レンズを上げよう

半年ほど前に新調したばかりだった眼鏡のレンズに、思いっきり傷を付けてしまった。

近視+乱視により裸眼では最長40cmぐらいの範囲にしか合焦できないのだが、眼鏡をかければ遠方から手元まで不自由しなかった。しかし老眼が進行してきたために、今や矯正視力での最短合焦距離が40cmぐらいになってしまい、それより近くを見るためには眼鏡を外さざるを得ない。
これは意外に不便なもので、本を読んだり携帯機器を使う時の距離はだいたい30cmぐらい、PCなどキーボード越しに画面を見る場合は60cmぐらいなので、PCの前に座ってiPadを併用するような(ごく日常的な)見方では眼鏡をかけたり外したり、頻繁に切り替えることになってしまう。

そんなわけで眼鏡をかけたり外したりすることで対応していたわけだが、今までならかけっ放しだった眼鏡を急に外すようにすると、咄嗟にしまう場所がない。無論、眼鏡ケースを持ち歩くか、あるいは眼鏡チェーンなどで首から下げておくのが順当ということになるが、今までそうした風習がなかったため、やむなく車内でiPadを見ているあいだ眼鏡をバッグに放り込んでおいた。
……結果、眼鏡のレンズがバッグの中でカメラのローレットと擦れて盛大な擦傷を付けてしまい、視界に靄が……

とりあえずレンズは交換せざるを得ないが、この傷はいちいちかけ外しを繰り返すという運用の結果である。できれば運用スタイルから変えてしまいたい。
かけ外しの煩わしさを解消する手段として一般的なのは、レンズ下端の矯正を変える、いわゆる老眼対応レンズだろう。正面を見る場合は近視矯正されたレンズを通して、下の方を見るときは矯正のない(あるいはピントを手前に寄せた)状態で。
ただ、先にそのタイプを作った愛妻に拠ると「結構使いにくい」とのこと。どうやら慣れが必要らしく、結局このレンズは使われず以前の眼鏡に戻してしまったようだ。

それならフレームごと新調して「外してもしまわなくて良い」眼鏡にしようと考えた。つまりレンズ跳ね上げ式のフリップアップフレームである。

www.zoff.co.jp

以前の眼鏡をZoffで作っていたので、今回もZoffフリップアップのフレームを探す。オンラインストアにユーザ登録すると、氏名と電話番号から実店舗での購入履歴が検索され、以前のレンズと同じ度数で眼鏡を購入できる。
……のはいいのだが、仕上がりには少々時間がかかる。実店舗での購入なら、在庫のあるものをその場で購入する限り加工調整には1時間程度で済むのだが、オンラインで購入したものは購入から出荷まで4日ほどかかった。急ぎの場合は店頭購入をおすすめする。
ただ、店頭だとフリップアップの在庫はあまり多くなさそうだ。私の選んだタイプも、実店舗での在庫は地元の店舗にはなかったので、種類にこだわるならオンラインが確実だろう。

フレームは二重構造になっており、レンズのないオーバーリムのフレーム上にヒンジがあってレンズを支えるフレームと結合している。レンズ側フレームの上下を指で挟んで下側をぐいと上に押し上げればレンズが90度跳ね上がって視界が素通しとなり、近距離を見やすくなる。眼鏡そのものはかけっぱなしなので紛失したり、「近くを見るために眼鏡を額に上げたまま眼鏡を探す」ようなこともない。遠くを見たいときはレンズを引き戻せばいい。

無論、欠点もある。
跳ね上げはどうしてもレンズを直接触って指紋を付けやすい。
また跳ね上げ状態では上方にわずかながら「歪んだ視界」が見える。これが影響しているのか、頭痛や肩凝りなどを誘発することもあるようだ。
レンズを下ろしたときにも、わずかに垂直になっていなかったりすると補正が狂う。
そうした欠点と、眼鏡自体のかけ外し、あるいは遠近両用レンズ、それぞれの利点・欠点を比較して自分なりの最適を探るといいだろう。

スチームパンクの動力源

スチームパンクは明確な定義のないユルいジャンルだ、というのは繰り返し書いているが、それ故に「どうやったらそれらしくなるか」が漠然として捉え難い。
19世紀ぐらいの時代的イメージ、というだけでは単に懐古的な雰囲気に留まってしまう。
歯車モチーフはよく利用されるが、「ただ表面的な模様として使う」だけではスチームパンク感が足りない。
では、どうすれば「スチームパンクらしさ」が出るだろうか。

「スチーム・ガジェット」のイメージ

スチームパンク的装置をイメージする際に重要なのは、「スチームパンクとは機械化である」という認識だ。現代社会があらゆる点で情報化されているように、スチームパンク社会はあらゆる点で機械化が浸透している。
現代に於いて自動化されている部分はスチームパンク社会でも自動化され、人々は労働力の大半を機械に任せていられる。ただ、その解決方法が現代のように電気仕掛けではなく蒸気圧を利用した機械仕掛けであったり、電子的な演算による制御ではなくパンチカードと歯車による制御であったりする点に、大きな違いがある。

目に見えないほど微細で高密度に畳み込み表面的には仕組みを見せない電子回路とは異なり、機械式制御では歯車・カム・ピストン・シャフト・ベルトなどが複雑に絡み合い巨大化し、またその動作が視覚的に確認できる。人には感知できない電磁波で高速に通信を行なう電子式とは異なり、機械式では伝達のために何らかの物理的な接続が必要となる。
そういったことを念頭に於いて、現代社会をスチームパンクに描き直してみると、「史実の19世紀当時には有り得なかった高度技術」と「現代から見れば大袈裟すぎる物々しさ」というスチームパンクの特徴が出現する。

たとえば掌サイズの情報端末を想像してみよう。
現代のスマートフォンのようにタッチパネルのみを備えたシンプルな外観ではなく、通信用コイルアンテナが突き出ていたりダイヤルやプッシュボタンが所狭しと押し込められていたり、映像表示は単色電子管のオシロスコープによる走査波形の残像、あるいはせいぜい解像度の粗い白黒でぼんやりした画像程度、サブディスプレイとして数字あるいは英字を光らせる数桁のニキシー管が埋め込まれている。電力は腰のバッテリーから有線で供給、あるいは背中の発電タービンからかも知れない。

電気/電波が使える想定ならこの程度で済むが、その方面は突き詰めると現代の電子技術時代へとつながってゆく道でもある。電気・電子技術は蒸気機関を駆逐する要因なので、あまり追求しすぎると設定的には危うい。
逆に、敢えて電気も電波もない想定でやろうとするならばワイヤレスで情報を送受信する方法がなくなるため、携帯端末の用途は手回し計算機程度に限定され、高度な演算は(小型化されて家庭内にも置ける程度になった)解析機関内蔵の机を使う形になるだろう。

