蒸気装甲戦闘工兵開発史(4):英領サツマ

前史

1854年
クリミア戦争に於いてロシアと対峙している英国は、ロシア艦隊がナガサキに寄港し補給を受けていることを確認、日本幕府に対し対ロシアの局外中立と英国艦隊の寄港許可を求めた(日英和親条約)。これは外交権を持たない英国東インド・中国艦隊司令ジェームズ・スターリングの独断で行なわれたものであったが、後に本国からの追認を得、1858年には改めて日英修好通商条約が結ばれた。条約には函館、神奈川、長崎の開港および食料・飲水・薪の補給、公使館の設置、居住権、および海底ケーブル敷設権が含まれた。

当時の英国は、海底ケーブルの防水に不可欠な樹脂ガッタパーチャの独占により世界規模での通信事業を掌握し、英国領および主要各国を結ぶ電信網を構築しつつあったが、1842年の阿片戦争勝利に伴い南京条約で得られた香港租借地および上海租界への開通は遅れていたため、英領インドから英領マラヤ連邦・英領サラワク(現マレーシア)を経由し台湾、そして沖縄諸島伝いに九州で海底ケーブルを中継させたいという意図があった。
条約締結後、海底ケーブル敷設は急ピッチで進行し、1961年には薩摩まで、1962年には長崎から香港および上海までが通信圏内となった。

第一次薩英戦争

1862年、江戸付近で英国人が薩摩藩大名行列を横切って切り殺された(生麦事件)。英国側はその賠償と責任者の処罰を幕府に求めたが、既に政体として弱体化しつつあった幕府はこれに対し明確な対応ができず、英国は薩摩藩との直接交渉に移った。ここで幕府が主権者としての責任を曖昧にしたことは、のちになって大きく響いてくることとなる。

英軍は艦隊を押し立てて薩摩藩に圧力をかけることで交渉を有利に進めようと企てたが、これに対し薩摩藩は態度を硬化(通訳に当たった福沢諭吉が英国の要求を誤読、現場の責任者ではなく薩摩藩当主の処罰を求めていると誤解したのが一因であったとも言われる)、攘夷を掲げ対立した。
1863年8月14日、英軍側は要求が受け入れられない場合は実力行使に出るとの通告を行い、薩摩藩は開戦不可避と判断、ただちに艦砲の射程圏内と目される鹿児島城を出て、千眼寺境内に陣を布いた。
翌15日未明、英艦隊は湾内に停泊していた薩摩藩の船舶を拿捕する。これに対し薩摩藩は英国の攻撃と見做し湾内7ヶ所の台場に据えた砲台で砲撃を開始。英艦隊の砲よりも劣る旧式砲ではありながら、揺れる船上砲に対し安定した地上砲の利を生かし高精度の砲火を浴びせ、英艦隊は8隻中3隻が中大破という大損害を被った。
翌日、予想外の痛打を浴びた英軍は体勢を立て直し単縦陣を組んで湾内に進入、市街地を砲撃炎上させ、また砲台2ヶ所を撃破する。しかし薩摩藩の猛攻は止まず、上陸戦に移ることは叶わなかった。艦隊の消耗を鑑みた英軍は戦闘の継続を諦めて撤退。

この敗北は海底ケーブルを通じて英国本土に電信で伝えられ、精強たる大英帝国軍が「極東の未開国」を相手に勝利できなかった屈辱もさることながら、海底ケーブル設置拠点たるサツマが外国勢力の排斥を掲げたことは情報戦略的にも重大な問題と受け止められた。英国議会はただちに派兵を決定、1年後の7月初頭、英軍最新鋭の戦力がサツマへ到着する。

第二次薩英戦争

それは異様な船だった。乾舷は水面すれすれにあり、甲板の中央には艦橋が低く蹲まっている。屋根から2本の煙突が突き出し、マストに帆はなく英国旗が翻るのみ。艦橋を前後から挟むのは巨大な円筒、その切り欠きからは2門の砲が突き出ている。
H.M.S.デヴァステーション。アメリ南北戦争に於ける装甲砲塔艦U.S.S.モニターの成功を目にした英国が、急ぎ作り上げた最新鋭の装甲砲艦である。
船体のほとんどを海中に沈め、海水を天然の舷側装甲と為すことで装甲範囲を限定して重量を軽減しつつも防御力を高め、旋回砲塔により少数の大口径砲を柔軟に運用できる。それは最新の戦訓に基づいて設計され、最新の戦術をもたらす、最新の兵装を備えた最新の艦であり、まともな海軍力を保有しない日本へ差し向けるには明らかに過剰な軍備であった。逆に言えば、それだけサツマでの敗北は「大英帝国の威信を傷つけた」わけだ。

英軍はまずアームストロング式後装砲による素早い装填と大口径砲の火力を以て薩摩藩の砲台を粉砕し、海岸に接近して薩摩勢を威圧した。海岸から運用可能な可動砲ではデヴァステーションの射程を逃れることはできず、また敵艦の装甲を撃ち砕く火力がない。
次いで英軍は輸送艦を岸に寄せ、上陸を開始する。

砲艦も異様なら輸送艦も異様であった。乾舷は高く、窓は一つもない。船体は全体として矩形を成し、他の船のように中央を通る竜骨がなくジャンク船のように見えないこともない。その船首からは厚い平板が斜め上方に突き出しており、左右に結び付けられた鎖が後方へと伸びる。
船は真っ直ぐに浜へと乗り上げると、ガラガラと鎖の音を響かせながら船首をゆっくりと下げ始めた。先端が地に着いて斜面を成し、その奥には黒い荷が蹲っている。

その荷は船よりも更に異様だった。人の背丈の倍以上もあるそれは、前後に長い胴の前方から黒い煙を噴き出し、左右に突き出した脚でゆっくりと歩き出した。見ようによっては身を屈めた巨人のようでもある。
全身を黒鉄で覆った巨人が、槍刀はおろか種子島さえ通じない相手だろうことは明らかだった。砲ならば撃ち倒せもしようが、それは沖合の砲船が許さない。
数機の鉄巨人は進路上のすべてを薙ぎ倒し、踏み潰しながらゆっくりとした歩みで薩摩軍の本陣へと迫った。
薩摩藩士は起死回生を期して鉄巨人に肉薄戦を試みた。だがモンティニー蜂窩砲は驟雨の如く弾丸を撒き、近付くことさえ許さない。
わずか数時間のうちに薩摩藩は降伏し、英軍の占領下に置かれた。
これが、蒸気装甲戦闘工兵グレイヴ塹壕戦以外で使用された初めての戦争であった。

戦後

薩摩藩の降伏後、もはや幕府が日本の主権を有していないと見做した英国は同地を薩摩の支配下にあった琉球王国ともども英領サツマとして大英帝国の版図に組み込んだ。
面積こそ小さな領土ながら東シナ海黄海を押さえる場所であり、北太平洋方面への寄港地、またユーラシア北東部方面への海底ケーブル中継地として、英国の戦略的要衝となった。

