投げ銭ポイントによるモラル改善効果

要約

このあたりでコミュニティの質の低下について論じた。乱暴に要約すれば「全体が見えないと見られることを意識しなくなり、モラルが低下する」というようなことだが、投げ銭ポイントはそれを防止するに有効なのではないか。

文章記録コミュニケーションの性質

Webのコミュニティは文章記録によって機能する。文字以外のものを要に結合するコミュニティは存在し得るが、コミュニケーションの手段はやはり文字によるものとなろう。
将来的には、音によるコミュニケーションだって成立するかもしれない。しかし少なくとも現状では、リアルタイムでの対話か全く一方的な発話しか成立し得ない音声コミュニケーションは有効に機能しない。Webに於いては、非リアルタイムでありながら対話可能な文章記録に勝るものはないのだ。
記録されるが故に、コミュニケーションの対象は非限定的である。無論、コメント欄に於けるやり取りなどでは対話の対象は限定されているかも知れない。しかしそれとて、後に不特定多数の読者の目に晒されることを常に意識する必要がある。

コミュニティの質についての定義

私の言うところのコミュニティの質の低下とは、即ち万人に読まれるということを意識しない文章の存在に他ならない。
言い古された言葉だが、Webに公開するということは誰もが読む(可能性がある)ということだ。仮令それが極めて弱小で知る人のごく少ないWebサイトであろうとも。とりわけブログサーヴィスなどのような集中型コミュニティに於いては、弱小などというものは存在しないと言ってもよい。個々のブログは既に、巨大な有名サイトの一部を担っているのだ。
その中にあってごく身内のみに向けて文を書くということは、強弁すれば全体のS/N比*1を悪化させる行為と言える。言論の自由は保障されるからその行為自体を咎め立てする理由はないが、今回はコミュニティ全体(あるいはWeb全体)としての質を論じているので、こうしたユーザーを「モラルの低い」ユーザーと呼ばせて頂こう。

質の改善手段

全体としてのS/N比改善の手段は簡単に分ければ二つ。絶対量としてのノイズ減少と、有用情報の量的拡大による相対量としての改善である。
しかし実際には、ノイズを減少させることは極めて困難であると言わざるを得ない。なぜならば、ノイズ発生源となるライトユーザー層はそうでない層に比べて明らかに多く、また彼らはコミュニティへの帰属意識を持たないが故に改善の動機もないからである。そもそも、帰属意識というものはモラルのヒエラルキーで言えば上の方ほど強く下ほど弱い傾向にあるため、下の方ほど引き上げの動機としては機能し難い。
残された手段は、上辺の拡張とそれに伴う境界線上の層の引き上げである。そのためには、帰属意識に変わって質の向上を目指す動機を設定せねばならない。
帰属意識以外に情報の質を改善する強力な動機。それは、発信情報への周囲の反応である。
ブログが栄えたのは、コメント機能とトラックバック機能に因り明示的な反応が容易であったからに他ならない。これはコミュニティ活性化の強力な要素ではある。

直接反応の具体化によるモラルの変化

文章記録コミュニケーションに於いて、最初の情報発信は限りなく一方通行に近い。この段階では具体的な対話の相手は脳内人格位のものだろう。しかし、コメントやトラックバックなどの機能に因り対話が発生することで、著者は手応えを感じ、次なる方法の発信へと繋がる。
ただしこの変化は、必ずしも上昇志向のあるものではない。反応がネガティヴであれば、著者は幻滅し、発信を控えることもあり得る。