電気のないスチームパンク世界では、電力線の代わりに市街に張り巡らされた水道管とガス管の圧が家々へと動力を伝え、電話の代わりに近距離通話では伝声管(街中のあらゆる場所から交換局に繋がった管で交換手と会話し、相手先の伝声管と直結してもらう)、中距離では気送管(行き先をパンチカードで設定した専用パケットで文書を送ると自動交換塔経由で相手先へとパケットが届く)などで通信し、あるいは街頭のフリップ式ディスプレイがパタパタとめくれて文字列を表示するニュース掲示装置などが公共情報を担う。
管の繋がらない外の都市など遠距離での通信は光学視認通信、つまり旗や腕木あるいは光の明滅などを利用することで送受信される。

……だんだん「大袈裟な機械装置が高度に発達した」スチームパンク世界がイメージされてきただろうか。

動力の描写と時代感

スチームパンクといえば「蒸気機関」と「歯車」というイメージが強いが、実はこの二つは技術的にあまり重なっていない。なぜなら、歯車の用途は動力の伝達と速度の変更だが、蒸気機関ではこれらを歯車なしで行えるからだ。

蒸気機関の基本イメージ

史実における蒸気機関の代表格といえる、機関車の構造を見てみよう。
蒸気機関車の車体はほとんどがボイラーで占められている。漠然と蒸気機関車の絵を想像するとき、車体前方が横になった円筒状、前方上部には煙突があり、後ろには運転席があるイメージになるかと思うが、あの円筒全体がボイラーだ。
ボイラー内は水で満たされ、その後端つまり運転席内前方に石炭を燃やす炉(火室)があり、そこからたくさんの細いパイプ(煙管)がボイラーの水の中を通って前方の煙突へと繋がっている。このパイプを通った高温空気の熱は周囲にある水を瞬時に沸騰させて蒸気とする。
その蒸気は配管を通ってピストンシリンダーに送られて往復運動を発生させ、それが動輪の中心軸からずれた位置にある偏心軸に伝えられることで、往復運動を車輪の回転へと置き換える。
車輪の回転速度はピストンの往復速度によって決まり、これはピストンへ送り込む蒸気の圧力を弁によって調整することで変更ができる。

このように、蒸気機関車では動作に歯車を用いていない(もちろん、蒸気機関の利用形態などによっては歯車を介する場合もあるが、主流ではない)。むしろ蒸気機関らしさの演出に必要なのはシリンダーと配管、および各管に付けられた圧力計やハンドルの方だろう。また動作には水蒸気を発生させるための「水タンクと熱源」が必須ということも忘れてはいけない。

ではスチームパンクに歯車は不要なのかというと、必ずしもそうとも言えない。

時計仕掛けの時代感

歯車が強くイメージされる装置といえば、時計だろう。古くは錘の力やぜんまいなどで、回転力を歯車によって伝達し、また動作速度を調整するために歯数の異なる歯車で回転速度を変化させたりして複雑な針の動きを制御する。あるいは時計によって培われた歯車装置の応用として、自動人形などのからくり仕掛けも良いガジェットになる。

機械式時計の発明は8世紀頃の中国だが、11世紀頃からヨーロッパなどでも時計台が作られ始め、16世紀には持ち歩ける懐中時計が発明された。さらに小型化した腕時計の登場は18〜19世紀だが、普及は20世紀に飛行機が発明され、航法のために「操縦しながら時間を確認する」必要が生じて以降のこととなる。
時計仕掛けの利用時期は、スチームパンクの中心である19世紀頃と重なってはいるものの時代が前後に広く、したがって「スチームパンクで歯車をモチーフとする」ことは間違いではないものの、主役ではない。歯車が主役となる世界は(広義のスチームパンクとして扱われることはあるが、狭義には)「クロックパンク」と呼ばれる。まだ「機械化」が動力的なものにまでは及んでおらず、移動は馬車で、船は帆船、飛行装置はまだちょっとない時代。

エンジンと真空管の時代感

あるいは逆に20世紀以降、蒸気機関ではなく内燃機関が普及してきた時代ならば歯車はふたたび主役となってくる。蒸気圧で速度をコントロールしていた蒸気機関とは異なり、内燃機関は「一定の速度で回転させ続け」るエンジンから変速機のギアを介して必要な速度を得る仕組みであるため、複数のギアを切り替えて「ギア比」を変化させることでコントロールするからだ。
現代に連なる技術ではあるが、未だコンピュータ制御技術などが未発達で機械的な仕組みによってコントロールする装置であった時代をイメージして、こちらは「ディーゼルパンク」などと呼ばれる。時代感ではだいたい1920〜70年頃、スチームパンクの終わり頃から電子時代の手前ぐらいまでのイメージである。真空管などはスチームパンクよりディーゼルパンクの範疇だろう。

沖縄へ行こう:4日目(中部編)・5日目(首里編)

沖縄中部地域へ

4日目は那覇バスターミナルから43番系統で北谷ちゃたん町方面へ行ってみる。
この地域は「米国風」な地域があると聞く。

港川ステイツサイドタウン

港川バス停で下りて一本裏手に入ったあたりに、沖縄統治時代の米軍関係者向け賃貸住宅として建てられた鉄筋コンクリート造りの平屋住宅街がある。

www.okinawastory.jp

60年以上が経過しており老朽化著しいが、沖縄の住宅街にはない独特の雰囲気を持ち、また自由にリノベ可能ということで店舗などが多く入店しており、洒落たショッピングが楽しめる。

アメリカっぽさ」を売りとして、通りごとにアメリカの州名が付けられた案内板が。

ミシガン通りにあるオレンジ色の「Casa Machilda」は木のおもちゃを中心とした幼児向けおもちゃ屋

店内にはプレイルームもあって子供と一緒に遊ぶこともできる。

ネヴァダ通りの「黒糖カヌレ ほうき星」は様々なフレーヴァーを乗せたかわいい小粒のカヌレ屋。



こちらで買える焼きたてカヌレは日持ちしないが、空港内の店舗では日持ちする冷凍カヌレや黒糖クッキーも買える。可愛いので沖縄土産の新定番になる予感。







フロリダ通りの洒落た庭付き店舗「oHacorté」はフルーツタルトとサブレの店。



店内では美味しいフルーツタルトを食べられるほか、レモンケーキなら半月ほど、サブレなら1ヶ月半ぐらい日持ちするのでお土産にも。



なお、こちらも空港内に店舗がある。多くの土産物屋が連なる中央エリアではなく国際線エリア側なので注意。

美浜アメリカンビレッジ

バス停に戻り、同じく43系統で北谷方面へ行くと「アメリカ西海岸風」を謳うショッピングエリア「美浜アメリカンビレッジ」がある。
www.okinawa-americanvillage.com
バス停から海側へ15分ぐらい歩くと、派手な風合いの建物が見えてくる。
正直なところ「アメリカ西海岸風」なのかどうかはよくわからない。たしかにアメリカ系の服飾雑貨を扱う店なども入ってはいるのだが、むしろ「無国籍風」というか、わりと節操のないチャンポン感が。