日本は薩摩を取り戻したがったが、サツマに駐留するグレイヴと砲艦は生半可な兵力では打ち破れない。だが、それに対抗する装備を模索しようにも英国以外にグレイヴを作れる国はまだなく、また艦砲射撃によって制圧しようにも旧式の木造艦では英軍の装甲砲艦になす術もない。
結局、明治政府の樹立後も薩摩の返還は叶わず、サツマはその後長らく英国領として、日本の軍事的意図を制する楔として、また日本と英国の交渉窓口として機能し続けた。軍備の増強を図る日本を抑えるようにサツマ駐留英軍も都度増強されたが、それは現地の負担増加とともに英本国からの資金流入ももたらし、同地の経済をすっかり軍事従属的に組み替えるに至った。かつて同地にて醸造されていた蒸留酒、所謂「泡盛」は英軍の持ち込んだラムに駆逐され、多くの蔵元がサツマおよびリュウキュウにて広く栽培されるサトウキビの廃糖蜜から醸造されるラム酒の製造へと乗り換えた。
また基地から流出する西欧文化を日本政府は警戒し、国境地帯に鉄柵を巡らせ情報の出入りを制限したが、やり取りされる物資の緩衝材などに紛れて持ち込まれる英字の冊子類や国境を超えて届くラジオの電波などは防ぎようがなく、九州南部を中心に徐々に英国文化が受け入れられていった。

塹壕戦のために開発されたグレイヴはその後、機動砲戦力としての側面を強くし、他国のグレイヴ開発が英国に追いつき始めた第一次世界大戦以後はかつての騎兵に代わる独立した機動打撃戦力として運用されるようになってゆく。

なお、最終的に英領サツマがその帰属を日本へと戻したのは第二次世界大戦後、大英連邦の影響力が低下し加盟国の独立脱退が相次いで後のことである。


蒸気装甲戦闘工兵開発史 - 妄想科學倶樂部
蒸気装甲戦闘工兵開発史(2) - 妄想科學倶樂部
蒸気装甲戦闘工兵開発史(3) - 妄想科學倶樂部

スティームパンクなヘッドフォンを見せてください

耳に押し込んでしまうイアフォンと違って露出度の高いヘッドフォンは目立つ存在だけにファッションとの親和性が重要になる。
永らく通信用機材であったヘッドフォンが音楽へと転用され初めたのは1960年代以降であり「クラシックなスタイルの音楽用」が確立する前にポップカルチャーに取り込まれた感があり、デザインもカジュアル向きが多い。フォーマルなわけではなくともクラシックスタイルを中心とするスチームパンクとは、素材的にもデザイン的にもいまいち相性が悪い。
しかしどんなスタイルであれ音楽を聴きたいという需要はあるはずで、それに合わせた再生装置を各自工夫なさっているのではないかと思う。そういう情報を共有できれば、という趣旨でちょっと書いてみた。
他にも「こんな製品がある」「こんなのを使っている」という情報があればご一報下さい。

私の使っているもの:i-MEGO Retro

所謂「骸骨マイク」を模したハウジングが特徴的なデザイン。スチームパンクっぽいわけではないがレトロではある。

どうもモデルチェンジしたらしくメーカの製品ページから消えてしまった。

自作しちゃう人


Monster Beatsをベースにハウジング+ヘッドバンドを自作しちゃった猛者。ここまで来るともう元がどんなヘッドフォンでも関係なくなってくる。

スチームパンク大百科」より、Skullcandy Aviator


スチームパンクに合うブラウン+ゴールドのカラーリング、フェイクレザーを多用したデザイン、スピーカ部分が透けて見える機械感と、かなりそそる要素を満たした製品。マイク付きのものは結構高いが、マイクなしの製品だとまあ許容範囲の価格に落ち着く。

猫耳付き


スチームパンクとは別の理由で装着可能な人が限定されそうな形態ではあるが。

木製ハウジングのAviatorヘッドフォン、Tribeca Aviator-Style Natural Sound Headphones


これも卵形ハウジングのヘッドフォン。こういう形のをAviatorっていうんだろうか。飛行士との関連性はよくわからないが。
ステンレスのヘッドバンドなどはSkullcandyのものより正直安っぽい感じがあるけど、その分値段も安い。木製ハウジングはわりと良い感じに見える。

Marshall Headphones


アンプなどで知られるMarshallのヘッドフォンは同社らしい黒ボディに白ロゴ+金のワンポイントで、50年前から変わらぬクラシカルなスタイルを継承したデザイン。ブラウンモデルもあるのだがAmazonでは扱ってなかった。

AKGの定番K240S


黒+金のカラーリング、ぐるりと穴の空いた半開放ハウジング。特徴的なスタイルは各社からコピーされ、iSKやSuperluxが安価に似たようなのを出している。

銅色のMonster beats by Dr.Dre


モダンなデザインで定評のあるbeatsのヘッドフォンに銅色モデルが。しかし国内で販売しているところを見付けられなかった。

木+革のバンドが特徴的なHouse of Marley Exodus


レトロかつモダンでとてもかっこいいデザインなんだけど、ちょっと高めの2万円台で手を出しかねていたら販売終了に。市場から消える間際は1万円を割ってたようなので、気付いてたら狙ったのだが。

木製レトロな高級品 AUDEZE LCD-3


木製ハウジングのヘッドフォンを探していて見付けた。とても素敵なんだけど、その、価格が……
もう一段安いグレードのものもあるけど、それでも10万円を越える。

Zennheiser HD-1000

Редкие, винтажные, High-End, наушники - Sennheiser HD-1000
リングから伸びる6本のスプリングでハウジングを宙吊りする趣味的なデザインのヘッドフォン。写真を見たときてっきりハンドメイド作品かと思ったら、デザインコンテストの入賞作らしい。

オークションでアンティークものを

ヘッドフォンそのものは100年以上昔から存在しているので、オークションなどで本物のアンティークを入手することもできる。流石に使用には耐えないと思うけど、純然たるファッションアイテムとして使うなら悪くない。
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塗ってみた

現状入手可能な製品の中で、見た目の雰囲気と手頃な価格を考慮した結果、AKGのK240S……のデッドコピーを入手した。

見た目は大体同じだが素材が全て安っぽい樹脂部品に置き換わっており、その割に音質は悪くないが値段は数分の一という、まあなんか知的財産的には敗北の感があるけども改造素体なのでお許しいただきたい。
ほぼ黒一色にアクセントとしてシルバーグレイの樹脂部品が付けられている。ハウジングには目立たないが「PROFESSIONAL MONITOR」と大書きされており、右耳中央とヘッドバンドにはSuperluxのロゴ。ちょっと格好悪いので複数メタルカラー塗料で塗ってみた。
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色を着けても樹脂部品が金属部品になるわけではなく安っぽさが消えはしないが、ちょっと古びた風合いにはなった。そのうち装飾部品を取り付けよう。→付けました。

レビュー:紫影のソナーニル(PSP版)

