2日目:朝食
2日目の朝はまず朝食から始まる。
昨日の古建築探訪エリアからやや駅側へ遡った一体、「百万石通り」周辺は大正時代以前の木造商店建築が多く残る場所である。前日に目を付けておいた、台湾料理 四知堂 kanazawaも天保年間創業の漆商「森忠商店」の建物で、大正時代のものだという。
四知堂は台湾に本店のある、本場の台湾食堂である。
ここで台湾粥と鶏肉飯、割包に冷台湾茶を。本日の銘柄は東方美人。
美術館へ
当初はまず兼六園の予定だったが、前日に歩き過ぎたダメージが残っており庭園散策は体力が続かないと予想されたため、予定を変更して先に金沢21世紀美術館を巡ることにした。
www.kanazawa21.jp
バスを下りるとまず、オラファー・エリアソン《カラー・アクティヴィティ・ハウス》が。
シアン・マゼンタ・イエローの「色の3原色」のフィルムを貼られたガラスの曲面が螺旋状に囲う空間で、色の重なりによってガラスを通した景色が様々な色に見える。壁面同士の反射による色のグラデーションも美しい。
この日は七五三だったらしく、向かいの石浦神社にお参りした着物の子が記念撮影していた。
美術館は円形で、周囲をぐるりとガラスの壁が囲っている。
入口でチケットを購入し、まずはレアンドロ・エルリッヒ《スイミング・プール》内部入場の予約を取る。有料展示を含めたチケットは1200円だが、バスのフリーパスで200円の割引がある。
入場時間待ちの間にコレクション展を巡る。
武田竜真《The Eye of a Needle》は海の映像を投射するプロジェクターと洞窟の形を切り抜いたスタイロフォームによる作品で、壁に洞窟から見える海の景色を投影する。
草間彌生《I’m Here, but Nothing》は展示室内に設えられた生活空間と、その一面に貼られた蛍光色のカラーシールをブラックライトが光らせる。
ゲルハルト・リヒター 《8枚のグレイ》は何も描かれていない、同じ大きさのダークグレイのパネルが貼られた空間。シンプルだけに「どう見るか」がこちら側に委ねられる。
そのほか、コレクション展でもっとも惹かれたのは、「SCP」の概念を生み出すきっかけとなったことでも知られる加藤泉の油彩作品を筆頭にシリン・ネシャット、アナ・メンディエータ、向井山朋子+レニエ・ファン・ブルムレンらの写真・映像作品が集められた一室。全体として「未知の宗教儀式」を思わせ、ホラーシナリオの着想が得られそうな雰囲気であった。写真作品にせよ映像作品にせよ、「それを写真に撮影する」ことによって元の作品が持つ魅力を伝えることは困難であるため割愛する。
この美術館が特徴的なのは、なによりもまず「恒久展示作品のために作られている」ことだろう。中庭に埋め込まれる形で作られたレアンドロ・エルリッヒの《スイミング・プール》はその筆頭だが、ほかにも複数の恒久展示作品が館内に組み込まれている。
パトリック・ブラン《緑の橋》は壁面に多数の植物を植えた「垂直庭園」をコンセプトとした作品。
ジェームズ・タレル《ブルー・プラネット・スカイ》は天井を刳り貫いた大きな部屋で、外と隔絶した何もない空間によって空そのものを展示する。
同じく空そのものを展示するのがヤン・ファーブル《雲を図る男》。
アニッシュ・カプーア《L’Origine du monde》は奥に向かって窄まってゆく斜めのコンクリート壁と漆黒の楕円形から成り、遠近感を狂わせる(こちらは撮影禁止)。
展示室の半分ではふたつの「フェミニズム」をテーマとした展示が行なわれていた。ただこちらは些か散漫というか、テーマに対して踏み込みが足りないような印象を受けたが、その中では、裸身のセルフポートレイトを「プレイボーイ」のラビットマークやスクール水着などセクシャルな記号の形に切り抜いた木村友紀《存在の隠れ家》、嫁ぐ女性の顔を隠す風習になぞらえてヌード写真の顔のみを隠した潘逸舟《無題》にはメッセージを感じる。
ちょっと早いが館内のカフェで昼食。
地下へのエレベーターは箱上部分の装置や周囲の囲いがない油圧式だった。