正直なところ、「純正のアメリカン」である港川を見た後ではどうしても「偽物」感が際立ってしまうと言わざるを得まい。
どちらかというとここは観光地というよりも「地元民のショッピングスポット」のような気がする。

ただ、海岸沿いの風景は決して悪くない。



ここは西向きの海岸であり夕日が映えると聞くが、バスの最終は19時台で終わりのようで、夏場に夕日を眺めるには些か余裕が足りないのが残念。

おもろまち

この日は夕飯をどこで買おうか話し合った結果、一駅先のおもろまちまで行ってみることにした。
ここは米軍から返還された空き地を再開発した場所だそうで、リウボウが複合商業施設をオープンするなどして次第に商業施設が集まる「新都心」となりつつある場所である。那覇市街が空港から程近いために高層建築を規制されるのに対しおもろまちは規制範囲外のため、今後の発展が見込まれそうだ。
とはいえ現在のところは「どこの都市にもあるような」ショッピングセンターに過ぎず、沖縄県立博物館・美術館「おきみゅー」以外には観光客にとっての目新しさは乏しい印象。

首里城周辺地域へ

5日目はいよいよ首里城とその南側に残る古い石畳道へ。
とはいえ首里城の中核たる正殿を含めた建物は2019年の火災により全焼しており、一番の見所が失われている。さほど期待はせずに、ゆいレール首里駅へ。
駅からまっすぐに行くとすぐに首里城公園へ突き当たるが、守礼門のある正面側はぐるりと回らねばならぬらしい。歩くのが億劫ならバスで来た方が楽にアクセスできるだろう。

まずは守礼門をくぐる。

右には復元された石碑が、左には園比屋武御嶽石門そのひゃんうたきいしもんが。

歓会門を通って城壁内へ。

右手階段上には瑞泉門、その奥には漏刻門。左手には久慶門が見える。
奥の大きなプレハブは正殿再建区域。

石段を上り瑞泉門へ。階段状ではあるが各段は傾斜している。

門を通り、振り返って下町を眺める。

漏刻門は水の滴りで刻を測った「漏刻」が置かれたことに由来する。

城壁の上からの眺め。帰路側の久慶門と、今しがた潜ってきた歓会門が見える。

奉神門。中央は中国の使者など位の高い者しか通れない門であったとか。ここから先は有料区域となる。

中央の門は閉ざされている。

首里森御嶽すいむいうたきは場内に十あったという拝所の中でも最も格の高い場所であったという。

かつて正殿のあった場所全体は再建作業のため立ち入ることができない。代わりにというか、首里城復興の展示施設や休憩所の情報端末などで琉球王国の歴史を学んだりできる。
中国との関係が深かったことや薩摩藩の侵略を受け日本の支配下に置かれたことは知っていたが、「王の代替わりにあたっては中国からの使者を迎えて即位の儀式をせねばならない(琉球←→中国間の行き来には半月ほどを要した)とか、「新王が即位するたび江戸までの参勤が必要だった」とかは知らなかった。大変だな琉球王朝……

通路に沿って迂回し、奥側の遺構や見張り台であるあがりのアザナなどを見た後、久慶門を後にする。

守礼門側へ戻り、門の手前を左に抜けると琉球王国時代の16世紀頃に作られた石畳道に行ける。

どこからどこまでが16世紀の石畳道であるのかは定かではないが、そこに至る坂道もなかなかの風情。



たぶんこの辺りから先がそれではないかと思われる。




ガジュマルの聳える辻には休憩所。隣には水路で水を導いた共同の水場もある。


この先を更に下るとダムへと行き着くが、そのあたりにはバスの便もほとんどないため、ここから右に折れて坂を上り首里駅行きのバス停を目指すといい。



沖縄へ行こう:3日目(南部編)

沖縄旅行も既に3日目。
ペース配分を考えるならば少し休んでもいいぐらいだが、当初の予報では週の後半が雨かも知れず、行きたいところは行けるうちに行っておくが良い、ということで今日は斎場御嶽せーふぁうたき方面のバスツアーである。
沖縄随一の「聖地」として知られる斎場御嶽以外にも、そこから車で15分程度の場所に大きな鍾乳洞や渓谷もあり、いずれ劣らぬ奇景が楽しめるはずだ。

基本、ゆっくり写真を撮りたい我々はバスツアーをあまり好まない。今日行く場所も那覇バスターミナルから路線バス1本、1時間程度で行ける場所ではあり、ならば自力で行く方が自由度は高い……のだが、何故かこの2地点は近場にある観光名所であるにも関わらず、これらを結ぶバス路線が事実上存在しない。そのため自力で動くとなると一度那覇へ戻ってまた別のバスで1時間というルートになってしまう。ならば両方を巡る現地ツアーに申し込んだ方が良かろう、ということでまたも朝7時半からの行動となった。

バスガイドによる沖縄の地名や砂糖黍畑、戦史などの解説を聞きながら南城市へ。途中で通過するニライカナイ橋は初日の出スポットなどとして人気の場所だそうだが、ここから見える久高島は沖縄神話に於ける国生みの聖地であり、斎場御嶽に於いても男子禁制の御嶽入口から、国王が島を遥拝したのだという(工事のクレーンが屹立しており興醒めのため写真はない)。
到着は開場の9時より前だったので、公園で写真を撮りながら待つ。




斎場御嶽

斎場御嶽は山というか森というか、場そのものが聖地である。いちおう道は石畳で整備されてはいるものの、使われる石材は現地の多孔質な石灰岩であり凹凸著しく、また入口以降は階段なども用意されていない。そのため山歩きに適した靴で行くこと(ハイヒールなどは入口で止められる)。

