海外スチームパンクに於ける蛸モチーフについて

スチームパンクは定義の曖昧なジャンルであるためにモチーフも曖昧で、画像検索などしていると「これのどこがスチームパンクなのか」というようなものも目にする。「ドレスを着た女性」みたいなものは、恐らく古めかしいスタイルであるために時代性としてスチームパンクを連想させるのだろうと思われるが、よくわからないのが「蛸」である。

動物モチーフは少なくない。なかでも虫、とりわけ蜘蛛は割合好まれるモチーフのようだが、それらは一般に「機械部品を用いて動物の形状を表現する」などの手法で用いられ、それは(形状がなんであれ)確かにスチームパンクらしさを備えている。
しかし蛸は、機械部品による蛸型ロボットなどではなく単に「鋳造された蛸モチーフの装飾」などの型で用いられる。これは明確に一線を画するものだ:即ち、歯車やパイプなどと同じレヴェルで「蛸=スチームパンク」というイメージがあるものと推測される。

正直、この感覚は日本人にはちょっと理解し難い。蛸と蒸気機関には何の関係もなく、日本人によるスチームパンク関連創作の中で蛸が重点的に用いられることはまずない。
もっとも、これは欧米でもやはり謎であるらしく、スチームパンク関係のフォーラムにもスレッドが立っていたが結論は出ていない。とまれ、日本人と違って「蛸はスチームパンクめいている」と考えているのは確かなようだが。
何故、蛸なのか。

スチームパンク系作品の影響可能性

少なくとも日本に於いてはスチームパンクと言われてすぐ思い出す「代表作」と言えるものがないに等しいためピンと来ない部分もあるのだが、日本よりはスチームパンクに親しい欧米に於いてはそうでないかも知れない。
代表的な作品の中で蛸に関連しそうなものを探す。とはいっても、あんまり出て来ないのだが。

海底二万リーグ

スチームパンクというジャンルの原型は明らかにヴェルヌやウェルズの諸作品であり、中でも無敵の潜水艦ノーチラス号の冒険譚である「海底二万リーグ」は印象深い。この中で巨大な烏賊だか蛸だかとの戦いが描かれているが、これがモチーフの由来ではないかとする説がある。
しかし実のところ作中で描かれているのは常に「ダイオウイカ」であって蛸ではない。幾度となく映像化された諸作に於いても一定してイカが描かれているし、フランス語の原文を当たってみた限りでも烏賊を意味する「Calmar」は何度も出てくるが蛸を意味する「Octopoda」はなかった。Octopodaはなかったものの「Kraken」の語は使われていた。クラーケンは「イカともタコとも同定できない」海の怪物であり、つまりここで描かれているものが烏賊なのか蛸なのかは判断がつかない。
もちろん、それでもなお一般に烏賊より蛸がイメージされている可能性を否定するものではないが、少なくとも描写上は一貫して烏賊であるようだ。

クトゥルフ神話

蛸モチーフといえばクトゥルフである。発表時期は1928年、スチームパンクの時代性としては末期であるものの範疇にはあり、作中の科学知識を元にした描写と幻想の綯い交ぜはスチームパンクとの相性も良い。
しかし実際にはクトゥルフ神話諸作がスチームパンクと認識されることはあまりなく、蛸モチーフ以外にはさしたる接点も見当たらない。そもそも、クトゥルフを取り込むなら蛸ではなく「蛸に似た何か」である筈で、この点でもクトゥルフを根拠とするには弱いように思う。

宇宙戦争

ヴェルヌと並んでスチームパンク系作品として忘れ難いのがウェルズであるが、その代表作のひとつ「宇宙戦争」では地球に侵略する火星人が描かれた。
作中に於ける火星人の描写は「重力が弱いため体を支える構造が脆弱で、薄い大気を呼吸するため肺が大きい」大きく膨らんだ体の下に細い脚が何本も生えた、蛸か海月のような生き物であった。これがスチームパンクと蛸を関連づけた可能性はある。
ただ、この火星人は「タコ型」とは言われるものの当時のイラストを見てもあまり蛸っぽくはない。それに、これがイメージの元であるならばむしろ宇宙人モチーフとなるべきところで、蛸になる理由が弱いところはクトゥルフと同様である。

パイレーツ・オブ・カリビアン

スチームパンク・スタイルは大雑把に19世紀頃のファッションスタイルと機械類をミックスすることが多いが、時代性の認識は割合大雑把でありレトロな雰囲気であれば馴染みが良く、また無骨で大仰な道具類、とりわけ銃器との相性からアウトロースタイルも多く見られる。また潜水艦や舵輪など海のモチーフとの相性も良いことから海賊スタイルへの発展例も少なくない。
2005年公開の「パイレーツ・オブ・カリビアン2 デッドマンズ・チェスト」ではクラーケンや蛸の姿になった海賊なども登場し、これがファッション方面に於いて蛸のモチーフを増加させた可能性もある。

他の可能性

スチームパンクは近年、物語のジャンルとしてではなくファッションジャンルとして定着しつつある。蛸モチーフの多さも、主にアクセサリなどを中心としており、つまりはファッションアイコンとしての意味が大きいようだ。
隣接したジャンル、例えばゴシックファッションなどでは死や悪をイメージさせる骨や蝙蝠、蜘蛛や蝶などが多く用いられる。スチームパンクにも骨モチーフは多いが、これらは(露悪的な側面を残しつつも)科学モチーフとしての博物標本的な面と融合している傾向があるようだ。
もしかしたら、蛸も(もちろん海底二万リーグなどの影響も混じってのことだろうが)博物学時代の未知科学フロンティアとしての海洋生物標本的なイメージや、あるいは「動物モチーフを取り入れつつ隣接ジャンルとの差別化を図った」結果として他には見られない蛸に落ち着いたのかも知れない。


どうにもはっきりした結論が導けず纏まりのない記事になってしまった。