個人を中心とした世界の集合

世界は自分を中心に回っている。
自分の認識できる範囲こそが世界であり、認識できないものは存在しない。たとえば行ったこともないのにアメリカという国が存在しているのは、自分がその国についての情報を知っているからだ。
しかし、と君は言う。しかし、情報は認識の外からもたらされるではないか。
然り。情報は突如として認識の外からもたらされる。つまり「存在しない」ところから存在が送られてくることが有り得る。それをどう説明すれば良いか。
実は認識の外から来る情報も、まったく認識できないところから唐突に現れるのではなく、認識済みの存在を通じて送られるのだ。


私の世界は私を中心に回っているが、君の世界は君を中心に回る。その周囲にも沢山の世界が存在し、部分的に重なっている。認識できないものは存在しないのだから、誰にも認識されず自分しかいない世界では、自分もまた存在しなくなる。
私の世界には君の世界にないものが存在しているし、逆もまた然り。外からもたらされる新たな存在とは、そうした「自分には認識できていないが自分の認識している誰かは認識している」ものだ。
沢山の世界が連なって、ひとつの大きな世界を形成している。多重の認識により確たる存在として顕現する「世界」の上にだけ、我々は存在できる。


これが、世界を形作る相互認識保証による存在継続のシステムである。