スチームパンクシリーズ」と銘打たれたPC向け18禁ノベルゲームの1作が、コンシューマ機に移植された。

紫影のソナーニル Refrain -What a beautiful memories-

紫影のソナーニル Refrain -What a beautiful memories-

スチームパンクな世界設定のノベルゲーム、というだけでずっと気になっていた作品なので、早速買ってみた。一通りプレイを終えたところで偏ったレビューを書いておく。

要旨

クオリティは充分ながら些か趣味に合わない面があった。しかしこの世界はもっと見たいので、シリーズ他作の移植にも期待。

システム

基本的には極めてオーソドクスな、ほぼフルボイス付きのノベルゲームである。オートプレイ、バックログからの巻き戻し選択、選択肢までのスキップ。長い文章を読み進め/読み飛ばし/読み流すための機能が備わっている。
特徴的なのは、「二重の意味を持たせる」仕掛けと、それを手掛かりとした「改竄箇所の発見」である。章ごとに、「図書館で新聞記事を読み改竄された記録を訂正する」場面が挟まれる。ここで章の内容を思い出しながら改竄箇所(3箇所の候補が示される)を正しく選択できれば、次章で適切な選択肢が現れる。失敗した場合は正解の選択肢が示されず、章中でゲームオーバーになる。
正直、このシステムはなんとも中途半端だ。
「手掛かり」はとても明示的なものでまず「見落とす」ようなことはないし、そもそもアドヴェンチャーではなくノベルゲームなので章ごとに選択場面は1回しか出現しない。何からの「調査」行動や会話中の複数選択肢による結果分岐で「隠された情報を探る」ような仕組みが欲しかったところだ。
もっとも、プレイヤー選択が与えられないが故に手詰まりもなく、読み進めることだけに集中できるわけで、この辺は善し悪しというより需要の問題かも知れない。私としては、「読むだけなら小説でいいので、ゲームにはゲームであることを望みたい」ので。

文体

とても特徴的な書き方をする。具体的には、助詞の省略と体言止めの多用。例示すると……
「書き方、特徴的。とても。助詞、省略して。体言止め、多用して。」みたいな感じの文章。
とはいえ、これは案外馴染む:少なくともボイスの当てられている範囲については。
口語文でもない「話言葉」に於いては、現実でもこうした省略はしばしば行なわれるもので、そのように耳から入るものである限り、違和感は少ない。
ただ、地の文までも同じ文体で書かれるので、そこはなんとかならなかったのかと思わぬでもない。

全体に文章が寸断され、長文が見られないのは、文章表示エリアが3行分しかない仕様に合わせたものとも考えられる。少なくとも、メディアとして異なる小説類などと比較すべきものではないだろう。
しかし、繰り返し表現の多さは些か気になるところだ。これがライターの癖によるものなのか、それとも作品のテーマに合わせた表現なのかは、シリーズ他作を知らないため判断しかねる。

ストーリー

ノベルゲームであるので、面白さのすべてはシナリオに依存している。
癖のある文体はともかく、物語はしっかり読ませるだけのものを持っており、充分に楽しめる。
ただまあ、元が18禁という性質上、物語としての流れとは別に情事が描かれざるを得ず、別段それは不自然でもないのだが、それでも「必然性がない」とは感じてしまった。

物語の中心的な部分は「不思議の国のアリス」と「オズの魔法使い」をモチーフとして描かれる。スチームパンクに期待される歴史改変SF的なものよりも、むしろファンタジーめいているが、これはどうもシリーズの特徴というより本作にのみ特徴的なことなのではないかという気がする。というのも、本作は2人の視点を交互に切り替えつつ進行するが、一方はファンタジーであるもののもう一方には確かにスチームパンクらしい世界設定が見て取れるからだ。
もし、他作ではもっとスチームパンクしていたのだとすれば、コンシューマ移植第一段が本作であったことは私にとっては些か残念と言わざるを得まい。もっとも、本作が成功を収めれば他作の移植可能性も出て来ようというもので、そちらに期待しておく。

キャラクター

敵にせよ味方にせよ、キャラクターはいずれも魅力的──であろうと思うが、正直なところ私はあまりキャラクターに興味を持たない傾向があるので、なんとも言えない。
可愛い女の子も美しい女性も登場するが、視点の故か、むしろ「同性から見た魅力」的な描かれ方をしている感じがある。その一方で「ダンディな男」「快活な少年」「無口な美青年」「眼鏡の朴念仁」など男性キャラがヴァリエーション展開されている辺り、なるほど確かに「女性に人気の18禁」らしさを感じる。

ただその、主人公の性格設定についてだけは少々思うところがあったので書いておく。
主人公は(2人いるが、主に語られる方は)基本的に無知で、判断力が低く、流され易いキャラとして描かれる。その行動は情緒的で、直情的で、基本的にトラブルメーカーだ。勿論それが最終的に解決を導きもするのだが、読んでいる側としては「悪い結果を招くであろうことが予感される行動を繰り返す」「言うべきことが言えず取るべき行動が取れない」などのもどかしさを繰り返し味わうことになってしまう。それが魅力になることもあるのだろうとは思うが、私としてはそういうタイプをあまり好まないので、正直ちょっと辛い。

世界

垣間見える「スチームパンク世界」はなかなか魅力的だ。
機関エンジン」文明。煤煙で青空の失なわれた世界。脚歩行鞄。(どうやら異世界であるらしき)カダスの、機械文明とはまた異なる技術。現象数式。現実に重ねて異界を見通すオッドアイ
それは確かにスチームパンクを想起させる。正しく歴史改変的で、正しく科学と魔法の融合技術による。
この部分をもっと見たかった。どこでもない異世界の描写ではなく、異なる地球の、異なる歴史の方を見たかった。
もっとも、それはシリーズそれぞれに描写されたものを重ね合わせることで浮かび上がるものなのだろう。世界を描写することが作品の主眼ではないのだから、そこは単に私の需要の問題ではあるが。

スチームパンク自作派のための歯車デコレーション

スチームパンクらしい」モチーフ、と言われてどのようなものが思い浮かぶだろうか。
革と金属の風合い、配管と蒸気、真空管……色々あると思うが、だいたい共通するだろうイメージのひとつに「歯車」がある。
蒸気機関からの動力伝達部品であると同時に初期型演算機構の主要構成部品でもあり、物理型装置にも論理型装置にも組み込み可能。明瞭な特徴と組み合わせによる生じる適度な複雑さを持つ平面的な構造は装飾用としても使い易い。とても汎用性の高いモチーフだ。

とはいえ「歯車さえあればなんでもスチームパンク」というほどに手軽なわけではない。スチームパンクの小道具というのは要するに「架空の機械装置」なので、制作にあたっては機械らしく見えるかどうかが重要になる。

