「本好きの下剋上」初見勢のためのちょっとした解説

小説投稿サイト「小説家になろう」での連載当時から繰り返し読み耽り、刊行された書籍をはじめとする資料集を集め、二次創作に手を出すぐらいにのめり込んできた「本好きの下剋上」がアニメ化された。
元はそこまで知名度の高い作品というわけではなく、「知る人ぞ知る名作」といった立ち位置だったのが、アニメ化によって間口が広がり、多くの新規ファンが増えた。そして、その分だけ疑問も広がる。

元々、本作は徹底的に「主人公の視点」から世界を描いているため、客観的な情報が読者に伝わりにくい構造になっている。その上、主人公がいささかエキセントリックで読者の思考が主人公のそれと同期しにくいこともあって、「なぜそうなるのかわからない」ことが生じる場合がある。
また、かなり綿密に「中世ヨーロッパ」を調べた上で書かれているのだが、それが却って「読者ののイメージ」と乖離する面がある(我々は実際の中世について、驚くほど無知だ)。結果として「こんな設定は不自然だ」と感じられてしまうことも多いようだ。

納得できないまま読み進めていただいても問題はないのだが、人によってはその違和感が拒否感に転化されて読めなくなってしまう場合もあるようで、それは些か勿体ないので、引っ掛かりやすい部分について少しばかり解説を試みたい。

記事の性質上、内容に触れざるを得ないため先の展開に触れる部分がある。視聴未了の方はネタバレに留意されたい。

マイン編

マイン自分勝手すぎない?

序盤のマインは碌に家事の手伝いもせず、自分の望みのままに家族を振り回すところがあり、たしかに「自分勝手」ではある。この点については作者としても懸念があったのか、それとも読者から何か言われたのか、「なろう」版には「最初のうち性格悪い」という注意書きもあった。
ただ、これは彼女の「度を越した活字中毒」という特性と、「見知らぬ異世界に一人放り込まれた」という孤独感、そして5歳児の情緒によるものと解釈できる。

誰だって、知り合いの一人もいない、これまでの人生経験が全く通じない異世界に放り出されたら不安だろう。その上、生まれ変わった体はひどく虚弱で儘ならず、しかも「人生のすべて」というほど欲して止まない本が、この世界ではどこにもない(正確に言えば、「あるが平民の手が届くようなものではない」)。そんな状態では、「自分で本を作る」という希望に逃げ込むしかないのは仕方ないことではないだろうか。
とはいえ、この問題はルッツをオットーに紹介する(アニメ6話、なろう版25話)頃からはずいぶんと変わってきて、周囲との繋がりも大事にするようになってゆくし、この世界の家族を本当の家族として受け入れるようにもなってゆく。

本好きの癖に知識なさすぎ

マイン(というか麗乃)はたしかにジャンルを問わず様々な本を読んでいたが、にも関わらず本作りでは知識があまり役に立たず失敗しまくる。これは単に「知識がない」というよりも、「読んだだけでは真の理解は得られない」ということだろうと思われる。
実際、序盤もっとも助けになった知識は生前の母に付き合って色々やらされた「オカンアート」や自身が興味を持って体験してみた「和紙作り」など、要するに「経験」したことのあるものばかりである。
これは「単に前世知識だけで無双できるほど単純ではない」という作者の信念に拠るものかと考えられる。

それが最も顕著に表れているエピソードが、カトルカール作りだろう。貧乏平民では手に入れられない材料を使って、いざお菓子作り!……と勇んではみたものの、記憶にあるレシピはいずれも 前世の単位、グラムやらリットルやらを基準にしたもので、この世界の単位ではそれがどの程度に相当するのかがわからない。「お菓子の材料はきっちり計れ」とよく言われるように、微妙な加減の必要なお菓子は目分量で作ると失敗しやすいため、適当に作るわけにも行かない(まして、この世界では高価な砂糖を使うのだし)。そこで閃いたのが「4種類の材料を同じ量だけ使う」カトル・カールという、これは正に「前世の知識があっても無双できるわけではない」ことを作者が強く意識していることを示すものだ。

