ニセ科学批判と政治

ニセ科学批判者が政治の中のニセ科学を批判しないのは何故か」というのはしばしば議論になるところだ。例えば温暖化、あれを二酸化炭素のせいと言い切って減炭政策に踏み切るのは科学的に正しいのかどうか。予防接種や医薬品の認可問題などにもこうした批判の芽は潜む。
ここでは個々の事例を取り上げてどうこう言うつもりはない。あくまで全体として、「科学vs政治」の話をしてみようと思う。


政治というのはある種の不可触領域であるらしく、本来なら分立した三権、つまり平等な立場にある筈の司法権でさえ政治の違憲性について「超法規的」として判断を拒否したほどの代物である。何ら権限を持たぬ科学如きが指図できるものではない……なんてのはまあ冗談のようなものだが、実際問題として科学が担保できるのは「科学的な確からしさ」のみであって、それを判断基準とするにせよしないにせよ、政治がどう判断を下すかはまた別の問題なのだ。
例えば科学の立場から言えばNBC兵器なんぞ愚にも付かぬ存在であり、有害無益で即刻廃止すべき代物だ。それどころか今や戦争自体が無意味と言えるだろう。
が、だからと言って軍隊が不要になるわけではないし戦略兵器がなくなるわけでもない。科学とはまったく別のステージでそれを必要とする者がいるからだ。
それを以て非科学と謗るのは可能かも知れないが、そうすることには何の意味もない。


勿論、根拠として科学を使おうというときには、「その解釈は間違っている」などと言うこともあるだろう。「政治的にはどうか知らんが科学としては妥当性に疑問がある」と。
で、妥当性に今なお議論の余地がある温暖化なんかではそうやって「科学が物言いを付けない」ことが問題視されることがあるわけだが……
実は「科学が物言いを付けない」というのは間違いだ。事実として議論の余地があるという声が上がっているわけで、科学は科学分野についてきちんと物言いと付けている。
ただ、事が政治判断のレヴェルになった時には「科学者」が言葉を濁すようなこともあるかも知れない。これは、その部分に於いて「政治的な発言」が求められれしまっているからだ。科学者と雖も科学のみに我が身を捧げているというわけでもなく、それ以外の社会的生活を営みもする。その中に政治が関わってきて、「立場を弁えた」発言が求められるのであれば、科学者としての信念と政治的思惑の妥協点を探るようなことは致し方ない。


そんなようなことがあった時、その科学者一人を責めても仕方のないことだ。それよりはむしろ、科学者に政治的発言をさせる社会の方をどうにかした方がいい。
願わくば科学者が科学以外の些細なことに煩わされぬ世界でありますように。