歯車の作法

歯車が歯車として機能する(ように見せる)ためには、それなりの「作法」がある。

歯車は組み合わせて

歯車というのは単独で使われることはない。「他の歯車へと回転を伝える」のが基本的な作用なので、必ず複数の歯車が、相互に噛み合って使われる。
また、基本的に同じサイズの歯車を隣接させることはない。単なる動力の伝達だけではなく回転速度の変化も歯車の重要な役割であり、そのためにサイズの異なる歯車を組み合わせるのが普通だ。
具体的には、動力の伝達方向が大歯車→小歯車なら回転速度が上がり(代わりに力は弱まる)、小歯車→大歯車なら力が強まる(代わりに速度は下がる)。装置の性質が、速度を要求するものか力を要求するものか、そういうことも考えながら歯車の組み合わせを決めると一層説得力が出る。
ついでに言えば、「奇数の歯車が相互に噛み合うことはない」ことを憶えておくといい。噛み合った歯車同士の回転方向は逆になるので、奇数で組み合わせてしまうとひとつの歯車に右回転と左回転が同時に発生して動かなくなる。

歯車を重ねる

歯車は同一平面上のみで構成することはほとんどない。速度変更のために歯車を用いる場合、(単純な組み合わせでは)速度差に応じて直径が極端に大きくなってしまい都合が悪いので、普通は大小2つの歯車を重ねたものを組み合わせ、段階的に速度を変えてゆく。これによって歯車は軸をずらし平面をずらして多層的に重ね合わされ、肉抜きされた歯車の向こうに別の歯車が見え隠れして複雑な表情を見せる。

軸を支える

歯車は軸がぶれると噛み合わせがずれて空回りしたり歯が削れて壊れたりするので、軸をがっちり固定する設計が要求される。大きな力のかからない薄い歯車では上からネジ頭で押さえたりもするが、もっと大きなものなどでは軸の両側をフレームで挟んだりする。いずれにせよ、歯車は空中に置くわけにいかないので、必ず軸の支えが必要になる。歯車を貼る前に、その構造にも思いを馳せるといいだろう。

回転するもの

歯車はあくまで回転力を伝達するための構造だ。動力から回転を与えられ(蒸気機関の場合、タービンでなければ原則として往復直線運動なのでクランクなどを介してこれを回転に変える必要がある)それを回転として伝える。
回転が意味を成さない機械には、歯車は使えない:たとえば眼鏡とか(まあ焦点変更機能などを組み込むならその限りではないかも知れないが)。「どこから動力を得るか」「どこへ伝達するか」といったことも考えながらデザインを決めるといいだろう。

意匠としての歯車

機械としての歯車とは別に「装飾としての歯車」があってもいいだろう。例えば5円玉の中央は歯車の意匠になっているが、そういう風に何らかのデザインとして機能を持たない歯車があしらわれる可能性はある。
紋章としての歯車、模様としての歯車。歯車の形に加工された食品や、コインとしての歯車なんかもあるかも知れない。

「機能する(ように見せた)歯車」だって、実際に意味のある機能を持っているわけではない。単に架空機械に説得力を持たせているだけの話だ。ならば「機能しない歯車」だって、機能しないなりの存在感、機能しないなりの説得力、そういうものが「設定」できるのならば、それはそれで充分にスチームパンクと言えるだろう。

歯車の入手

樹脂歯車

比較的安価でヴァリエーション入手しやすいのは樹脂製の歯車だ。たとえば100円ショップでも内部に歯車が組み込まれた製品は色々あり、修正テープやおもちゃなどを分解すれば大小さまざまな歯車を得ることができる。また、タミヤの工作用ギヤーボックスセットミニ四駆のギヤーセットなども使いようがあるだろう。

樹脂歯車の良いところは実用歯車が簡単に入手できることだ。いずれも実際に製品に組み込んで使われる「本物」なので機械らしさを持っている。それに軽いので、あまり重量バランスを崩さない。
難点は樹脂なので質感がイマイチなこと。でもまあ、塗装すればどうにでもなる。
機構として可動前提で組み込む場合は塗装というわけに行かないので金属歯車をおすすめする。

金属歯車

金属のものは実用品と装飾用の2種類がある。
実用の歯車は質感の点で最高だが、工作精度と耐久力を要求される部品なので基本的に割高になる。また基本的に業務用なので、小ロットの単品購入が難しい場合が多い。
比較的入手しやすいルートはオークションなどでの機械ジャンクパーツだろう。特に機械式時計の部品などは出物が多いが、こちらは選んで買うのが難しい:だいたいグラム単位の量り売りなどでランダム詰め合わせになる。
装飾用の歯車は、スチームパンクがブームになったことで入手が容易になった。「歯車 チャーム」などで検索すると、主に手作りアクセサリ用などに販売されているものが見付かる。落ち着いた風合いに加工されたものがまとまって比較的安価に入手できるが、実用部品の流用ではなく最初から装飾用に鋳造されるものなので造型はやや甘く種類も限られる。ちょっとしたアクセント程度の利用であれば充分だが、こればかり使って量産すると「どれも似たような部品」になってしまうのが難。

木製歯車

木製の歯車というのは単品での取り扱いがほとんどない。なにしろ樹脂や金属と違って鋳造が不可能で全てが切り出しになるので生産性が悪いし、そのうえ耐久力も決して高くないので部品としての実用性に欠ける。ただ着色が容易で風合いも良いので、装飾用にはちょっと使いたくもなる。大きなものでも金属ほど重くならない利点もある。
単品ではレインボープロダクツでの販売が少しだけあるが、あとは基本的に時計などの「工作キット」類などから取るしかないだろう。

手作り

どうしても望むものが得られないなら自作する手もある。
簡単ではないしお金もかかるので、「作ること自体を楽しむ」か、あるいは「どうしても既製品では駄目」な場合に限られるだろうが、自分だけのオリジナルを主張するならばこれもひとつの方法だ。
主な手段としてはレジンキャスト、レーザーカット、3Dプリント、フライス旋盤加工などが考えられる。
……まあここまでやれる人は稀だろうし、やれる人なら私から言うべきことは何もない。

海外スチームパンクに於ける蛸モチーフについて

スチームパンクは定義の曖昧なジャンルであるためにモチーフも曖昧で、画像検索などしていると「これのどこがスチームパンクなのか」というようなものも目にする。「ドレスを着た女性」みたいなものは、恐らく古めかしいスタイルであるために時代性としてスチームパンクを連想させるのだろうと思われるが、よくわからないのが「蛸」である。

動物モチーフは少なくない。なかでも虫、とりわけ蜘蛛は割合好まれるモチーフのようだが、それらは一般に「機械部品を用いて動物の形状を表現する」などの手法で用いられ、それは(形状がなんであれ)確かにスチームパンクらしさを備えている。
しかし蛸は、機械部品による蛸型ロボットなどではなく単に「鋳造された蛸モチーフの装飾」などの型で用いられる。これは明確に一線を画するものだ:即ち、歯車やパイプなどと同じレヴェルで「蛸=スチームパンク」というイメージがあるものと推測される。

正直、この感覚は日本人にはちょっと理解し難い。蛸と蒸気機関には何の関係もなく、日本人によるスチームパンク関連創作の中で蛸が重点的に用いられることはまずない。
もっとも、これは欧米でもやはり謎であるらしく、スチームパンク関係のフォーラムにもスレッドが立っていたが結論は出ていない。とまれ、日本人と違って「蛸はスチームパンクめいている」と考えているのは確かなようだが。
何故、蛸なのか。

