沖縄中部地域へ
4日目は那覇バスターミナルから43番系統で
この地域は「米国風」な地域があると聞く。
港川ステイツサイドタウン
港川バス停で下りて一本裏手に入ったあたりに、沖縄統治時代の米軍関係者向け賃貸住宅として建てられた鉄筋コンクリート造りの平屋住宅街がある。
60年以上が経過しており老朽化著しいが、沖縄の住宅街にはない独特の雰囲気を持ち、また自由にリノベ可能ということで店舗などが多く入店しており、洒落たショッピングが楽しめる。
「アメリカっぽさ」を売りとして、通りごとにアメリカの州名が付けられた案内板が。
ミシガン通りにあるオレンジ色の「Casa Machilda」は木のおもちゃを中心とした幼児向けおもちゃ屋。
店内にはプレイルームもあって子供と一緒に遊ぶこともできる。
ネヴァダ通りの「黒糖カヌレ ほうき星」は様々なフレーヴァーを乗せたかわいい小粒のカヌレ屋。
こちらで買える焼きたてカヌレは日持ちしないが、空港内の店舗では日持ちする冷凍カヌレや黒糖クッキーも買える。可愛いので沖縄土産の新定番になる予感。
フロリダ通りの洒落た庭付き店舗「oHacorté」はフルーツタルトとサブレの店。
店内では美味しいフルーツタルトを食べられるほか、レモンケーキなら半月ほど、サブレなら1ヶ月半ぐらい日持ちするのでお土産にも。
なお、こちらも空港内に店舗がある。多くの土産物屋が連なる中央エリアではなく国際線エリア側なので注意。
美浜アメリカンビレッジ
バス停に戻り、同じく43系統で北谷方面へ行くと「アメリカ西海岸風」を謳うショッピングエリア「美浜アメリカンビレッジ」がある。
www.okinawa-americanvillage.com
バス停から海側へ15分ぐらい歩くと、派手な風合いの建物が見えてくる。
正直なところ「アメリカ西海岸風」なのかどうかはよくわからない。たしかにアメリカ系の服飾雑貨を扱う店なども入ってはいるのだが、むしろ「無国籍風」というか、わりと節操のないチャンポン感が。
正直なところ、「純正のアメリカン」である港川を見た後ではどうしても「偽物」感が際立ってしまうと言わざるを得まい。
どちらかというとここは観光地というよりも「地元民のショッピングスポット」のような気がする。
ただ、海岸沿いの風景は決して悪くない。
ここは西向きの海岸であり夕日が映えると聞くが、バスの最終は19時台で終わりのようで、夏場に夕日を眺めるには些か余裕が足りないのが残念。
首里城周辺地域へ
5日目はいよいよ首里城とその南側に残る古い石畳道へ。
とはいえ首里城の中核たる正殿を含めた建物は2019年の火災により全焼しており、一番の見所が失われている。さほど期待はせずに、ゆいレールで首里駅へ。
駅からまっすぐに行くとすぐに首里城公園へ突き当たるが、守礼門のある正面側はぐるりと回らねばならぬらしい。歩くのが億劫ならバスで来た方が楽にアクセスできるだろう。
まずは守礼門をくぐる。
右には復元された石碑が、左には
歓会門を通って城壁内へ。
右手階段上には瑞泉門、その奥には漏刻門。左手には久慶門が見える。
奥の大きなプレハブは正殿再建区域。
石段を上り瑞泉門へ。階段状ではあるが各段は傾斜している。
門を通り、振り返って下町を眺める。
漏刻門は水の滴りで刻を測った「漏刻」が置かれたことに由来する。
城壁の上からの眺め。帰路側の久慶門と、今しがた潜ってきた歓会門が見える。
奉神門。中央は中国の使者など位の高い者しか通れない門であったとか。ここから先は有料区域となる。
中央の門は閉ざされている。
かつて正殿のあった場所全体は再建作業のため立ち入ることができない。代わりにというか、首里城復興の展示施設や休憩所の情報端末などで琉球王国の歴史を学んだりできる。
中国との関係が深かったことや薩摩藩の侵略を受け日本の支配下に置かれたことは知っていたが、「王の代替わりにあたっては中国からの使者を迎えて即位の儀式をせねばならない(琉球←→中国間の行き来には半月ほどを要した)とか、「新王が即位するたび江戸までの参勤が必要だった」とかは知らなかった。大変だな琉球王朝……
通路に沿って迂回し、奥側の遺構や見張り台である
守礼門側へ戻り、門の手前を左に抜けると琉球王国時代の16世紀頃に作られた石畳道に行ける。
どこからどこまでが16世紀の石畳道であるのかは定かではないが、そこに至る坂道もなかなかの風情。
たぶんこの辺りから先がそれではないかと思われる。
ガジュマルの聳える辻には休憩所。隣には水路で水を導いた共同の水場もある。
この先を更に下るとダムへと行き着くが、そのあたりにはバスの便もほとんどないため、ここから右に折れて坂を上り首里駅行きのバス停を目指すといい。