鬱蒼とした森はそこかしこに巨岩や巨木があり、岩に開いたガマなどの前には石の香台が置かれ祈りの場となっている。

魅力的な景観なのだが、写真に収めてもなかなかその雰囲気が出ない。自然の景観むずかしい……


ぽっかりと開けた小さな湿地は戦中に艦砲射撃を受けた跡だそう。

最も有名な三庫理さんぐーい石灰岩の岩塊が引張応力による伸長節理で縦に割れたのち、地滑りによって傾いたものであるらしい。


かつてはこの割れ目にも入れたのだそうだが、今は柵で塞がれていた。
また、この地を再び男子禁制とすることも検討されているのだとか。

ガンガラーの谷

続いて斎場御嶽から15分程度の場所にある、おきなわワールドという有料観光施設へ。
www.gyokusendo.co.jp
ここは鍾乳洞「玉泉洞」を中心に、沖縄名物とされる「エイサー」や琉装、琉球王国下町風の建物など琉球/沖縄文化を(多分に「観光化された」ものではあるが)楽しめる観光施設となっている。
その向かいにあるのが、かつては玉泉洞とも一続きだった鍾乳洞が崩落したことで現れた渓谷を巡る「ガンガラーの谷」である。
gangala.com
ツアーはここで二手に分かれ、ガンガラーの谷を巡る80分ほどのツアーに参加するか、2時間ほどおきなわワールドを自由に散策するかの二択となる(ガンガラーの谷は事前予約が必要で、料金も異なるためバスツアー予約時点で分かれており現地で選択の余地はない)。

谷の入口にはサキタリ洞という大きな洞窟が残されており、ここはカフェとして営業している。

パラソルは日除けではなく、鍾乳石を滴り落ちる水滴を避けるためのもの。

ここは「港川人」と呼ばれる古代人骨の出土で知られる断崖の亀裂「港川フィッシャー」から1.5kmの距離であり、この遺跡も同時代の人類遺跡と見られる。
入口手前のシート部分は発掘調査現場であり、2万年前の釣り針(釣り針としては世界最古)などが出土している。


奥にはステージがあり、ライヴなども催される。

まずはここで地質・考古学的な説明を受け、1時間以上におよぶ行程の水分補給用にさんぴん茶の水筒を受け取ってツアー開始となる。

ここも斎場御嶽同様に深い亜熱帯森林に覆われている。

とはいえ自然のままの景観というわけでもなく、地元民によって移植されたジャイアント・バンブーなども。

沖縄といえばガジュマル。この木は枝からたくさんの根を垂らし、地に到達すると次第に太く成長し幹化する。そのうち元の幹が枯れ、そうやって移動してゆくのだという。


マムシグサのような赤い実を付ける、サトイモのような葉の植物はクワズイモ。食べると蓚酸の針状結晶で酷い腫れを引き起こすが、そんな植物の葉に緑色の巻貝。カタツムリではなく、アオミオカタニシだそうだ。

道端に貝殻。太古の海底に埋もれた化石か、それとも古代人によって捨てられたものか。

側を流れる川はかつてこの洞窟を作り上げた地下水流だったもの。

まずはランタンを手に、谷から続く洞窟へと入ってゆく。



洞窟を後にして、今度は渓谷へと踏み入ってゆく。


そしてトンネルを抜けた先に、ガンガーラの谷一番の目玉「大主ウフシュガジュマル」が現れる。




大興奮で撮りまくっていたので似たような写真が続いてしまったが、ご容赦頂きたい。
大主ガジュマルを抜けると石積みの、恐らくはここも御嶽の類が。


出口から谷を振り返る。

最後は樹上に設えたウッドデッキへ。

[
ここからは港川フィッシャーのある辺りも一望できる。

出口はおきなわワールド内。
これは園内に生えていたもの。どうやらタコノキの実であるらしい。

県庁前にて

バスツアーは13時頃には那覇空港へ、その後13:30頃には県庁前へ戻ってくるので、最終日の搭乗前に利用したり、午後に別の予定を当てることもできるだろう。我々はここまで全力で楽しみすぎてバテ気味だったので、この日は昼食を摂ってホテルへ戻ることにした。
県庁前に「楽園百貨店」と掲げたビルが。どうやらリウボウというデパートであるらしく、食べるところも豊富そうだったのでここに入ってみることに。
地下の食品街ではイートインもあって、買ったものをその場で食べられる。とりあえずここで昼食を済ませてから店内を一巡り。
2階はゆいレール駅と直結しており、また夕刻からは外側テラスがビアホールになるようだ。
4階の一部には那覇市の市民文化部が運営する歴史博物館があり、琉球王朝時代の文化財やかつての那覇市内のジオラマなどが展示されていた。

また、現在は特別展として沖縄海洋博の様子などが展示されている。このために那覇市内から会場へ向かうための高速道路が建設されるなど、良くも悪くも沖縄の近代化に大きな影響を及ぼしたものであったようだ。

デパートの屋上階は庭園になっていた。沖縄では屋上がテラスになっており植物を育てている家が多く見られるが、デパートも例外ではないようだ。


ところでこのリウボウなる店名、どうやら「琉球貿易」を意味するもので、遡れば米軍統治時代に貿易が禁じられた中で唯一の貿易窓口であった琉球貿易庁を起源とする商事会社であった由。
ここで買った刺身がとても美味しかったので、以降ここで晩飯を買うのが習いとなった。

福州園

ホテルに戻って一寝入りしていたら、愛妻がなにやら県庁前にあるという中国式庭園の情報を見せてきた。これはガイドブックや沖縄観光サイトなどにほとんど触れられていない「穴場」のようで、ちょうど7月初頭に改修を終え夜間ライトアップ公開を始めたばかりだという。
早速カメラを準備して出掛けることに。

www.okinawastory.jp
福州は琉球王国が明〜清朝への朝貢に赴く際の寄港地であった場所で、琉球との縁浅からぬ関係から友好都市関係を締結しており、10周年を記念して福州式庭園を造園したのだそう。












ところどころに区切りとなる壁があり、異なる景色を切り替えていることで園内を面積以上に広く感じさせている。

壁の小窓はそれぞれに違った透かし彫りが施される凝りよう。


園内からは月が。この日は満月の前日であったらしい。

19時を過ぎ、暮れゆく園内を楽しむ。足元が暗くなるため、段差のある箇所などは閉鎖されて通れなくなっていたのはちょっと残念。次は明るいうちにも来たい。



四阿天井の見事な細工。

ガンガラーの谷と同じぐらいに撮りまくってしまった。これだけ楽しめて300円は公営ならでは。
ゆいレール「県庁前」駅から沖縄タイムス本社側へ、国道58号線を渡って5分ぐらいと行きやすい場所なので、是非訪れてみて欲しい。

沖縄へ行こう:初日〜2日目(北部編)

当日:空港〜国際通り周辺

出発の前々日に元首相暗殺事件でヴァカンス気分が吹っ飛んでしまった……だからなんなのこのタイミングの悪さ(無論、事件に「良い」タイミングなどないのだが)。
とはいえ容疑者は逮捕されており、同様の犯行が続く気遣いはない。べつに航空便がなくなったわけでなし、今更スケジュール変更もできないので、気にしないのが一番だ。投票は事前に済ませているのだし。