スチームパンク系作品の影響可能性

少なくとも日本に於いてはスチームパンクと言われてすぐ思い出す「代表作」と言えるものがないに等しいためピンと来ない部分もあるのだが、日本よりはスチームパンクに親しい欧米に於いてはそうでないかも知れない。
代表的な作品の中で蛸に関連しそうなものを探す。とはいっても、あんまり出て来ないのだが。

海底二万リーグ

スチームパンクというジャンルの原型は明らかにヴェルヌやウェルズの諸作品であり、中でも無敵の潜水艦ノーチラス号の冒険譚である「海底二万リーグ」は印象深い。この中で巨大な烏賊だか蛸だかとの戦いが描かれているが、これがモチーフの由来ではないかとする説がある。
しかし実のところ作中で描かれているのは常に「ダイオウイカ」であって蛸ではない。幾度となく映像化された諸作に於いても一定してイカが描かれているし、フランス語の原文を当たってみた限りでも烏賊を意味する「Calmar」は何度も出てくるが蛸を意味する「Octopoda」はなかった。Octopodaはなかったものの「Kraken」の語は使われていた。クラーケンは「イカともタコとも同定できない」海の怪物であり、つまりここで描かれているものが烏賊なのか蛸なのかは判断がつかない。
もちろん、それでもなお一般に烏賊より蛸がイメージされている可能性を否定するものではないが、少なくとも描写上は一貫して烏賊であるようだ。

クトゥルフ神話

蛸モチーフといえばクトゥルフである。発表時期は1928年、スチームパンクの時代性としては末期であるものの範疇にはあり、作中の科学知識を元にした描写と幻想の綯い交ぜはスチームパンクとの相性も良い。
しかし実際にはクトゥルフ神話諸作がスチームパンクと認識されることはあまりなく、蛸モチーフ以外にはさしたる接点も見当たらない。そもそも、クトゥルフを取り込むなら蛸ではなく「蛸に似た何か」である筈で、この点でもクトゥルフを根拠とするには弱いように思う。

宇宙戦争

ヴェルヌと並んでスチームパンク系作品として忘れ難いのがウェルズであるが、その代表作のひとつ「宇宙戦争」では地球に侵略する火星人が描かれた。
作中に於ける火星人の描写は「重力が弱いため体を支える構造が脆弱で、薄い大気を呼吸するため肺が大きい」大きく膨らんだ体の下に細い脚が何本も生えた、蛸か海月のような生き物であった。これがスチームパンクと蛸を関連づけた可能性はある。
ただ、この火星人は「タコ型」とは言われるものの当時のイラストを見てもあまり蛸っぽくはない。それに、これがイメージの元であるならばむしろ宇宙人モチーフとなるべきところで、蛸になる理由が弱いところはクトゥルフと同様である。

パイレーツ・オブ・カリビアン

スチームパンク・スタイルは大雑把に19世紀頃のファッションスタイルと機械類をミックスすることが多いが、時代性の認識は割合大雑把でありレトロな雰囲気であれば馴染みが良く、また無骨で大仰な道具類、とりわけ銃器との相性からアウトロースタイルも多く見られる。また潜水艦や舵輪など海のモチーフとの相性も良いことから海賊スタイルへの発展例も少なくない。
2005年公開の「パイレーツ・オブ・カリビアン2 デッドマンズ・チェスト」ではクラーケンや蛸の姿になった海賊なども登場し、これがファッション方面に於いて蛸のモチーフを増加させた可能性もある。

他の可能性

スチームパンクは近年、物語のジャンルとしてではなくファッションジャンルとして定着しつつある。蛸モチーフの多さも、主にアクセサリなどを中心としており、つまりはファッションアイコンとしての意味が大きいようだ。
隣接したジャンル、例えばゴシックファッションなどでは死や悪をイメージさせる骨や蝙蝠、蜘蛛や蝶などが多く用いられる。スチームパンクにも骨モチーフは多いが、これらは(露悪的な側面を残しつつも)科学モチーフとしての博物標本的な面と融合している傾向があるようだ。
もしかしたら、蛸も(もちろん海底二万リーグなどの影響も混じってのことだろうが)博物学時代の未知科学フロンティアとしての海洋生物標本的なイメージや、あるいは「動物モチーフを取り入れつつ隣接ジャンルとの差別化を図った」結果として他には見られない蛸に落ち着いたのかも知れない。


どうにもはっきりした結論が導けず纏まりのない記事になってしまった。

スチームパンクの技術史

ティーム・パンクというのは、本来はSFの用語だ。
SFの源流は(定義にもよるが)19世紀に遡る。ジュール・ヴェルヌはフランスで1864年に「地底世界」、1865年「月世界旅行」、1870年「海底二万マイル」、1871年「洋上都市」など「空想科学小説」を次々に発表、機械技術がもたらす新たな社会の姿が空想逞しく描かれ始めた。
それから100年あまり、1980年前後に「サイバーパンク」をもじったジャンル名称として提唱されたのがスティームパンクである。
これは要するに、初期SFの作風に影響を受けて現代の作家が描いた「レトロフューチャー」だ。

ヴェルヌが描いたのは当時の知見に基づく「来たるべき未来の姿」である。対して、スティームパンクが描いているのは「来なかった未来」だ。蒸気機関内燃機関にとって代わられ、電気技術が電子技術へと発展した現代社会ではなく、たとえば蒸気機関が主力のまま成長を遂げた社会、たとえば解析機関が完成・普及し情報化社会が100年早く到来した社会。レトロ・フューチャーであると同時に歴史改編SFの要素を色濃く持つものであると言える。

とはいえ、実際にはそれほど厳密に定義されるようなものでもない。語の成立当初から、スティームパンクは大雑把に雰囲気で成り立つジャンルであった。
蒸気といいながら、必ずしも蒸気機関にこだわらない。パンクといいながら、特に退廃的であったり反社会的であったりするわけでもない。SFだけれど科学的とも限らない。そんな緩いジャンルに過ぎないのだ。

ファッションとしてのスティームパンク

結局スティームパンクはSFとしてはあまり広まらず(とはいえ一部には「天空の城ラピュタ」のような知名度の高い作品もあるが)、むしろファッションとして浸透していった。基本的には産業革命華やかなりしヴィクトリア朝様式を中心として機械装置っぽいものを組み合わせたスタイルだが、クラシカルさを漂わせるゴシック系ファッションとの親和性も高く、また米国では同時期のスタイルであるウェスタンとの組み合わせも多く見られる。日本では本来ならば江戸末期〜明治初期に当たる時期だが、鎖国によって科学技術の導入が遅れた日本では蒸気機関車国産化は20世紀に入る明治末期〜大正頃まで待つ必要があり、洋装化が進み独自の和洋折衷様式を持つに至った大正モダンとの相性が良い。
当時の加工素材を反映し、革及び真鍮が多用される傾向にある。そのため茶〜金系の色彩をベースとし、それに合わせる布地も基本的に色彩を抑えた渋めの色合いを基調とする。また、機械部品、とりわけ歯車を装飾的に使用することが多い。

