『山手線で降りたことがない駅』トップだという駒込に行ってきた。散々な言われようだが、実はこのあたり結構な観光地で、駅のすぐそばに六義園、その向かいには東洋文庫ミュージアム、駅の反対側にしばらく行くと旧古河庭園と、意外に見どころが多い。
六義園
六義園は、駒込の駅からすぐのところにある。しかし、こちらの門は現在閉鎖されており、左側にぐるりと回らねばならない。
躑躅の名所であり、また見事な桜の古木や、紅葉の時期も美しいと聞くが、この時期は紫陽花などが少し咲くばかり。
とはいえ楽しみがないかというと、そうでもない。そもそも六義園は景色を楽しむ庭園なのだ。
広々とした日本庭園は、それ自体が魅力的な被写体である。
六義園は徳川五代将軍綱吉の側用人であった柳澤吉保が加賀藩の下屋敷跡地を与えられ、7年の歳月をかけ造園したものである。六義園という名は紀貫之「古今和歌集」序文に由来するもので、和歌に通じた吉保が数々の和歌に詠まれた紀伊の名勝地である和歌浦を中心とした風景をここに再現したものだという。そのため園内には和歌に由来した地名が点在する。
明治になって、三菱財閥の創業者・岩崎家が購入し整備。のち東京市に寄贈され、現在は都営の公園として運営されている。
かなり広い庭園である(都内では浜離宮に継ぐ面積を有する)ため、ひと巡りするだけでも結構時間がかかる。早めの行動をおすすめする。
東洋文庫
六義園の向かいには、もうひとつ岩崎家の関与した名所が存在する。
東洋文庫は、オーストラリア出身で20世紀の初頭にタイムズ特派員として中国などに駐在した英国のジャーナリストG.E.モリソンから、東アジア地域に関する2万4千冊の書籍を買い取ったものを中心として設立され、東洋に関する資料の収集研究を行なっている。
入ってすぐ右手には庭園とレストランへ続くドアがある。
回廊には各国の「名言」が白い文字で刻まれ、その下には地色と同色で日本語訳が書かれている。
また、1階には倭国による百済・新羅への侵攻を示す高句麗の広開土王碑拓文が、原寸サイズ(高さおよそ5m)のタペストリとして飾られていた。
2階は「モリソン文庫」を収めた書庫になっている。
書庫は単なる飾りではなく、きちんと分類され、また企画に応じてここから蔵書を展示もする。
現在は天文学の歴史を示した企画展「大宇宙展 Space Odyssey」が開催されていた。
旧古河庭園
駒込駅から六義園側とは反対側に、少し離れたところにある旧古河庭園は薔薇園と日本庭園を擁する洋館である。
日本初の公害事件で知られる足尾銅山を経営した古河財閥総帥の邸宅として作られ、鹿鳴館や三菱財閥の岩崎邸などを設計した(関係性は薄いながら、ここでもまた岩崎の名が出てくる)、ジョサイア・コンドルによる設計である。
盛りは過ぎていたものの、様々な薔薇を見ることができた。
高低差のある庭は、富士の溶岩を積み上げた石垣によって隔てられ、日本庭園へと続いている。
広大な六義園に比べれば1/3程度とはいえ、個人の邸宅としては贅沢に過ぎる広さ。
邸内は別料金で見学可能だが、写真撮影は禁止とのこと。また現在のところ2階は公開されておらず、喫茶も休業していた。