ローカルであることへの対価

昨日はすべてがオンラインになる日について書いた。その世界ではローカルという概念が「端末固有の記憶装置に入っているデータ」から「自分だけがアクセスできるオンライン領域」へと変化すると述べたのだが、そうなると大きな価値観の転換が起こると予想される。


現在は、オンラインにデータを置くためにコストを払っている。回線の接続料金とは別に「サーバーの領域を借りる」ことに対価が発生している*1わけだが、すべてがオンラインになればそのコストは大幅に下がる。
現在のところ、レンタルのオンラインストレージの容量は精々1GB程度。対して端末の記憶装置は最低でも20GB、多いものでは200GBを越える。写真や音楽、ゲームなどは簡単にGB単位で容量を消費するから、オンラインストレージにもある程度の容量を割り当てなければならなくなるだろう。
とは言え、音楽やゲームのように他者が著作権保有しているデータについてはローカルの容量など必要なくなる。必要なときにアクセス許可されたデータへ接続するだけで良いからだ。ローカルエリアはあくまで、自分が制作したデータの蓄積にのみ使われることになる。
ところで、こうした領域(を構築する記憶装置としての)は各サーヴィス業者が用意するわけだが、当然ここにはコストがかかっており、対価によってそれを回収する必要がある。
有料サーヴィスならば月額利用料金で、無料ならば主に広告などでそれを得るとして、例えばこの対価を支払えなくなったらどうなるだろう。
考えられる線は概ね次の3つ。
一つは、アクセスの遮断である。対価を払って契約を再開するまで、そのデータへのアクセスを許可しない。これはユーザに継続的な支払いを期待するアプローチと言える。
いま一つは、データの全消去である。凍結してもデータが残っている以上、容量の一部を圧迫している。消去して他ユーザに解放することでリソースを有効利用しようというのは当然だろう。こちらはユーザとの契約解消を前提としたアプローチとなる。
実際にこれら二つが施行されるなら、まず一定期間1を実施して支払いを待ち、然る後に2を実行という可能性が高い。
ただ、(少なくとも現行の著作権法では)作成したデータの所有権はユーザにあるわけで、それを無断で取り上げ/消去するには少々問題があるかも知れない。契約内容として謳ったとしても、著作人格権による同一性保持などが障害となるだろう。つまり法の改正なくしては成立しない可能性の高い手法ということになる。
もう一つ、考えられる案として「アクセス制限の撤廃」がある。つまり、「金を払わないならお前の恥ずかしい秘密をバラすぞ対価が得られないなら公開してアクセスを稼ぐ」である。但しこれでは公衆送信権を侵害してしまう問題点があるので、やはり著作権法の改正が必要だろうか(あれは隣接権の方だっけ?)


もしこれが実現すると、「公開されても構わないから只で使う」ユーザが一定数出現すると予想される。むしろ積極的なデータ利用の解放を前提とした場合、誰でも無料で使えて維持費用のかからないストレージは非常に魅力的だ。
データの質が伴わなければあまり意味がない部分もあるが、一定量の「好きに使える」コンテンツが蓄積されれば、それ自体が価値を生む。露出の多いメディアとしての広告媒体的価値により、無料でストレージを解放した分の不足を補ってあまりある収益が得られる可能性だって否定できない。
また、利用可能な状態のデータが多数出現すれば、著作権の概念自体が変化せざるを得ない。クリエイティヴ・コモンズに見られるような形態の、元データの帰属を示す情報を確実に遺しオリジナル/派生型を追跡可能な、自由に加工できるデータ。
現在のCCライセンスには技術的実装形態がない。あくまで自主的に従うもので、例えばCCで公開されたデータを帰属表示なしに利用しても、状況によっては発覚し難い場合もある(例えば知名度の低い作品で、またオンラインにないような場合とか)。けれども、昨日語ったようにすべてのデータがオンラインにありそれを管理するプロトコルが規定された場合、帰属は追記されても削除されることはなく、また改変を受けても改変前のデータも残ることになるから、オリジナリティは損なわれず名誉は失われない。
もはや積極的にアクセスを制限するものは商用のデータとごくプライヴェートなもののみで、他はすべて公開されることが常識化するかも知れない。
創作による商業活動は大幅に縮小しそうだが、文化としての創作活動はむしろ活性化する。だって、世界は素材に溢れているんだから!


オンラインストレージはひょっとすると知的共産主義者の楽園なのかも知れない。

*1:無料のストレージとて対価がないわけではない。広告宣伝の対象であること自体が対価だ