ニセ科学批判は手段であって目的ではないので、ニセ科学であっても実害のないものまで批判するようなことはない。
例えばサンタクロースの存在を子供相手に否定して回ることはないし、「良い子にしてないとサンタさんが来ないよ」といった嘘による躾を否定することもない。それは確かに嘘だが、水伝のように評価基準を委ねてしまうような危険を孕まない(なにしろ「良い子にしてたかどうか」判断するのは躾ける親自身なので)から。
また妙な健康法の類いにも、それで重篤な症状を呈した例があるとかそれ以外を排除するような盲信状態にでもならない限りは基本的に見守る。ただ、こういう「根拠のないものを無批判に受け入れる」精神状態それ自体がより危険な実害のあるニセ科学への入口になり易いという点については危惧するので、全般に「そういう手軽で良い作用しかないような謳いのものは総じてニセ科学」といった認識を広めるようにする必要はある。
繰り返すが、ニセ科学批判で扱うのは基本的に「害のあるもの」だ。
ついでに言えば、害があるもののすべてをニセ科学の立場からのみ批判するとも限らない。水伝で言えばニセ科学としての批判は純粋に「根拠がないんですよ」の説明としての手段であって、批判の主眼はむしろ道徳レヴェルの、「水に善悪の判断を委ねていいのか」である。