批判と「上から目線」

しばしば批判的言論に対し「上から目線で語るな」といった批判を目にする。とりわけニセ科学批判への批判などに多いようだ。
こう言う人はつまり「上から目線」は赦し難いと考えているのだと思われるが、それは何故なのか。

うえ-から-めせん【上から目線】見下したような態度。

批判という行為には少なからず「相手を下に見る」部分が存在する。批判=相手が理解できていない点を指摘する」行為であるからには致し方ない。態度として相手の実力を高く評価するかどうか、といった差はあるものの、批判を行なう以上は批判されべき点に於いて相手の実力を低く見ざるを得ない。
従って、批判に対し「上から目線である」という批判はあまりに当然の指摘であり、意味のあることとは言えない。
にも関らず、何故そのような指摘が繰り返されるのか。


攻撃的態度は大概、劣等感の裏返しである。また明示されない文意の推測は相手の思考トレースというよりもむしろ自身の思考暴露となる例が多い。
つまり、「こいつは俺を見下しているに違いない」という発想は、自身が周囲を見下したいと思っていること、その分野について劣等感を抱いていることを示すものと言える。
その上でニセ科学批判への批判としての「上から目線で語るな」を鑑みるに、発言者は恐らく科学分野に劣等感を抱いており、ためにその方面で一流の論者を批判することにより自分よりも下位に置き、自身の立場を高めたいと考えているのではないか。
無論、ここで科学としての説明部分を的確に批判することができれば目論見は成功と言えるのだが、それをするには自身の能力が不足している。そこで論そのものではなく瑣末な表現や態度を批判しようと試みるのであろう。


これらは科学に限ったものではなく論争全般に言えることである。論旨より態度を批判するような物言いは基本的に言い掛かりの範疇で、まともな論議とは言えない。
態度そのものの批判に意味がないとは言わないが、それを以て大元の議論に「勝った」と考えるのは間違っているとは言える。