内にはプレイルームもあって子供と一緒に遊ぶこともできる。

ネヴァダ通りの「黒糖カヌレ ほうき星」は様々なフレーヴァーを乗せたかわいい小粒のカヌレ屋。



こちらで買える焼きたてカヌレは日持ちしないが、空港内の店舗では日持ちする冷凍カヌレや黒糖クッキーも買える。可愛いので沖縄土産の新定番になる予感。







フロリダ通りの洒落た庭付き店舗「oHacorté」はフルーツタルトとサブレの店。



店内では美味しいフルーツタルトを食べられるほか、レモンケーキなら半月ほど、サブレなら1ヶ月半ぐらい日持ちするのでお土産にも。



なお、こちらも空港内に店舗がある。多くの土産物屋が連なる中央エリアではなく国際線エリア側なので注意。

美浜アメリカンビレッジ

バス停に戻り、同じく43系統で北谷方面へ行くと「アメリカ西海岸風」を謳うショッピングエリア「美浜アメリカンビレッジ」がある。
www.okinawa-americanvillage.com
バス停から海側へ15分ぐらい歩くと、派手な風合いの建物が見えてくる。
正直なところ「アメリカ西海岸風」なのかどうかはよくわからない。たしかにアメリカ系の服飾雑貨を扱う店なども入ってはいるのだが、むしろ「無国籍風」というか、わりと節操のないチャンポン感が。

正直なところ、「純正のアメリカン」である港川を見た後ではどうしても「偽物」感が際立ってしまうと言わざるを得まい。
どちらかというとここは観光地というよりも「地元民のショッピングスポット」のような気がする。

ただ、海岸沿いの風景は決して悪くない。



ここは西向きの海岸であり夕日が映えると聞くが、バスの最終は19時台で終わりのようで、夏場に夕日を眺めるには些か余裕が足りないのが残念。

おもろまち

この日は夕飯をどこで買おうか話し合った結果、一駅先のおもろまちまで行ってみることにした。
ここは米軍から返還された空き地を再開発した場所だそうで、リウボウが複合商業施設をオープンするなどして次第に商業施設が集まる「新都心」となりつつある場所である。那覇市街が空港から程近いために高層建築を規制されるのに対しおもろまちは規制範囲外のため、今後の発展が見込まれそうだ。
とはいえ現在のところは「どこの都市にもあるような」ショッピングセンターに過ぎず、沖縄県立博物館・美術館「おきみゅー」以外には観光客にとっての目新しさは乏しい印象。

首里城周辺地域へ

5日目はいよいよ首里城とその南側に残る古い石畳道へ。
とはいえ首里城の中核たる正殿を含めた建物は2019年の火災により全焼しており、一番の見所が失われている。さほど期待はせずに、ゆいレール首里駅へ。
駅からまっすぐに行くとすぐに首里城公園へ突き当たるが、守礼門のある正面側はぐるりと回らねばならぬらしい。歩くのが億劫ならバスで来た方が楽にアクセスできるだろう。

まずは守礼門をくぐる。

右には復元された石碑が、左には園比屋武御嶽石門そのひゃんうたきいしもんが。

歓会門を通って城壁内へ。

右手階段上には瑞泉門、その奥には漏刻門。左手には久慶門が見える。
奥の大きなプレハブは正殿再建区域。

石段を上り瑞泉門へ。階段状ではあるが各段は傾斜している。

門を通り、振り返って下町を眺める。

漏刻門は水の滴りで刻を測った「漏刻」が置かれたことに由来する。

城壁の上からの眺め。帰路側の久慶門と、今しがた潜ってきた歓会門が見える。

奉神門。中央は中国の使者など位の高い者しか通れない門であったとか。ここから先は有料区域となる。

中央の門は閉ざされている。

首里森御嶽すいむいうたきは場内に十あったという拝所の中でも最も格の高い場所であったという。

かつて正殿のあった場所全体は再建作業のため立ち入ることができない。代わりにというか、首里城復興の展示施設や休憩所の情報端末などで琉球王国の歴史を学んだりできる。
中国との関係が深かったことや薩摩藩の侵略を受け日本の支配下に置かれたことは知っていたが、「王の代替わりにあたっては中国からの使者を迎えて即位の儀式をせねばならない(琉球←→中国間の行き来には半月ほどを要した)とか、「新王が即位するたび江戸までの参勤が必要だった」とかは知らなかった。大変だな琉球王朝……