ファッションの一語で済ませるには大仰なスタイルで、半ば「コスプレ」の域にあるものも少なくない。とはいえ特定の作品設定に則るのでない限りは明確な縛りもなく、なんとなく共有されるイメージはあるものの個々の作り出すものはかなり異なっている。
個人がスティームパンクと思えばそれがスティームパンクだと言っても良いのだが、まとまりを考慮すれば自分なりの一貫性というものは必要だろう。そこで、参考までに産業革命時代の技術水準や流行を示す。

スティームパンク時代の技術史

当時の服飾技術

合成染料

19世紀は染色の時代である。1856年に紫色の合成染料モーヴが開発されると、1869年に茜色のアリザリンが、1880年には藍色のインディゴが合成され、機械式織機と相俟って鮮やかな色彩を持つ布地が大量生産されるに至った。
にも関わらず、当時の流行色は「黒」だったという。とりわけ男性の服に於いて黒が重用され、その傾向は上流のみならず中産階級にまで普及した。これは蒸気機関に顕著な問題としての「煤煙」と無関係ではないだろう。煤で汚れがちな街では黒こそが合理的だ。

化学繊維

1855年、ニトロセルロースから最初の化学繊維レーヨンが開発され、特許取得。絹のような光沢を持ち重用されたが、原料となるニトロセルロースは「綿火薬」と呼ばれる極めて燃え易い物質であり、「ドレスに火が付いて火だるまになる」などの事故が相次ぎ、20世紀初頭には使用されなくなった。
しかし1884年頃には別の製法が開発され、ニトロセルロースではなくセルロースそのものを繊維化するようになった。

ジーンズ

1853年に米国でリーバイスがカンヴァス地を用いた作業用パンツを販売。1880年にデニム地に変更、現在のジーンズが完成する。

ミシン

近代的なミシンの原型は1810年に発明された。1830〜50年にかけて英米を中心に複数の特許が取得され、1850年にはシンガーがミシンの製造販売を開始している。

アイロン

1882年に最初の電気アイロンが特許取得。それまでは鉄の鏝に炭火を入れる炭火アイロンか、専用のストーブの上で加熱しては使うものが一般的であった。

洗濯機

洗濯機の発明は意外に古く、17世紀の末頃には既に特許事例がある。18世紀の末頃には回転ドラム式のものが登場、当初は手動だったが蒸気機関内燃機関と組み合わせて動力化されてゆく。20世紀の初頭には電動式が登場し、電力の普及と共に広まっていった。

眼鏡

当時はまだ眼鏡のフレームは様式が定まっていない。現代のものに近い、楕円フレームにテンプルを備えたものも登場しているが(フレームは細い鋼あるいは鼈甲が用いられた)、耳かけというより頭を押さえる方式であった。その他に、より古い形として鼻梁を左右からバネで挟み込む鼻眼鏡や、頭の上からアームで吊るもの、棒付きで手に持って使うものやチェーンの付いたレンズを眼窩に嵌め込むモノクルも使われた。
メガネの玉水屋:明治時代の眼鏡(Web Archive)
眼鏡とは別物だが、ゴーグルについても触れておこう。元々は航空機の操縦者が風から目を保護するためのものであり、登場は20世紀初頭である。

帽子

19世紀の帽子は主にトップハットとハンチング。20世紀に差し掛かったあたりからホンブルグが登場する。
帽子の歴史(WebArchive)
女性の場合は顎の下で結ぶボンネットや浅く鍔の広いキャプリンなどが多いようだ。(5)帽子(bonnet, cap, hat)シャーロック・ホームズに登場する帽子についての解説があるので参照されたい。

雨具

歴史的には傘は雨具ではなく日傘・天蓋として発達してきた。現在のような「こうもり傘」が作られたのは18世紀頃だが、当初は日傘あるいは「女性の持つ雨具」として使われ、男性がこれを雨具として使うようになったのは18世紀の末頃からだという。
それまで男性は主に「オイルド」と呼ばれる、油脂を染み込ませて撥水効果を持たせた布で作られたレインコートを使用していたが、1823年にイギリスでマッキントッシュが「ゴム引き」と呼ばれる、2枚の綿布の間に天然ゴムを挟んだ防水布を発明、以降レインコートの代名詞となった。

ファスナー

ファスナーは1891年にアメリカで発明され、1893年にはコロンビア万博に出展されている。しかし当初のものは噛み合わせの精度に問題があり、勝手に開いたり歯の噛み合わせがずれて開かなくなるなどのトラブルも少なくない。それらの問題は1913年に改良されたが、利用が広まったのは第二次世界大戦後のことである。

当時の機械技術

産業革命に大きく影響した技術のひとつが製鉄である。鉄は頑丈で使い易い素材であり、加熱しながら叩いて鍛えることで様々に加工できたが、量産のためには溶かして型に流し込めるようにする必要がある。これを、石炭を蒸し焼きにすることで不純物を取り除いて多孔質の炭塊であるコークスを得、精錬を容易にしたのが大きな技術革新だったと言える。また、石炭から抜けたメタンや水素を含む可燃性ガスはそのままガス灯に流用された。

アルミ

アルミは精錬に電気を用いるため、鉄よりも精製が難しい。初めてアルミが精錬され元素としての存在を確認されたのは1807年(この時点では鉄との合金)、単離に成功したのは1825〜27年だが、この頃は貴金属扱いであった。
1840〜50年代に電解法が発明されて量産が開始されるが、現代でも使われる手法の成立は1886年

照明

1797年に英国でガス灯が発明された。石炭を精製してコークスを作る際に副産物として生じる「石炭ガス」を燃料とした照明器具で、定期的な燃料補給が不要になる利点があり普及した。ガスの噴出口を潰して平たく炎を広げることで照明範囲を拡大しているが、明るさが充分とは言えなかった。1871年以降は日本でもガス灯が普及し始めた。
1886年に白熱マントル灯が発明されて3倍ほどの明るさが得られるようになった。
一方、1802年には最初の電球が発明されているが、寿命、光量とも実用的とは言えなかった。1835年頃から段階的に改良が続けられ、1878年エジソンによるフィラメントの改良、及び1880年代の電気インフラ展開によって、ようやく実用的な照明装置としての地位を確立する。
また1900年に炭化カルシウムと水の反応を利用した、極めて明るいカーバイド・ランプが発明され、灯台の光源や自動車の前照灯などに利用された。

ガラス

ガラスの歴史は古く、窓への板ガラス利用についても紀元前から行なわれているが、近世まではクラウンガラスと呼ばれる、吹きガラスを遠心力で円盤上にしたものが主流であったGoogle画像検索例。大きな面積の平板を得るのは困難であり、そのため当時の窓は桟で小さく区切られたデザインとなっている。18世紀頃には円筒の吹きガラスを切り開いて平板を得る手法が開発されたことで板ガラスの大型化と量産が可能になり、1851年ロンドン万博のクリスタル・パレスは全面を板ガラスで覆った。
製鉄と同様の手法で圧延ローラーを通す製造法も19世紀中頃には開発されているが、平滑さに欠け両面の研磨を必要としたため実用的ではなかった。この方式は1920年代のロールアウト法に発展し、1930年代以降は「表面に模様を入れたぼかしガラス」が作られるようになる。
その後、1901年には溶融したガラスをローラーで垂直に引き上げる手法が開発され、手作業によらぬ大量生産が開始されるが、日本に入ってきたのは昭和初期のことであり、それまでは円筒法を使用している。
【GLASS :#01】ガラス作りの歴史 ~8つの製造法~ | 建材ダイジェスト

