日本人は万が一のリスクを恐れすぎる

「リスクをゼロにすることはできないし、無限にコストをかけることもできない。だからリスクをなるべく正確に見つもり、適正なコストで妥当な範囲のリスクにおさえるべし」

科学が何らかの判断をするにあたり、非常に重視するのがこのスタンスである。
たとえば医薬品の臨床試験。普通1年ぐらいに渡って投与を継続し、結果を見る。そうすることで薬効と共に長期的な副作用などを見るわけだが、時にはもっと長期に渡る継続投与ではじめて発覚するような問題が出てくることもある。しかしそういうのは、認可されて大々的に使用されるようになるまで表面化しない。
そうした潜在的リスクが表面化したときの影響は大きいが、だからといって「臨床試験の期間を10年に延長しよう」とはならない。何故なら、そうしてしまうとメーカの負担があまりに大きすぎて新薬の開発が立ち行かず、結果として有効な治療法の確立ができなくなってしまうからだ。リスクを勘案してもなお、ベネフィットの方が大きいという判断である。
あるいは予防接種。弱毒化されているとはいえ病原を投与するわけで、稀に発症し重篤に陥る危険はある。けれども接種しないことにより自然罹患した時の方が遥かに重篤化の可能性は高いし、抗体を持たない人が多ければ多いほどに流行の危険性が増大する。自分ひとりだけの問題ではなく地域全体のリスクでもある。


医薬を例に取ったが、そのほかセキュリティリスクや原発などにも同じことが言える。いずれにせよ、どんなにコストをかけても決してリスクは0にならない。0に近付けば近付くほど、コストあたりの効果は薄れる。だから、本当は「万が一にも危険のないように」ではなく「万が一の時にどう対処するか」を考えるべきだ。重大なリスクであっても、僅かな可能性であれば許容する。その代わり、発生時の対応を的確に行なう。
日本の経営者/政治家はどうもリスクを避けることばかり熱心になりすぎて、実際に事が起きてしまった時の対応が非常に拙い。彼自身/団体の評価で言えば、むしろ起きたことに迅速かつ的確に対処した方が結果として評価は高まると思うのだが。そういう点でも、リスク/ベネフィットの判断ができていない。