2時間ぐらい余裕を持って出るつもりが直前に対応せざるを得ない案件が飛び込んできたため、思ったよりギリギリに。空港内でもターミナルまでバス移動が発生し、だいぶ慌ただしい出発となってしまった。

昼過ぎの便で羽田を発ち那覇へ。

那覇空港からはゆいレール安里駅へ向かう。

沖縄唯一の固定軌条交通機関であるゆいレールは2輛編成のかわいいモノレールであった(現在、3輛化に向け駅工事中)。駅間も空港〜次駅以外は1km以内と非常に短かく、どうやらこれは鉄道というより「渋滞しない、定刻で運行されるバス」的な存在なのだということがわかってくる。

Hotel AZATは駅の目の前(この写真には写っていない)。道の反対側には24時間スーパー「リウボウ」もあるのだが、生憎と店内改装のため休業中だった。


飛び抜けて優れたホテルというわけではないが、観光の拠点地として必要十分なサービスを備えている。
駐車場のある地階にはコインランドリーがあって毎日洗濯ができ(洗濯は1回300円、ガス乾燥機は10分あたり100円。洗剤も含め1回の利用で二人分につき700円程度)、大浴場はないが各室のユニットバスで体を洗うことはできる。
ひとまずチェックインを済ませ荷物を置いた後、夕食も兼ねて国際通りへ向かってみる。



建物がいちいち楽しく、撮りながら歩いていたら通りの中程で平和通り商店街に吸い込まれた。


Kaisouさんという2軒並びのブティックはオリジナルデザインのシャツや貝殻を加工したアクセサリなどを販売しており、デザインが素敵だったのでTシャツなど購入。


その勢いでアーケードを制覇して歩く。金沢で1日目に街を撮るのにハッスルしすぎた教訓とはなんだったのか。





途中で見付けた古い沖縄屋根 雑貨店「じーさーかす」さんでは昭和中期のおもちゃやガラス器などのほか、沖縄米軍統治時代の切手など紙ものも充実。紙好きの愛妻が舞い上がって山ほど買い込んでいた。

浮島通りから国際通りへ戻る頃にはすっかり日も暮れ、適当な居酒屋でとりあえず飯。



2日目:美ら海水族館

「ここだけは絶対行きたい」場所は先に行っておくに限る、ということで2日目を美ら海水族館に当てることに。世界最大規模の大水槽で名高い、沖縄でも有数の観光スポットである。
旭橋駅那覇バスターミナルから1時間に1本ぐらいの割合で出ている高速バス117系統で2時間ほど。8時半から開館なので、最速なら7:10の 便で9:13着、と意気込んでターミナルへ向かったところ「高速バスのチケット販売所は7:30始業」とのことで前日に買っておかないと始発は間に合わないのだった……
仕方なくファミリーマートで朝食を買い待合室で次の便を待つ。

バスを下りるとすぐ海洋博公園である。
https://oki-park.jp/kaiyohaku/
門から真っ直ぐ開けた先には伊江島が見える。

ここは沖縄返還後すぐに日本本土復帰記念事業として行なわれたExpo'75沖縄国際海洋博覧会の会場だった場所で、とにかく広い。水族館だけでなく海洋文化館や3つの植物園、エメラルドビーチなど、ここを回るだけでも3日ぐらいは必要になりそうな規模だ。

園内のあちこちには日除けを兼ねて大きく枝を広げた植物が植えられており、思わず寄り道してしまってなかなか水族館に辿り着かない。


水族館の入口はコンクリート打ちっ放しの、神殿を思わせるような建物だった。


高台にあって、眼下には沖縄の海が一望できる。

入館すると、まずは日光の射し込む明るい水槽。ここから、大きな水槽のまわりを巡りながら複数の様相を見つつ進んでゆく。



沖縄の海には様々な生物が棲息し、危険なものも少なくない。ここでは模型を用い、光によって危険部位を見せていた。

個別の水槽も楽しい。






そして一番の目玉、大水槽。





水槽の隣はレストランになっており、悠然と泳ぐ魚たちを見ながら食事ができる。

ソーダ味のソフトにアラザンを散らした「じんたソフト」。


大水槽の先はほどなく出口。すごい水族館ではあったけど大型水槽以外の展示は思ったより控え目かな……とか思いながら館を出たら、その先にとんでもないものが待っていた。




メガマウスリュウグウノツカイなどアカマンボウ目の大型魚、ウバザメの液浸標本である。
クジラ類の全身骨格やホオジロザメもある。


超広角があったから収められたが、なかったら危なかった。

更には別棟で亀やジュゴンなどの展示も。

そして海。
水族館を出て右手にはエメラルドビーチがあり、そちらでは海水浴も可能だが、暑くて遠出はしたくなかったのでジュゴン館そばの浜で水辺を撮影してきた。





「浜の真砂」はみんな珊瑚や貝殻なのだった。

帰りのバスは最終が17:30頃。まだ時間はたっぷりあったが暑さに堪えかねたので、明日以降に体力を温存するために諦めて戻る。本当は植物園も海洋文化館も行きたかった……次また沖縄に来ることがあればこの近くに宿泊しよう。

高速バスで県庁前に戻る。
黒川紀章設計の庁舎はコンクリート造りの細かい桟に覆われた真っ白な建物で、沖縄に特徴的なコンクリート住宅の「花ブロック」を意識しているのだろうか。

沖縄の特徴的な家屋といえば漆喰で硬めた赤土瓦に覆われた傾斜の緩い四方下がりの屋根を持つ低い平屋だが、戦後の建物はほぼコンクリート造りで穴の空いたブロックを用いて柵や採光窓が作られている。本州などでも昭和中期の建物ではしばしば見られた手法ではあるが、沖縄は現代でも一般的に広く用いられ、専用のブロックが製造されているそうだ。
沖縄は珊瑚礁などから成る石灰岩が多くコンクリート製造も盛んで、それが戦後の住宅様式にも影響しているのかも知れない。

大通りの入口に立つシーサー。

沖縄に来る前は、シーサーといえば「狛犬」のようなもの、程度の認識しかなかったのだが、実際にはもっと身近な「魔除け」の風習であるようで、ほぼあらゆる入口には、それこそ民家の門や扉からコンビニの入口、駅の改札に至るまでシーサーが睨みを利かせている。

国際通りの脇で見掛けたモッズ。1960年前後にイギリスの若者に流行ったという、スクーターを多数のサイドミラーやライトなどで飾り立てるスタイルだが、非常にセンス良くまとまっている。