家の中を見て、なんで新聞もカレンダーもない世界だと気付かないのか

もちろん冷静になれば、家や家具などから技術程度がある程度推測でき、印刷技術の普及していない時代であることが理解できたかも知れない。しかし転生後すぐで動転しており、また前世の「常識」が抜けていないこともあって「印刷物のない世界」を適切に想像できていない、もしくは「想像もしたくない」のだろう。
それに、「中世ヨーロッパ風」ではあっても中世ヨーロッパそのものではないので、技術の発展が同じようであるとは限らない。たとえば史実でも、西洋で印刷が始まったのは15世紀のことだが、東洋では7世紀頃には既に木版印刷による文書の量産が行なわれている。実世界でさえこれほどの差が生じるのだから、見知らぬ世界ではどうなのか、わかったものではない。

パピルス紙の作り方も知らないのか

パピルス紙の原料が芦のような植物であること、繊維を縦横に重ねたような構造であることまでは知っているものの実際にパピルス紙を作った経験はないため、技術的な要点はイマイチ理解不足である。実際には水と発酵で余計な成分を抜いた上で圧着乾燥せねばならず、そう簡単な話ではない(だからこそエジプトはパピルスの製造技術を独占でき、紙の輸出と引き換えに献本を要求し多数の知識を集積したアレクサンドリア大図書館を作ったし、またパピルスの禁輸制裁を受けたペルガモン王国が代替品として羊皮紙を開発するに至ったのだ)。

なぜ木簡を燃やされないように家族に伝えておかないのか

マイン自身にとっては大事なものであることは自明なため燃やされてしまう可能性を想像もしていなかったものと思われるが、そもそも木簡作りは「家の手伝いとして」焚き木を拾うために森へ行き仕事そっちのけで作り上げたものであるから「手伝いもせずに遊んでいた」とは言いにくいし、エーファからしてみれば「娘がはじめてお手伝いで拾ってきた焚き木」にしか見えない。不幸な事故だったのだ。

乗っ取られた「本当のマイン」かわいそう

マインの一人称視点であるために当人の認識があたかも事実であるかのように見えるが、実は「乗っ取った」という認識は正しくない。実際には「麗乃の記憶が思い出されマインの記憶と融合した」のだが、まだ幼ない上に家からほとんど出ないマインの記憶は圧倒的に少ないため、主観的には「麗乃がマインを上書きした」かのように見えているに過ぎず、知識はともかく情緒的にはあくまで歳相応である(ので神殿編では情緒不安定になって接触を求めたりする)。
しばしば判断がおかしい点も、大人の記憶があるため理知的な判断を下しているようでその実判断力は意外に子供、ということなのかも知れない。

ルッツ編

なぜそこまでマインの面倒を見るのか

すべての始まりはパルゥケーキである。
ルッツは男ばかりの兄弟の末っ子で、決して裕福でない家であるから食料が潤沢とは言えず、食べざかりの兄たちにおかずを奪われることも多く常に腹を空かせている。両親も忙しいためその辺りまで気が回っていないが、当人にしてみれば食の不足は命に関わる問題であり、その食料事情を継続可能な形で抜本的に解決してみせたマインは「命の恩人」ぐらいの重みがあるのだ。

飢えているのにおから(パルゥかす)を食べることを思い付かないはずがない

実際にはマインのしたことであるが、ルッツ絡みなのでここに記す。
エーレンフェストが飢饉に見舞われたというなら飼料だって食べようとしたか知れないが、マインの食事などを見てもわかるようにべつだん街に食料が不足しているというわけではない。単にルッツの家が大食らいの男ばかりの兄弟で飯の取り合いになりがちというだけなので、新たな食文化が発生するほどのきっかけとはなっていない。
またルッツは男であり子供であるので自分で料理をすることもなく、それもあってパルゥかすを食べてみるような発想には至らない。
おからを食べものとして認識しレシピを知っていたマインだからこそ思いついた食べ方であって、自然発生するようなメニューではないのだ。

ルッツ大人すぎない?