さて時間が来たので、いよいよ《スイミング・プール》の地下へ。
展示の性質上、「プールの底に人がいる」「プールの底から人を見上げる」ことに面白みがあるのだけれど、それだけに写真は撮りにくい。同時に入った人たちが写った写真はあるけれど今回は上げずにおく。
21世紀美術館の近くには私設美術館「KAMU Kanazawa」もあり、こちらにもレアンドロ・エルリッヒの作品《INFINITE STAIRCASE(無限の階段室)》が展示されている。鏡を使った錯覚を得意とするエルリッヒの作風がよく出た一品。
まだ日も高いうちではあるが、前日のダメージが大きく既に疲れていたのと、前日に撮りすぎた分で朝の時点ではゲージ3本に見えたバッテリーが点滅表示になった(これによって、フル充電で撮影可能な枚数はおよそ500枚が限度ということが判明した)ことで早めにホテルへと引き上げることに。
このあたりは他にも明治24年の煉瓦建築「旧制石川四高」や国会議事堂を設計した矢橋賢吉の設計になる大正13年の最古の鉄筋コンクリート県庁舎などがあるのだが、それらを見て回る気力と電力が足りない。
この日は1万歩ほどでホテルへ帰着。
3日目:朝食と神社
どうせなら「金沢ならでは」のものを食べよう、と朝は地元で知られる名店「ひらみぱん」へ。
朝から行列ができていたので店内での飲食は諦め、テイクアウトしたパンを近くのベンチで。いずれも美味ながら、特に外はカリッと香ばしく中はもっちり滑らかなカヌレは絶品だった。
内装も素敵だったので撮影したくはあったが、これだけ混雑しては憚られたので諦める。
そのひらみぱんからまっすぐ、尾山神社は明治6年に旧金谷御殿跡地へ造られた、加賀藩祖前田利家を祀る神社。明治8年に建てられた神門は和洋中折衷の独特な形式で、最上階には色ガラスが嵌められている。頂上にあるのは日本最古の避雷針だそう。
これは前日の夜に神門だけ撮ったもの。色ガラス部分がよくわかる。
御殿の庭園だった場所はそのまま、神庭として今もある。
にし茶屋街と昼食
犀川を渡ってにし茶屋街へ。ここに架かる橋は鉄筋コンクリート3連アーチの浅野大橋より2年後、大正13年の鉄骨トラス橋で、こちらも登録有形文化財である。
茶屋街へ行く手前に気になる建物を発見。
3階建の料亭「山錦樓」は大正11年に建築されたものを昭和11年に3階部分を増築したものだそうで、新しい上階部には色ガラスが見られる。
にし茶屋街は、市内3箇所の茶屋街の中では唯一「伝統的建造物群保存地区に指定されていない」場所である。その理由は、実際に行ってみるとよくわかる。
茶屋街の雰囲気は感じるものの他の2地区に比して規模が格段に小さく、また小綺麗に整えられており「つくりもの」っぽいのだ。勿論ここも茶屋街だったのではあり、当時の面影を残す場所には違いないのだろうけれど、雰囲気を楽しむならば浅野川方面へ行った方がいい。
ただ、大正11年の芸妓管理事務所であった西検番事務所だけは間違いなく当時のものだ。
昼食は、昨日の朝に食べた四知堂へ。ここは軽食だと店頭席での提供となるが、ランチセットは奥のテーブル席でいただくことができ、その向こうには庭も見える。
雨が降っていて寒かったので暖かい台湾茶が飲みたいところだったが、「キノット」という耳なれない飲みものが気になったので、それを注文。柑橘の一種であるらしい。
魯肉飯と牛肉麺、それぞれに生姜シロップ・金木犀シロップの豆乳プリンと雪Q餅が付く。
ところでこの辺りは他にも古い建物が多く残っているので、それらをざっと貼っておく。
金沢の木造建築では、1階の屋根と2階の窓の間にこのような、タイルというか瓦による装飾が施されていることが多い。気になる風習。
また寺院の瓦などは、よく見る鈍色のものではなく真っ黒で艶がある瓦が使われていた。どうやら素焼きではなく黒釉をかけた、能登独特の瓦であるらしい。
これは最近建てられたと思しい商業施設の入口にあった謎の屋台。いい雰囲気だが現在は営業していないようだ。