通路に沿って迂回し、奥側の遺構や見張り台であるあがりのアザナなどを見た後、久慶門を後にする。

守礼門側へ戻り、門の手前を左に抜けると琉球王国時代の16世紀頃に作られた石畳道に行ける。

どこからどこまでが16世紀の石畳道であるのかは定かではないが、そこに至る坂道もなかなかの風情。



たぶんこの辺りから先がそれではないかと思われる。




ガジュマルの聳える辻には休憩所。隣には水路で水を導いた共同の水場もある。


この先を更に下るとダムへと行き着くが、そのあたりにはバスの便もほとんどないため、ここから右に折れて坂を上り首里駅行きのバス停を目指すといい。



沖縄へ行こう:3日目(南部編)

沖縄旅行も既に3日目。
ペース配分を考えるならば少し休んでもいいぐらいだが、当初の予報では週の後半が雨かも知れず、行きたいところは行けるうちに行っておくが良い、ということで今日は斎場御嶽せーふぁうたき方面のバスツアーである。
沖縄随一の「聖地」として知られる斎場御嶽以外にも、そこから車で15分程度の場所に大きな鍾乳洞や渓谷もあり、いずれ劣らぬ奇景が楽しめるはずだ。

基本、ゆっくり写真を撮りたい我々はバスツアーをあまり好まない。今日行く場所も那覇バスターミナルから路線バス1本、1時間程度で行ける場所ではあり、ならば自力で行く方が自由度は高い……のだが、何故かこの2地点は近場にある観光名所であるにも関わらず、これらを結ぶバス路線が事実上存在しない。そのため自力で動くとなると一度那覇へ戻ってまた別のバスで1時間というルートになってしまう。ならば両方を巡る現地ツアーに申し込んだ方が良かろう、ということでまたも朝7時半からの行動となった。

バスガイドによる沖縄の地名や砂糖黍畑、戦史などの解説を聞きながら南城市へ。途中で通過するニライカナイ橋は初日の出スポットなどとして人気の場所だそうだが、ここから見える久高島は沖縄神話に於ける国生みの聖地であり、斎場御嶽に於いても男子禁制の御嶽入口から、国王が島を遥拝したのだという(工事のクレーンが屹立しており興醒めのため写真はない)。
到着は開場の9時より前だったので、公園で写真を撮りながら待つ。




斎場御嶽

斎場御嶽は山というか森というか、場そのものが聖地である。いちおう道は石畳で整備されてはいるものの、使われる石材は現地の多孔質な石灰岩であり凹凸著しく、また入口以降は階段なども用意されていない。そのため山歩きに適した靴で行くこと(ハイヒールなどは入口で止められる)。

鬱蒼とした森はそこかしこに巨岩や巨木があり、岩に開いたガマなどの前には石の香台が置かれ祈りの場となっている。

魅力的な景観なのだが、写真に収めてもなかなかその雰囲気が出ない。自然の景観むずかしい……


ぽっかりと開けた小さな湿地は戦中に艦砲射撃を受けた跡だそう。

最も有名な三庫理さんぐーい石灰岩の岩塊が引張応力による伸長節理で縦に割れたのち、地滑りによって傾いたものであるらしい。


かつてはこの割れ目にも入れたのだそうだが、今は柵で塞がれていた。
また、この地を再び男子禁制とすることも検討されているのだとか。

ガンガラーの谷

続いて斎場御嶽から15分程度の場所にある、おきなわワールドという有料観光施設へ。
www.gyokusendo.co.jp
ここは鍾乳洞「玉泉洞」を中心に、沖縄名物とされる「エイサー」や琉装、琉球王国下町風の建物など琉球/沖縄文化を(多分に「観光化された」ものではあるが)楽しめる観光施設となっている。
その向かいにあるのが、かつては玉泉洞とも一続きだった鍾乳洞が崩落したことで現れた渓谷を巡る「ガンガラーの谷」である。
gangala.com
ツアーはここで二手に分かれ、ガンガラーの谷を巡る80分ほどのツアーに参加するか、2時間ほどおきなわワールドを自由に散策するかの二択となる(ガンガラーの谷は事前予約が必要で、料金も異なるためバスツアー予約時点で分かれており現地で選択の余地はない)。

谷の入口にはサキタリ洞という大きな洞窟が残されており、ここはカフェとして営業している。

パラソルは日除けではなく、鍾乳石を滴り落ちる水滴を避けるためのもの。

ここは「港川人」と呼ばれる古代人骨の出土で知られる断崖の亀裂「港川フィッシャー」から1.5kmの距離であり、この遺跡も同時代の人類遺跡と見られる。
入口手前のシート部分は発掘調査現場であり、2万年前の釣り針(釣り針としては世界最古)などが出土している。