これはそう、本当にそう。
この世界の1年は現世より長い420日(1日が何時間相当なのかは不明)だが、たとえ6歳時点で実質7歳相当であるにしても、その倍ぐらいの知性を感じる。
とはいえ、この世界の子供は幼いうちから家の仕事を仕込まれ、10歳でもう奉公に出るわけだから我々の思う子供感とは随分違うのだとは思うが。日本だって昔は数えで12歳ぐらいで元服していたのだし。

ルッツの両親、毒親

ディードは口下手でルッツどころか妻にも真意を説明しておらず、それがすれ違いの原因となっているという点ではたしかに「ディードに非がある」にも関わらずルッツに謝罪を要求するなど、些か理不尽にも感じられる。
ただ、そもそもこの世界では「子は親に従う」「女は男に従う」ものというのが一般的認識であり、親の意向を無視しているのはルッツの方だ、という点には注意が必要だろう。

その上でディードは、突き放すようではあったもののルッツの選択を却下はしておらず(という意図は伝わっていなかったが)、決して高圧的に支配するような意味での「毒親」というわけではない。あくまで認識の違いとコミュニケーションの不足によって「そう見えた」だけである。
(これはギュンターにも言えることだが)怒りに任せて大声を上げたり机を叩いて大きな音を立てたりする威嚇的行動は現代の基準だと些か暴力的に思えてしまうが、彼らが職人や兵士といった「肉体労働者」であることも鑑みれば、この世界の標準的なコミュニケーションの範疇を逸脱するものとは言えまい。

技術編

木造で高層建築作るような技術があるのか

実は木造の高層建築自体は紀元前からある。ローマでは1〜2階が石造りで、その上に木造階を重ねた5〜9階ほどの集合住宅が都市部に多く立てられた。エレベータどころか水道すらない時代であるから日々の水汲みも高層ほど重労働となり、その分だけ家賃が安く低所得者が多く住んだようだが火事に際しても上層ほど逃げるのが難しく、ローマの大火では大勢が犠牲になったという。
また中世ヨーロッパでも同様の石積みに木造階を重ねた高層住宅は健在で、パリの15世紀頃からのものなど、各地に中世当時の建物が現存する。

店の本がガラスケースに入っているがガラスは平民には高価ではないのか

現実でもガラス製造の技術自体は古くからあり、それがない社会(日本など)ではガラスは貴重な宝物だったが、製造技術のある社会では必ずしもそこまで高価であったわけではない。平面的なガラスの製法も3世紀までには確立していたし、平滑度や透明度では我々の思い描くようなガラスに及ばないにせよ、板ガラス自体はあって不思議ないと言えよう。
1話冒頭の工房シーンでも棚にガラス器が多く見られるように、この世界にはガラス製造技術が既にあり、貧しい家では板窓であるものの富裕平民の住宅や店舗では窓ガラスも用いられている。

展開編

序盤のテンポが遅い

これはその通り。
なにしろ本作は商業メディア掲載を前提としていないWeb小説という特性上、序盤で盛り上げられなくても打ち切られるようなことはない。
その上、主人公が病弱なため自力で動き回れないことから情報がなかなか得られず、試行錯誤も失敗の連続とあって、どうしても物語が動き出すまでに時間がかかってしまう。
かといって冗長(に見える)エピソードをカットすれば良いかというと、実は異様なほどに伏線が多く、何気ない日常シーンのようであっても後日に繋がる重要な情報だったりするため、省略も難しい。
あれでもアニメは原作より省略されているのだが、それで猶「序盤が遅い」のだという……

下剋上してない/司書になってない

これは単純に、「アニメ化されたのは序盤だけだから」。
原作「小説家になろう」版は677話あるが、アニメ第二期までで カバーしているのはそのうち135話ほどまで、全体の2割ほどに過ぎない。下剋上も司書もずっと先の話なので、是非そこまでアニメ化して欲しいところ。