人生ゲーム

あれを「凄く面白いゲーム」として認識している人が意外に多くて吃驚。


ゲームとは何か、ということを論ずると長くなるので、ここではカイヨワの遊びの分類及び定義コスティキャンのゲーム論を紹介するに留めるが、本質的には「初期状態と目標、制限が設定され」「目標を達成すべく意思決定を強要される」ものと言えよう。


そのような定義から見ると、人生ゲームは「初期状態(スタート地点)」「目標(ゴールへの到達)」及び「制限(乱数に従った移動ルールとマスごとの行動指示)」が設定されている点でゲームに類似しているが、意思決定が無い(乱数に従い移動する以外の行動は取れない)点でゲームではない。
分かれ道があるヴァージョンや条件付行動指示(○○するか、あるいは××)等で意思決定が存在するように見えるものもあろうが、目標達成との関わりを見出せない意思決定は重要ではない。
つまり、これはどう見ても双六の域を出ないもので、「遊び」ではあるが「ゲーム」ではない。


これが面白い遊びかどうかは純粋に主観の問題であり、私が文句を言う筋合いのものではないが、ゲームと呼ぶことには難色を示したい。できることなら商品名からも「ゲーム」を外して頂きたいとも思う。「人生双六」なら文句は無い。
......という論旨は「片端や盲は差別用語だから使うな」とか「鯨は賢い生き物だから殺すな」と同レベルで見苦しくもあるのだが。
大勢の一般人にとって、人生ゲームがゲームかどうかなどさして重要ではないのだ。