沖縄へ行こう:準備編

会社の勤続記念でもらった旅行券では金沢に行ったのだが、この時は土日を含め3日間の行程だったので有給を1日取ったのみで、同時にもらった「連続1週間の休暇」の方が浮いてしまった。これは特別な休暇であり1年で失効するので、期限内に絶対使ってくれと労組から言われており、じゃあちょっと遠いところに観光に行こうかということになった。
本当なら海外に行きたいところだったが、生憎とコロナ禍で最大2週間ほどの隔離を強いられる状況では現実的でない。思えば結婚したときにも、休暇と旅行券もらったので海外に行こうかと思ったらアメリカ同時多発テロ事件でちょっと飛行機旅行どころではない感じになってしまったのだった……なんなのこの間の悪さ。
さておき、ならば国内旅行で普段あまり行けない距離、ということで沖縄へ行ってみようということになった。

日程を決める

早いに越したことはあるまい。
なにしろ未だコロナ禍ではある。ワクチンも普及して一時期ほどの脅威感はなくなっているとはいえ、また新たな変異種が増加しつつあるようで次の大きな波がいつ来ても不思議ではなく、情勢が落ち着いており動ける状況のうちに動いておくべきだろうと思われる。ついでに言えば夏休みが近づくと料金も跳ね上がるので、オフシーズンを狙いたい。
月初と月末は仕事の都合で休みにくいので、月中の二週間を想定。

予定を立て始めた5月後半時点では、沖縄は梅雨真っ盛りであった(だからオフシーズンなのだが)。雨そのものは嫌いではないが、観光では傘で手の塞がる状態はあまり嬉しくないし、どうせなら真っ青な夏の海を撮りたい。
その上、5月末に那覇で大雨による洪水が発生。すると6月の半ばではまだ被害から復旧しつつあるあたりと思われ、観光にはどうにもタイミングが悪い。そういえば結婚前、はじめて二人で旅行しようかと計画していたときにも予定先の名古屋で洪水が……なんかそういう運命でも引き当てたのか。
そうすると梅雨が明ける6月下旬以降にした方がなにかと良さそう、ということで7月の第二週に計画を延期したところ、梅雨はさっさと明けて台風シーズンに突入してしまった。幸いにして台風は初週のうちに抜けてくれたので、飛行機が飛ばないとか着いても部屋から出られないといった事態にはならずに済んだが。

旅行代理店を比較する

知らない場所への旅行にあたっては、ツアーパックを利用するのが最も手軽ではある。旅券に宿の手配、現地の主要な観光地までの移動手段。ガイドされるままに動くだけでそこそこ満喫できる仕組みだ。
ただ、過去の経験から、時間単位で行動が決められているツアーパックはあまり自分たちに合わないことがわかっている。だいたい興味ある場所では圧倒的に時間が足りず、そうでない場所では時間を持て余すことになるので、「現地へ移動してあとは自由行動」な方が都合がいい。

というわけで旅行代理店各社で「航空券+宿泊」のみのプランを検索してゆく。
いくつかの旅行会社を見てみたところ、サイト構成が似通っているところが多い。恐らくは独自構築ではなく、旅行代理店向けのシステムが販売されているということだろう。
そうした会社は旅行プランについても提携先が少なめで、あまり選択の余地がないところが多い。「特定会社の旅行券を使う」などの目的(金沢の時がそうだった)でない限りは、大手に頼った方が何かと良さそうだ。

楽天トラベルは流石に自社製で、ホテルの一覧を「地図上に表示」する機能を持っているのは良い。ただ施設写真などはごく少数で、代わりに情報の少なさを補うためか動画で掲載が可能になっている。正直そう見やすいわけではない。

サイトの出来が一番良いのはJTB、流石は元国策会社だけあってシステム構築にもちゃんと金がかかっている。
出発日と帰着日を同じカレンダー上でクリックするだけで指定可能で、便の選択画面下に表示されるホテル一覧には多数の写真が掲載されて雰囲気も掴みやすく、「駅から徒歩5分以内」「夜景が見える」「温泉の泉質効能」など多彩な条件で絞り込めるのは流石(マップ上へのホテル一覧表示も可能だが、動作が重いのでオススメしない)。掲載件数も多く、ここ一社でほぼ用が済んでしまう感がある。
ただ料金は全体にやや高め。JTBで申し込むとホテルで特別なサービスが付いたり空港で専用ラウンジが利用できたりするらしいので割高なりのお得もあるようだが、今回のように素泊まりでの申し込みだとそのあたりはあまり効いて来ない。
また料金表示が総額ではなく「1名あたり」となっているので、他社との比較の際には注意を要する。

HISのサイトも基本的に出来が良く、必要な情報がよく纏まっている……のだが、微妙に「行き届かない」感がある。たとえば一覧画面からホテルを選択すると「プランが見付かりません」と出てしまう(「このホテルのプラン:n件」をクリックするとプランが出てくるのに)とか、写真の解像度が妙に低いとか、「もうちょっとメンテナンスをしっかり」と言いたくなる。
その代わりというべきか、JTBに比して1〜2割ぐらい安い。

一休.comなど、「宿」をメインとした旅行サイトもある。魅力的な宿ばかりであり、思い切ってリゾートを満喫するなら良いのだが、今回は宿より観光に重きを置くので需要と噛み合わない。

ホテルを選定する

沖縄はシーサイドリゾート地なので、ラグジュアリーな感じのリゾートホテルはだいたい海近くにある。空港のある那覇市とて海に面してはいるが、シーサイドのホテルはいずれも中心街からはやや離れた位置となりリムジンバスで送迎という感じになる。
そういうホテルの内装などを楽しみたいという思いもないではなかったが、我々はあまり泳ぎに興味がない。海を撮りに行くぐらいはしようと思っているが、積極的にオーシャンビューを求める必要もない気はする。
むしろ街中観光をメインに据える場合、ホテルは寝泊まりの場所と割り切って交通アクセスの良いホテルを当たった方が、何かと楽そうだ。

