科学はしばしば直感に反する

相対性理論否定論者に結構多いのが「あんな理解できない奇妙な理論が真実であるはずがない」という論調である。オッカムの剃刀ではないが、理解できない=無駄が多いという解釈なのだろうか。
これには、ふたつの誤解がある。


まず、科学理論はシンプルでも、そこから導かれる解が必ずしもシンプルとは限らないということ。科学は自然現象の単純モデル化による近似に過ぎないから、モデルのひとつひとつは単純でも現実に適用する時には複合要因により複雑化することがある。
相対性理論も、基礎理論は非常にシンプルである。ただ、その結果想定される数々の事象-----数式として展開される結果が、我々の直感的理解を遥かに越えた領域に達してしまうだけだ。


また、科学により導かれる答えは往々にして直感に反する。「重量に関らず落下速度は等しい」なんていうのもその一つだ。
あるいは、こういうのはどうか:「紐の先に錘を付けて振り回し、手を離すと錘はどのように飛んでゆくか」。手を離した瞬間、その位置でそれまでの回転運動による円と接する直線に沿って真っ直ぐ飛ぶのだが、かなりの人が円を引き伸ばしたような楕円軌道を想像するらしい。
要するに直感というのは理論に因らぬ経験の蓄積として、本能的に処理されるに過ぎぬのだろう。主観でしか処理できない範囲なので客観で構築される科学に適用するには無理があるのだ。ごく単純な運動ですらこの有様であるから、もっと高度な発展性を要求される相対性理論が直感で理解できぬのも無理はない。


一般化できるようなことでもないが、「なにやら凄そうなことを、妙に理解し易い理屈で」説いているものはちょっと疑ってみるべきだろう。理論が破綻しないところだけ説明してその気になっている疑似科学かも知れないから。
逆に、凄く専門的な用語らしきものが並んで何を言っているのかさっぱり判らないときも、それはそれで警戒すべきだ。単にそれっぽい言葉を並べ立てて煙に巻いているだけかも知れないから。
……まあ、こんなことを言うと信用できるものがなくなってしまうのだが。