光学技術

レンズそのものは古くから使われており、紀元前700年ごろのものが出土している。1590年代頃には最初の望遠鏡及び顕微鏡も製作されている。

コンクリート

コンクリートそのものは紀元前ローマでも使われていたが、ローマ分裂の頃を境に途絶え、再び利用されるようになったのは15世紀頃以降である。1824年に現代でも使われる「ポルトランド・セメント」が発明され、1840年頃に実用化された。
現存する最古の鉄筋コンクリート建造物はパリのサン=ジャン=ドゥ=モンマルトル教会で、1894〜1904年にかけて建設された。

ゴム

アマゾン流域を原産とするパラゴムノキから取れる樹液に酸を加え乾燥させたものが生ゴムである。現地では球形に固めてボールとして利用する他、布地に塗布して防水性を持たせるなどして利用していた。
1839年アメリカでグッドイヤーがゴムに硫黄を加えることで弾性が大きく変化することを発見(加硫法)、ここから工業利用の需要が増加する。ブラジルはこれを重要な輸出品と位置付けパラゴムノキを厳重に管理したが、英国はその利用価値に目を付け苗木及び種子を密輸、東南アジアの植民地で栽培を開始する。
とりわけ1888年ダンロップの空気入りタイヤチューブ発明以来、ゴムの需要は急速に伸びる。パラゴムノキ栽培に適した植民地を持たないドイツでは石炭化学ベースの合成ゴム開発に着手、1933〜34年には2種類の合成ゴムが開発された。

またゴムへの加硫に関して、多量に加硫することでむしろ弾性が失われ硬質の樹脂となることが発見され、エボナイトと名付けられる。硬度及び耐薬品性に優れた絶縁素材として多用されたが、次第に合成樹脂に置き換わってゆく。

合成樹脂

最初の合成樹脂は1835年に発見された塩化ビニル/ポリ塩化ビニルだが、商用利用されたものとしては1869年アメリカで開発されたセルロイドが最初の例となる。ニトロセルロースに樟脳を加えたもので、成形が容易で透過性があるため鼈甲の代用などとして重宝され、眼鏡のフレームや万年筆の軸、玩具や飾り物などに広く利用された。とりわけ写真/映画のフィルムとしての需要が高かったが、可燃性が高くしばしば火災事故を引き起こしたため規制されていった。
また1872年に発見されたフェノールとホルマリンから成る合成樹脂が、1907年アメリカで工業化されベークライトと名付けられた。絶縁性と高い耐熱性を持ち、電気部品まわりや鍋の把手など様々に利用されている。

電気

1746年にはライデン壜の発明により蓄電・放電が可能となり、また1800年にはボルタが化学反応を用いたガルヴァーニ電池を発明しているが、電圧を安定させ動力源として利用可能な電池は1866年のルクランシェ電池まで待つ必要がある。これは構造的にはほぼ現代の電池に等しい。
発電機及びモーターは1820年代〜30年代に確立しているが、大規模な発電装置からの送電というインフラが展開するのは1880年代から。

電子技術

1884年エジソンが電球の実験中に発見したエジソン効果を受け、1904年には最初の真空管が発明されている。電気回路に用いられ整流、変調、検波、増幅などの機能を担い、20世紀半ばまでの電子技術を担った。

通信

電信以前の高速通信技術としては、フランスで1792年から開通した腕木通信システムがあった。これは塔の上に設置された腕木の向きによって視覚的に信号を送るもので、10km以上の距離を越えて瞬時に通信可能な利点があった一方、10〜30km程度毎に通信士を置かねばならず、また常時腕木を監視する必要があり、決して容易な方法ではなかった。とはいえ国内を僅か8分で通信が行き渡る速度は当時としては驚異的なもので、一時期はヨーロッパに広く普及した。
なお日本には同時期に旗振りと呼ばれる視認通信が普及した。これは主に相場を伝えるためのもので、長竿に旗や提灯を着けたものを用い3〜5里ごとに旗振り師が立ち、大阪〜広島間を30分程度で結んだとされる。

1839年には電信が開発され、順次腕木通信を置き換えていった。1866年には大西洋横断海底ケーブルが開通し、大陸間通信網が成立。
また1876年に電話が発明され、続く78〜79年に英国・米国で相次いで商業電話サービスが始まったことにより、通信は音声の時代に移行してゆく。
電話に関しては1849年にアントニオ・メウッチが電気聴覚作用を利用した、「電極を咥える」方式を先に作ったとされるが実用化には至っていない。

無線通信は1893年ニコラ・テスラの無線トランスミッター、後1901年マルコーニの無線通信によって拓かれた。
フェッセンデンは1900年にラジオを開発したが、公共放送が開始されたのは1920年である。日本でも1923年に放送免許が交付されている。
意外にも映像通信はむしろ歴史が古く、映像の信号化手法についてはまず1843年にファクシミリの原型が特許を取得、1898年にはいくつかの新聞社がFAXを採用している。1906年には光電管を用いて白黒だけでなく中間色の認識が可能となり、写真の送信が現実的になった。
また1897年にブラウン管が発明され、1925〜27年には各国でテレビの放送実験が行なわれたが、定期的な放送が開始されたのは1935年のベルリンオリンピック以降である。

気送管

1854年イギリスで初めて実用化された、荷物を収めた金属カプセルを空気圧で送り出す短距離輸送システムで、主に郵便用途に使用された。かつては主要都市の隅々までを結ぶほどに発達し、気送管鉄道構想まで打ち出されたほどだったが、20世紀に入った頃にはほぼ廃止された。
パリの気送管ネットワークの例
現在では工場内部の簡易輸送用など限定された範囲で利用されている。また、第二次世界大戦頃までの大型戦闘艦では通信室を攻撃から守る目的で艦内深くに設置していたため、艦橋との通信に艦内気送管が使われていたという。

火薬により発射する武器の登場はかなり古くからあり、解説すると長くなってしまうので主にスチームパンクに関わりそうな時代だけを解説する。
14世紀頃に登場した「火縄銃」は剥き出しの火種が扱いにくかったため、17世紀頃までにゼンマイで回転する鑢と火打ち石を擦り合わせて火花を出す「ホイールロック」や火縄の代わりに火打ち石を叩き付ける「フリントロック」が登場、服の下に隠すなどして携行が可能になった。
ピストル型の連発銃は、当初「複数の銃身を束ねた」ペッパーボックス形だったが、1850年代にリボルバー型が、1900年代初頭からはオートマチックが登場、ほぼ現代のものと変わらないピストルが成立している。
機関銃は、19世紀以前は「多数の銃身を束ねた」大型のもので、銃というよりは小口径の砲と呼ぶべきものである。日本でも幕末に使用された、数本の銃身を回転させて連続発射するガトリング砲の発明は1862年。1870年代には1本の銃身で連射できる機関銃が登場するが、この頃まではまだ重く、銃架に据え付けて使うものだった。個人が持ち歩ける小型のものは20世紀初頭からで、「ギャングの銃」として知られるトンプソン短機関銃の登場は1911年。