沖縄旅行で一番の懸念といえば交通である。旅行代理店のプランでは当然のように「レンタカー付き」が選べるわけだが、なにしろ我々夫婦は運転免許を持っていないので、「何をするにも車で移動」は困る。
しかし2003年に沖縄初の鉄道(と呼んで良いのかどうかはわからないが固定軌道旅客交通手段ではある)、「ゆいレール」が開通。 これで沖縄旅行もばっちり!……と思ったらゆいレール沖縄本島南西部の北側、つまり那覇市周辺しかカバーしてないようだ。
まあ未知の土地テラ・インコグニタなのでその範囲でもそれなりに楽しめるとは思うが、滅多に来れない場所であるからには心残りなきよう多くのスポットを巡りたくもなる。すると流石にゆいレールのみでは対応し切れまい。
当然ながら鉄道が未発達なぶんだけバス網が発達しており、少なくとも南西部地域の主要観光地はだいたい対応できるはずだ。どうやら本島北端地域を除けば、1日3000円でゆいレール・バス乗り放題券が利用できるらしい。
とはいえ「観光地までの交通に都合良いバス停が近い」かどうかを絞り込むのはちょっと大変なので、とりあえずゆいレールの各駅はそれなりにバスとのアクセスが良いだろうと推測し、細かい条件で絞り込めるJTBのサイト上で「駅から5分以内」のホテルをピックアップし、金額と設備のバランスを考慮しつつ「HOTEL AZAT」を選定。ゆいレール安里駅の斜向かいという近さで、これなら空港からの往復で荷物を抱えた状態でも、あるいは観光で疲れた足でも楽にたどり着けるだろう。

後からバスルートを調べたところ、主要なバスはだいたい旭橋駅前の「那覇バスターミナル」からの発着であるらしく、そちらに近いところの方が便利ではあったか知れない(その分宿泊費用も高いのだが)。まあ安里から旭橋まではわずか4駅なので大した違いはあるまい。

旅行の準備

沖縄の日差しは強烈だと聞く。現住な日焼け対策が必須で、暑いからといって半袖など以ての外だそうだ。というわけで白を基調としたUVカットの長袖を用意したい。汗もかくだろうから速乾性のもの、それでいてアウターとして着用可能なもの、ということでスポーツ用のドライメッシュTシャツと、上に羽織る白の長袖を用意。また折り畳みの日傘も準備する。
荷物はなるべく少なくしたいので、服は2日分。大抵のホテルにはランドリーがあるので、替えがあれば用が足りるはずだ。
泳ぐつもりはないので水着は持って行かないが、足を水に浸すぐらいはするかも知れないのでサンダルで行こうか。

暑さ対策

沖縄の気温は関東より低いというが、それは必ずしも「涼しい」ことを意味しない。日中の気温は30℃を越えているし、湿度も高めで、なにより日射しの熱量が高いので体感気温は決して低くはないはずだ。その中を出歩こうというのだから対策には念を入れたい。
飲料は現地調達でいいとして、体を冷やすためにPCMネッククーラーを導入。「猫舌のためのマグ」などで知られるようになった、「長時間一定温度をキープする」素材で、ひんやりする程度の温度を保ってくれる首輪である。

カメラ

夫婦とも写真が趣味なので、観光では撮影も大きな目的のひとつである。
旅行先へはそうたくさんレンズを持っては行けないし、過去に色々試した結果として付け替えの間にチャンスを逃しやすいので、なるべく汎用に使えるレンズで行った方が何かと良いことがわかっている。
妻のレンズは広角から中望遠、寄りの写真まで1本でこなす汎用レンズM.ZUIKO 12-40mm F2.8 PROなので付け替えの必要はないが、自分用にはそれに準じたレンズを持ち合わせていない。最近は標準と望遠のちょうど中間域にあたる程良い画角で立体的なボケがつくれ、寄りも充分にこなせる7artisans 35mm F0.95をメインに使っているが、流石に沖縄となれば広く撮りたい場面が多かろうと思われ、今回は思い切って新発売のLEICA SUMMILUX 9mm F1.7を導入してみた。
また、星空が撮れることを期待して軽量な小型三脚とソフトフィルターを用意。役立つといいが。

バッグ

観光中はなるべく身軽でいたい。
着替えと充電器、マスクなど消耗品は大きめのバッグに詰めて持ち込みホテルに置いてゆくとして、最低限持ち歩く荷物はカメラ+レンズ、iPad、財布、晴雨兼用の折り畳み傘、タオルハンカチ、ポケットティッシュ程度か。これらはいつも使っているショルダーバッグに入れる。
新たに導入した超広角レンズが画角の関係でフィルタ重ね付けできないため都度付け替えが必須で、また中望遠の方はセンサ焼けを防ぐためにレンズキャップが欠かせないので、それらを収納するために小さなポーチを追加。

観光先を調べる

いつものように鉄道駅起点ではなく路線バスでの移動がメインとなるので、行きたい場所へのアクセスは予め調べておいた方が良さそうだ。
というわけでガイドブックなどを参考に行ってみたい場所を拾い出す。メジャーどころだけあってあらゆる旅行ガイドブックから沖縄本が出ているので書店で見比べ、情報のバランスが良さそうだったJTB出版の「ソロタビ」を選出。一人で気軽な一泊二日からのプランを紹介、コンパクトながら必要な情報が読みやすくセンス良くまとまっている。

予めバスマップ沖縄から目的地までのバス路線と時刻表を調べ、独自の観光マップをまとめておいた(のだがうっかり持ってくるのを忘れた。まあ調べたことで頭に入っているので無駄ではないが)。

宿泊地域が那覇中心街、国際通り東エリアなので、主な行動範囲は本島南部〜中部エリアということになるだろう。
ただ、がっちりしたプランは組まない。どうせ当日の気分次第で予定など変わるので、あくまで「行ってみたい場所への行き方」程度に留める。

旅に軽量ミニ三脚を

旅行用の三脚を考える。
日帰りや一泊程度の短い旅行であれば三脚なんか必要ない。撮れる範囲で撮れば十分だ。けれど纏まった休暇を得てしっかり旅行するならば、なるべく多くを撮れるようにしたい。もちろん携行するレンズも限られるから本腰入れた撮影は無理でも、三脚のひとつぐらいはあったほうが良いのではないか。
夜景などの撮影用に軽量な伸縮式三脚は用意してあるが、これはあくまで三脚を使った撮影を目的として行動するときのためのものである。比較的小型軽量とはいえ、なるべく身軽にしたい旅行で携行することを前提としてはいない。
旅行用の三脚には、旅先で負担にならないサイズと重量に収まることが求められる。脚は伸びなくていい、カメラを手放しで安定させられれば十分だ。ただ、できれば雲台は自由の利くボールマウント、カメラとの接続は手軽なクイックシューにしたい。

実は、一台でそれをすべて備えた商品が既にある。

ULANZI MT-46

自重
335g
耐荷重
1kg
雲台
ボール
価格
4939円

アルカスイス互換のクイックシュー、ボール雲台を備えた三段伸縮式のミニ三脚。ポールを伸ばせば高さ32.5cmになり、脚を畳んだ状態ではグリップとして自撮り棒などに使える。