ブックマークの出現による反応の変化と注目度格差

近年ではブックマークの活用に因り、その場での双方向的コミュニケーションよりもやや消極的な、互いに一方通行のコミュニケーションに変化してしまったきらいがある。
被ブックマークはコメントやトラックバックと違って気付き難く、またブックマークのコメントに対する発話が困難であることを考えると、あまり対話的ではない。
ただし、これまでなかった傾向として、ブックマーク数により注目を集める可能性が高まるという効果は見過ごせない。優れた記事は多くの注目を集め、静かではあるが確実な反応を引き出し得る。
逆に言えば、これまでは別の箇所で直接的に紹介することによってのみ広まっていた情報が、消極的なアクションによっても広まり得るということでもある。直接反応の敷居は相対的に高まったが、間接反応の敷居はむしろ低下し、より多くの反応を引き出す余地が生まれた。

投げ銭機能の出現と情報への対価

ポイント送信機能自体は以前からあったが、実質的にはメッセージ送信手段、もしくは仲間内の少額決済手段としてしか機能していなかったのではないだろうか。今回のブックマーク時投げ銭機能の付加とはてな外での投げ銭受信機能は、これを(当初運営側が意図していたであろう)関心尺度の表明、即ち本来の意味での投げ銭に戻すためのものであると言える。
これにより期待される最も大きな変化は、有用情報への対価支払いという習慣、良い情報にはそれなりの対価が支払われるべきという思想の定着である。
情報に対する対価そのものは決して珍しいものではない(書籍やCDなどの価格も、基本的には物質への対価ではなく情報への対価であろう)が、情報を発信者が有料で販売するのではなく、使用者が感謝の表れとして自発的に行うという点が、これまでと違うところである。フリーウェアやその変形としてのドネーションウェアの延長線上にある発想。
それはもしかしたら、現在の資本主義とは異なる競争的経済システムへ繋がって行くかも知れないが、ここでは脱線になるのでこれ以上触れない。

コメント/TBとの違い

ブックマーク及び投げ銭も、コメントやTBも、著作への反応という点では何も変わりない。ただし、コメント/TBがネガティヴな反応についても発生し得るのに対し、投げ銭はポジティヴな目的以外で使われる可能性が少ない*2という利点と、反応が個対個で完結してしまい発展性に欠けるという欠点がある。つまり、今後は議論の余地のある問題についてはコメントかTBで、そうでないものはブックマークか投げ銭でと、変化することになるのだろう。

投げ銭の効果と適用範囲

投げ銭のし易さは(手間としては)大幅に改善を見たと言えるが、投げ銭という行為の敷居そのものが下がるわけではない。ちょっと気に入った程度の記事にぽんぽん投げ銭するようなことはないだろう。畢竟、投げ銭を受けるということは額の多寡に関わらずそれだけ高く評価されたということである。
敷居の高さを表すと、以下のようになる。

このうち右辺二つは従来通りであるので、その上により敷居の高い目標が発生したと言い換えても良い。つまり投げ銭は、モラルの底辺を押し上げるものではなく、上辺をより拡大する機能なのだ。

結論

投げ銭の存在は、上質な情報を発信するユーザーの質を更に高めることが可能だろう。
上質な情報からは、多数の付加的情報が発生し得る。中層のユーザーが連鎖的に関連情報を発信し、或いは議論して行くことで、全体の質は押し上げられる。
そして有用情報にきちんと対価を支払う習慣が根付けば、価値の低い情報は相対的に価格を下げざるを得ず、情報産業全体が構造的に変化して行く……とまでは言い過ぎだろうか。

付記

最近は、音楽でもインディーズの活動として無料でMP3ファイルをダウンロードできるようにしている場合が多い。あるいは画像関係では、元々情報を無料で配信していたようなものだ。それらにもAccount Auto-Discoveryを用いて投げ銭受信機能を付加すれば、文章記録コミュニケーションだけでなく視覚的情報や聴覚的情報にも、投げ銭による評価が可能になる。
これをご覧の創造主各位、いかがですか?

*1:音ではないからInformation/Nouse比と表現すべきか

*2:実際にはメッセージ送信機能を利用して中傷コメントを送信した例があるので絶対ではないが、快く思わなかったものに対して金銭を払うことになるというのは抵抗があるのではないだろうか