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「聲の形」を巡るもの

「聲の形」という漫画が今、話題になっている。
少年マガジンの第80回漫画賞で大賞を受賞した作品でありながら、本誌への掲載は見送られ、その後作者は別の原作付き連載を以てデビューした。
以前一度だけ「別冊マガジン」に掲載され、大きな反響を呼んだこともあって、今回改めて週刊少年マガジンへの掲載となったそうだ。毎号の発行部数的に見ると別冊マガジンは6万、週刊少年マガジンは140万部と影響力には大きな差があり、今回も「編集部を賛否で二分した」との謳いであることを見るに、「発行部数の多い週刊少年誌へ掲載するのは難しい」ような内容、ということになろう。

今回の掲載に至るまでの経緯について編集の人から語られた部分を引用する。

http://twitter.com/betsumaga/status/303795787966607360
【聲の形】明日発売の週マガ12号に掲載の読み切り「聲の形」は僕とK山とのふたりで担当しています。この作品が世に出る経緯を少しつぶやかせてください。大今先生はこの作品の原型である「聲の形」でマガジンの新人漫画賞で最高賞を取りました。先生が19歳のとき。

http://twitter.com/betsumaga/status/303796630996541440
【聲の形】しかし、その受賞作はどこにも掲載されませんでした。内容のきわどさから掲載をNGとされてしまいました。その結果、読み切り作品を載せることがないまま「マルドゥック・スクランブル」で連載デビューしました。人気も取り、単行本も売れました。

http://twitter.com/betsumaga/status/303797542028713984
【聲の形】大今先生が読者に支持されるのを見て、やはりどうしても大今先生の受賞作「聲の形」を読者に読んでほしい、読んでもらうべきだという思いを捨てられず、大今先生の許可を取って、講談社の法務部、弁護士、そして日本ろうあ協会さんに作品をお見せし、協議を重ね、お墨付きをいただきました。

早速、週刊少年マガジンを入手し、当該作品を読んだ。非常に完成度の高い、力のある作品である。タイトルからも想像が付く通り聴覚障害について描いたものだが、障害だけでなく全体にちょっと重いテーマを扱っている。
丁寧に描かれた、良い作品であることは間違いない。ただ、これが「賛否の分かれる作品」だというのがよくわからなかった。
いやまあ、どんな作品だって賛否は分かれるのだが、「編集部を二分した」とまで言われるほどに評価の難しい作品には見えなかった、ということだ。
特に表現の尖った作品というわけではない。倫理的に難しいような題材でもない。真っ当なテーマを真っ当に描いた、ただそれだけの作品だ。
掲載を躊躇うべき理由があるとは思えないし、また同様のテーマを扱った作品が他にあっても驚くには当たらない、それぐらいにストレートな作品。だからこそ、「編集部を二分した」理由に興味が湧いた。

順当に考えて、編集部が掲載を拒む作品というのは

  1. 倫理的に問題があり、(主として雑誌あるいは出版社への)悪評が立つ可能性が高い
  2. 法的に問題がある
  3. 雑誌の読者層に受けが悪い

ぐらいだろうか。
このうち、少なくとも1は作品の性質からして考え難い。いや、倫理的な問題を含む場面を描く作ではあるのだが、別段作品自体がインモラルであるわけではないし、そもそもマガジンは不良漫画やお色気漫画を多数掲載してきた雑誌であり、多少のインモラル程度で問題になるとはちょっと思えない。
2は主に著作権的な問題や、実在の事件・人物などを題材とするなどの問題だが、そのような事実があるならば「編集部を二分」するようなことはなく、単に不掲載で終わる話である。「別冊マガジンには掲載した」ことを考え併せても、法的な問題があったとは考え難い(それならば何故法務部や弁護士に相談したのかという疑問は残るが)。
となれば、主な原因は3ではないかと考えられる。確かに、(私の個人的な印象からすれば)週刊少年マガジンという雑誌の雰囲気には些か似わない作風であるように感じられた。他に、これを載せるに相応しい雑誌がありそうなものだ。ただ、別冊マガジンがそれに相応しいかと言われれば疑問がある。無論この辺りは関係者でもない身に事情の測れる範囲ではないが、邪推ながら「発行部数の少ないマイナー誌でお茶を濁そう」という逃げが打たれたのではないかと考えざるを得ない。
推測に推測を重ねての発言とういうのはあまり褒められたことではないのだが、敢えて書いてしまうならば「こういう作品が自粛されねばならぬ雰囲気それ自体が問題だ」。


もちろん、その辺りの経緯がどうあれ作品の質には些かの影響も生じない。作品は世に出た経緯とも、あるいは作者の人格であったりその後に発生した何らかの問題であったり、そうした一切の俗世間的ゴタゴタとも完全に切り離されて単体で評価されべきものだ。
しかしその反面、作品はやはり文脈の中に存在しているものであって俗世間と完全に切り離して評価することは難しい。だから、今回のように「経緯」が先行して話題になってしまうことはどこかで作品の正当な評価を妨げてしまうのではないかという思いがあって、どうしても気になってしまう。

洋画の話題作が公開されると決まって「全米が泣いた」などの文字が踊り、試写会の参加者が口を揃えて「感動しました」と言う。作品の紹介よりも「観たものは感動しなければならない」という空気を作ることに重きが置かれる。
現在の、この作品を巡る状況も半ばそれに似た状態になっていはしないだろうか。読む前から「感動する」ことが印象づけられた「衝撃の話題作」。映画とは違って、誰がそのように仕向けたのでもなく、本当にそう思った人がそう書いているだけであっても、数によって作られてしまった空気には抗い難い。
しかしそれこそが、作中で最も重大な問題そのものなのだが。