これで十分といえば十分だが、もう少し軽くすることは可能だろうか。できれば1万円を超えない範囲で済ませたい。

三脚

まずは軽い三脚を物色する。
以前に軽量三脚を探したときにも実感したが、三脚の重さは安定性とも直結しているので闇雲に軽くすればいいというわけでもない。とはいえ伸縮式の三脚とは異なり低い位置で使うものなら、重心がそう高い位置には来ないので軽くてもそれほど安定性が悪くはないはずだ。
どちらかというと耐荷重のほうが問題になってくる。超軽量の三脚はそもそもポケットサイズのコンデジやアクションカメラ、スマートフォンなどを想定していることが多く、1kg前後のカメラを支える性能がない場合もある。

DJI pocket2 micro tripod

自重
27g
耐荷重
250g?
雲台
なし
価格
3019円

細い金属の脚が開くだけの単純な機構であり、角度調節も何もない。その分だけ軽さとコンパクトさは飛び抜けており、全長わずか7cm、重量27gだという。
ただこれ、耐荷重がわからない。そもそもDJIのジンバルカメラに付属する超小型三脚であり、120gぐらいの小さなものを支える前提であってミラーレスを想定したつくりではないと考えるべきだろう。実際、脚の長さは5cmほどしかないので支えられる範囲も高が知れている。
類似した商品でJOBYのマイクロトライポッド https://amzn.to/3mo0Y9L というものもあるが、これも耐荷重250gということになっており、これもさほど違いはなさそうだ。
とりあえず今回の候補からは外す。

Manfrotto PIXI mini

自重
190g
耐荷重
1kg
雲台
ボール
価格
2864円

ミニ三脚の代表格。球の下に長楕円形の脚が突き出た見た目はちょっとタコっぽいが、要するにボール雲台とグリップを兼ねる脚を最小限にまとめたデザインである。
わずか190gと破格の軽さで、しかも耐荷重1kgと観光時のカメラ/レンズ構成なら十分支えられるだろうスペック。クイックシューはないが、本命といって良いだろう。

ゴリラポッド

自重
197g
耐荷重
1kg
価格
4140円
雲台
ボール雲台付属

言わずと知れたフレキシブル三脚の代表格。脚が曲がるため全長を縮めて収納することも可能で、柵などに巻き付けて固定することもできるので柔軟な運用が可能。反面、安定的に水平を確保するようなことはあまり得意でない。
耐荷重の違いでいくつか種類があるが、これは1kg程度を支えられるもの。

CHIHEISENN

自重
210g
耐荷重
2.5kg?
雲台
ボール
価格
1499円

商品名不詳。マンフロットPIXIのデッドコピーのようだが脚部が伸縮式となっている。耐荷重2.5kgとあるがちょっと信用しにくい……まあ1kgぐらいまでなら大丈夫なのかな……

Velbon M32 mini

自重
218g
耐荷重
1kg
雲台
ボール
価格
2374円

ミニ三脚にありがちな「カメラグリップとしての利用」を想定していないオーソドックスな三脚デザインだが、脚は伸縮しない。マンフロットPIXI miniの方が軽くてコンパクトなので、2割ぐらい安いことぐらいしか利点がない。

Koolehaoda MT-02

自重
360g
耐荷重
10kg
雲台
なし
価格
3980円

全長23cmほどのコンパクトな三段伸縮三脚。ローアングル対応と耐荷重は頼もしいが、雲台を付けると500g近くになってしまうこと、また脚を伸ばしても高さ33cmほどに過ぎず、いささか半端の感は否めない。大型のカメラ/レンズを運用しつつ大型の三脚を使わず軽量化したいときには有効か。

SWFOTO T1A12

自重
387g
耐荷重
5kg
雲台
ボール
価格
7200円

SmallRigのミニ三脚あたりのコピーという感じだろうか。URANZIのMT-46と比較すると高価で重く優位性はないが、SmallRigなどのしっかりしたミニ三脚よりはだいぶ軽い。雲台が水平回転可能で目盛付きなので、水平に振る撮影を想定するならば意義がある。

SLIK MEMOIRE T2

自重
125g
耐荷重
2kg
雲台
なし
価格
2255円

シンプルにただ水平近くまで開くだけのローアングル専用三脚。安価軽量な割に耐荷重が高く、軽量構成には最適だが、雲台もないため価格競争力の点では一歩及ばない。

VANGUARD VESTA TT1

自重
156g
耐荷重
2kg
雲台
ボール
価格
3423円

グリップにもなるローアングル三脚。軽量でボール雲台も付いており、耐荷重も2kgと申し分ない。クイックシューを含めてもURANZI MT-46より少し高い程度に収まるだろう。
Manfrotto PIXI miniと並ぶ本命。

雲台

カメラの向きを変更するための雲台が備わっていない三脚もあるので、軽量な雲台を探しておく。

SLIK SBH-61

自重
48g
耐荷重
1kg
価格
2355円

軽量なボール雲台。耐荷重がもうちょっと欲しいところかも知れないが、これ以上となると(主張の怪しい中国製以外では)どうしても重量が嵩む。

クイックシュー

三脚へカメラを取り付けるために雲台に備わったネジを使うと、つけ外しにちょっと手間がかかる。クイックシューは予め雲台側に台座を、カメラ側にプレートを、ネジ止めしておくことで瞬時に脱着が可能なようにしてくれるアイテムだ。
台形のプレートをネジで挟み込んで止める「アルカスイス」方式がデファクトスタンダードになっているが、これだと「下からネジで止める」代わりに「左右から止める」だけなのでイマイチ着脱が早くない。そこで最近はボタンやレバーひとつで着脱可能なジョイントが作られている。

ULANZI F38

MT-46にも付いているクイックシュー。アルカスイス型準拠のプレートにワンタッチ着脱の構造が追加されたもので、アルカスイス式のクランプを持つ製品に対応しつつF38の台座であれば瞬時の着脱ができる。汎用性を重視するならばこれが良さそうだ。

SmallRig Hawklock3513

小さなプレート下部に爪を持った円柱状の突起があり、これを台座がしっかり挟み込んで止める形式。安定性が高いが、突出部が2cmぐらいあるので若干気になる。

ULANZI F22

非常にコンパクトなクイックシュー。アルカスイス型のF38を小型化したような構造で、前後にスライドして固定する。SmallRigのものと違ってカメラ側のプレートが薄いので邪魔になりにくい。

ULANZI Claw

こちらもULANZIの小型クイックシュー。なぜ複数の規格を作ったのかは謎だが、こちらはF22と違って上から嵌め込む形。リリースボタンをスライドすることでロック可能。

Vlogger クイックリリースクラン

他社のものより台座・プレートともに薄く軽量だが、なぜか台座後端にプレート上端より飛び出た部分があるため取り付け位置によってはカメラ底面と干渉しそうな気がする。