「我々の主張を認めない科学は間違っている」ニセ科学批判など行なっていると頻繁に目にする決まり文句である。代替医療で、陰謀論で、古代文明で、宗教で。私たちが淡々と「それは事実に反する」と告げると、君たちは決まってそう言う:「科学の方が間違っているのだ」と。
君たちには科学を根底から覆すだけの覚悟があるのか。
科学とは「確認された事実の積み重ね」である。いや、先端分野では検証の済んでいない仮説も含むから100%事実のみで構成されているわけではないが、それらも事実の上に成り立っているものであり、事実とその延長線上だけで構成されているとは言える。
従って、科学を否定するということは世界を否定することに他ならない。恐らく君たちの脳内では自らの信ずる何かと世界が矛盾なく共存し合えると思っているのだろうが、その何かが科学を否定するものである限り、それは有り得ない。
例えばホメオパシー。「病と同種の症状を引き起こす毒」で治療が可能かどうかはさておき、薬効成分が1分子たりとも含まれぬまでに希釈した只の水で治療できるわけがない。「水に波動が転写されて」とかなんとか説明しているようだが、波動の転写などという現象が本当に確認されたら、今まで積み上げてきた素粒子物理学は1から出直しである。これは学術の1分野が間違っていたなどという生易しいものではない:科学とは互いに関連し補強し合う一個の巨大な集合体であり、その1分野が消失するということは関連分野を中心にこれまで確かめられてきた事実のすべてが嘘だったことになるということなのだ。
だからどうした、と君は言うかも知れない。それはあまりに事態を理解できていない発言だ。現代社会のすべては物理学の上に成立している。例えば相対性理論が間違っていればGPSは機能せず、日頃便利に使われているカーナビなんてものもない。そもそもPCのCPU設計ですら、相対性理論とは無縁でいられないのだ。君がこれを読んでいるPCや携帯も存在しなくなる。あるいは200年ほど積み上げられてきた現代医学が否定されるということは助かった筈の患者が助からなくなるということであり、それは君に連なる血統のどこかで早過ぎた死が訪れている可能性が非常に高く、君も私もこの世界に存在しなかっただろうということになる。もっと言えば、素粒子の振舞いが否定されるということは地球の、いやこの宇宙の存在そのものが全く異なった形になるということだ。
科学の否定というのは、それほどに重い。「現代社会+未知の存在」などという世界はどこにもなく、「ニセ科学を拒絶した現代世界か、ニセ科学の根拠とする謎の理論体系に基づく別の宇宙か」という二択しかないのだ。
君には、この宇宙を否定するだけの覚悟があるか。