電化以前の回転寿司

「電気がまだなかった頃は、回転寿司はどうやって回していたのか」という疑義が示されたので、近代以前の回転寿司についてまとめておこうと思う。

近代回転寿史

近現代に於ける電力の普及が、19世紀末の米国で発明王エジソンの設立したゼネラル・エレクトリック社から始まっていることは説明するまでもないかと思う。それ以前にも電池などの形で電力が利用されてはきたが、大規模なインフラの構築による継続的な発電および送電システムの普及により、寿司はようやく電気動力による回転というこんにちの形態を得たわけである。
ではそれ以前の社会に於いて、寿司はどのように回転されていたのだろうか。

18世紀〜20世紀初頭までの回転寿司を支えたのは、蒸気機関であった。初期の蒸気機関は、膨張した蒸気を冷却凝縮することによる負圧を利用した往復運動を利用していたが、酷くエネルギー効率が悪かった。これを大幅に改良したのがエネルギー単位に名を残すジェームス・ワットである。彼は蒸気機関の動作を往復から回転へと変換してみせることに成功、機械動力による回転寿司を実現させた。
この蒸気式自動回転寿司はたちまち好評を博し、労働者の食を支える重要な産業となった。いわゆる産業革命である。
ところで蒸気機関の発明は紀元前にまで遡ることができるが、初期のそれは回転軸を中心として互い違いに突き出したパイプから蒸気を吹き出して回転する装置であったので、回転動力への転換はある意味で原点回帰とも言える。もちろんこの原初の蒸気機関が寿司を回転させる目的で発明されたことは言うまでもないが、残念なことに些かパワー不足で実用的ではなかったようだ。

ワットの功績は蒸気機関を回転寿司の動力として利用可能なものに改良したことにあるが、動力回転式の回転寿司そのものはそれ以前から存在していた。当時は主に川の流れを用いて回転力を取り出しており、川沿いにいくつもの水車が軒を連ねていたという。水車の一部は動力としてのみならず、取り付けられた籠によって川から魚を掬い上げる自動捕魚水車として寿司の食材供給にも一役買っていた。
また、水場以外でも回転寿司が開店できるよう、犬を動力に用いる研究も行なわれていたようだ。

一方、こうした機械動力技術はなかなか東洋まで伝来しなかったため、江戸時代の日本では人力によって回転寿司を動かしていたという。

電動回転寿司の古代史

実は、電力の歴史は意外に古く、古代イランはアルサケス朝パルティアの遺跡から、紀元前250年頃のものと思われる電池が出土している。つまり人類は紀元前から既に電気を利用していたわけだ。何にかといえば、もちろん寿司を回転させるためである。電池による供給では永続的な回転は望むべくもないが、それでも人類はなんとか寿司を回転させるべく知恵を絞っていたのだろう。
とはいえ、イランの寿司はこんにち我々が想像する寿司とは些か趣の異なったものではあった。紀元前1千年前には既に当地で米の栽培が行なわれていたものの、この辺りで獲れる魚は主にティグリス・ユーフラテス水系の淡水魚であったので、寿司に使われるのも当然そうした魚肉である。当時はこれを酒と塩を混ぜた米に漬け込み乳酸発酵させることで酸味を与える、いわゆる「熟れ鮓」にするのが主だったようだ。

また、寿司の回転についても、現代にあるようなコンベア式ではなく、当時はまだ回転卓に寿司を並べるやり方であった。それでも、彼らの回転寿司に対する飽くなき追求は、最初の回転機構が古代メソポタミア文明で発明されていることからも伺える。スムーズな寿司の回転は副次的に轆轤や車輪へと発展し、文明を多いに賑わせた。

ところで、当時既に回転寿司の動力に電気を使っていたことは既に述べた通りであるが、そもそも電気を使って回転させることが発明されたのはもっと古い時代に遡るようだ。
まだ人類登場以前の20億年ほど昔には、赤道直下のアフリカで地中のウランに核分裂反応が引き起こされ、実に10万年以上もの期間にわたり発電が行なわれていた形跡が発見されている。人類ではない何者かが、同地で寿司を回転させていた証左であろう。
余談ながら人類はアフリカにて進化し、世界中で寿司を回転させるに至ったわけだが、その進化を引き起こすきっかけこそがこの地中原子炉からの放射線……というのは想像が過ぎるだろうか。