奥にはステージがあり、ライヴなども催される。

まずはここで地質・考古学的な説明を受け、1時間以上におよぶ行程の水分補給用にさんぴん茶の水筒を受け取ってツアー開始となる。

ここも斎場御嶽同様に深い亜熱帯森林に覆われている。

とはいえ自然のままの景観というわけでもなく、地元民によって移植されたジャイアント・バンブーなども。

沖縄といえばガジュマル。この木は枝からたくさんの根を垂らし、地に到達すると次第に太く成長し幹化する。そのうち元の幹が枯れ、そうやって移動してゆくのだという。


マムシグサのような赤い実を付ける、サトイモのような葉の植物はクワズイモ。食べると蓚酸の針状結晶で酷い腫れを引き起こすが、そんな植物の葉に緑色の巻貝。カタツムリではなく、アオミオカタニシだそうだ。

道端に貝殻。太古の海底に埋もれた化石か、それとも古代人によって捨てられたものか。

側を流れる川はかつてこの洞窟を作り上げた地下水流だったもの。

まずはランタンを手に、谷から続く洞窟へと入ってゆく。



洞窟を後にして、今度は渓谷へと踏み入ってゆく。


そしてトンネルを抜けた先に、ガンガーラの谷一番の目玉「大主ウフシュガジュマル」が現れる。




大興奮で撮りまくっていたので似たような写真が続いてしまったが、ご容赦頂きたい。
大主ガジュマルを抜けると石積みの、恐らくはここも御嶽の類が。


出口から谷を振り返る。

最後は樹上に設えたウッドデッキへ。

[
ここからは港川フィッシャーのある辺りも一望できる。

出口はおきなわワールド内。
これは園内に生えていたもの。どうやらタコノキの実であるらしい。

県庁前にて

バスツアーは13時頃には那覇空港へ、その後13:30頃には県庁前へ戻ってくるので、最終日の搭乗前に利用したり、午後に別の予定を当てることもできるだろう。我々はここまで全力で楽しみすぎてバテ気味だったので、この日は昼食を摂ってホテルへ戻ることにした。
県庁前に「楽園百貨店」と掲げたビルが。どうやらリウボウというデパートであるらしく、食べるところも豊富そうだったのでここに入ってみることに。
地下の食品街ではイートインもあって、買ったものをその場で食べられる。とりあえずここで昼食を済ませてから店内を一巡り。
2階はゆいレール駅と直結しており、また夕刻からは外側テラスがビアホールになるようだ。
4階の一部には那覇市の市民文化部が運営する歴史博物館があり、琉球王朝時代の文化財やかつての那覇市内のジオラマなどが展示されていた。

また、現在は特別展として沖縄海洋博の様子などが展示されている。このために那覇市内から会場へ向かうための高速道路が建設されるなど、良くも悪くも沖縄の近代化に大きな影響を及ぼしたものであったようだ。

デパートの屋上階は庭園になっていた。沖縄では屋上がテラスになっており植物を育てている家が多く見られるが、デパートも例外ではないようだ。


ところでこのリウボウなる店名、どうやら「琉球貿易」を意味するもので、遡れば米軍統治時代に貿易が禁じられた中で唯一の貿易窓口であった琉球貿易庁を起源とする商事会社であった由。
ここで買った刺身がとても美味しかったので、以降ここで晩飯を買うのが習いとなった。

福州園

ホテルに戻って一寝入りしていたら、愛妻がなにやら県庁前にあるという中国式庭園の情報を見せてきた。これはガイドブックや沖縄観光サイトなどにほとんど触れられていない「穴場」のようで、ちょうど7月初頭に改修を終え夜間ライトアップ公開を始めたばかりだという。
早速カメラを準備して出掛けることに。

www.okinawastory.jp
福州は琉球王国が明〜清朝への朝貢に赴く際の寄港地であった場所で、琉球との縁浅からぬ関係から友好都市関係を締結しており、10周年を記念して福州式庭園を造園したのだそう。












ところどころに区切りとなる壁があり、異なる景色を切り替えていることで園内を面積以上に広く感じさせている。

壁の小窓はそれぞれに違った透かし彫りが施される凝りよう。


園内からは月が。この日は満月の前日であったらしい。

19時を過ぎ、暮れゆく園内を楽しむ。足元が暗くなるため、段差のある箇所などは閉鎖されて通れなくなっていたのはちょっと残念。次は明るいうちにも来たい。



四阿天井の見事な細工。

ガンガラーの谷と同じぐらいに撮りまくってしまった。これだけ楽しめて300円は公営ならでは。
ゆいレール「県庁前」駅から沖縄タイムス本社側へ、国道58号線を渡って5分ぐらいと行きやすい場所なので、是非訪れてみて欲しい。