カメラ

感光により化学的に光を定着させる写真機が登場したのは1826年頃。実用化に至ったと言えるのは1836年のダゲレオタイプからだろう。
感光板が工業的に量産されるようになったのは1871年の乾板写真発明以後のこと。ここで初めて写真機は携行可能なほど小型化されたが、乾板は金属あるいはガラス板を用いており、重く嵩張った。薄くてコンパクトなフィルムの発明は1885年、最初は紙フィルムだったが1889年にはセルロイドフィルムに変わっている。現在知られる35mmフィルム写真機、つまりライカが販売を開始するのは1925年のこと。
現代的な一眼レフの登場は1933年だが普及はもっと遅く1950年以降、20世紀初頭に人気の高いカメラはレンズ部分がコンパクトに折り畳まれる蛇腹カメラや二眼レフなど。

映画

映写機は写真技術を元にしているが、連続撮影が可能になるためにはフィルムロールの発明を待たねばならない。最初の映写機および撮影機の発明は1890年頃。1920年頃までは音がないサイレント映画で、代わりにオルガンなどで伴奏を付けたり、あるいは日本だと各場面の内容を実況してみせる「活動弁士」が情報を補った。

時計

懐中時計が発明されたのは17世紀。18世紀の時計職人ブレゲにより飛躍的な進歩を遂げ、遅くとも19世紀初頭には腕時計が作られ始める。ただ、この頃の腕時計は(懐中時計よりも格段の小型化が求められるため)非常に高価で、ほとんど普及していない。
腕時計が市民の間に普及し始めるのは20世紀以降。飛行機の発明により、操縦士が片手を放すことなく時間を確認できる腕時計の需要が発生したことが契機のようだ。

筆記用具

万年筆は原型の発明なんと10世紀エジプトだそうだが、現代型に近いものは19世紀初頭に始まる。幾度かの改良を経て、毛管現象を利用した自動インク吸い上げペン先の発明が1883年のこと。
ボールペンの基本概念は1884年に登場しているが、実用化は1940年まで待たねばならず、インク漏れがなくなるのは1950年代以降なのでちょっと時代が合わない。
鉛筆は、鉛など柔らかい金属を擦り付けて線を書くものとしては古くから存在したが、黒鉛を芯としたものの登場は16世紀頃、英国で良質の黒鉛鉱山が発見されてから。当時は黒鉛を板に挟むか、糸を巻いて持ち手としていた。現在のように芯を木材で囲い削って使う形は1675年ドイツのステッドラーから。芯を黒鉛粉と粘土で作る現在の形式は1795年フランスでコンテにより発明された。
なお消しゴムの発明は1770年、それ以前はパンくずで擦って消していた。
現存最古のシャープペンシルは1791年の沈没船から発見されており、18世紀後半には登場していたと見られる。当時のものは主に軸を回転させるとスクリューで芯が繰り出される形式で、日本で「シャープ」創立者が開発した最初の国産シャープペンシルもこの形。後端をノックして芯を出す現代型は1960年まで登場しない。

食洗機

食洗機は意外にも19世紀の末にもう発明されている。当初は手動式だったが、ワイヤー製の仕切りによって食器を支え、温水を噴出して食器の汚れを洗い流す方式はこの時点で既に確立している。1909年には電動式が登場。

音楽再生装置

楽器の自動演奏技術は早くから研究され、様々な装置の発明へと繋がってゆく。
多数の発音装置を同期的に作動させる方法の考案は、例えば円筒に刻まれた凹凸によって、あるいは穴の空いた紙によって記録された通りの再生を可能とし、これらは一方でオルゴールや自動演奏オルガンへ、一方でパンチカード式の自動織機や演算装置へと発展する。
オルゴールの発明は18世紀末、1815年には工場で量産されるようになる。主に時計の産地で製造された。1862年にはシリンダー換装可能なものが作られ、1885年頃には円盤型が主流となってゆく。
音声振動を記録する最初の装置は1857年に発明された「フォノトグラフ」。ただしこれは波形を視覚的に記録するものに過ぎず再生はできなかった。
1877年にエジソンが錫箔を貼った円筒型の「フォノグラフ」を、1887年にベルリナーが円盤型レコードによる「グラモフォン」を発明。

車両

1769年に発明された「キュニョーの砲車」の後、1801年にイギリスでトレビシックが蒸気自動車の試作を開始。1827年には馬車に代わり定期便の運行が開始されるまでになる。
しかし内燃機関の普及は意外に遅く、19世紀の末から20世紀初頭にかけてはむしろ蒸気自動車が優勢で、特に米国では小型・高出力化が進行し、またフラッシュボイラーの発明により始動も劇的に短縮されたことで半数以上が蒸気自動車で占められたという。1906年にはスタンレー・スチーマーが203km/hの速度記録を樹立。
またこの時期は電気自動車も人気だった。これらは1920年代の末頃まで生産され続けたが、航空機用を中心に急速に発達した内燃機関に押され姿を消してゆく。

戦闘に用いる自走兵器としての戦車の構想古くから存在するが、実用化は第一次世界大戦中の1916年英国「Mark I」から。ドイツも対抗して独自の戦車A7Vを開発、以後世界中で戦車の開発が加速してゆく。

自転車はその祖先たる「ドライジーネ」の登場が1817年、これは前後2輪とハンドルを備え跨って乗るところは現代のものと同じながら駆動装置がなく、足で地面を蹴って進んだ。1861のミショー型で初めてタイヤを回すクランクペダルが着くが、前輪の軸に直接取り付けられたものだった。1870年頃にはペダル回転ごとの移動量を高めるために前輪を大型化したペニー・ファージング型が流行するが、足が地面に付かない、急制動をかけると頭から転倒するなど危険なものだった。
1879年にようやくクランクペダルとタイヤを切り離し、チェーンで後輪を駆動させる現代的なスタイルが登場。1885年に三角形を組み合わせたフレーム構造のローバー安全自転車が登場し、1888年ダンロップが空気入りのゴムタイヤを開発したことで、ほぼ現代の自転車スタイルが完成している。

鉄道

鉄道は、紀元前の古代ギリシャでコリント地峡を横断するために舗装路を敷き車輪の付いた台車を用いて船あるいは荷を輸送した「ディオルコス」が最古の事例である。ただしこれは現在のような鉄製のレールを用いたものではなく、直接の祖先とは言えない。

16世紀には炭鉱などで木製レールの上を走らせる貨車が既に存在し、18世紀には鉄製レールに置き換えられてゆくが、自走する車両の走行は1804年のトレビシック蒸気機関車まで待たねばならない。その後戦争の影響で馬が不足し、代替としての鉄道輸送研究が進む。1825年には最初の商用路線が開業し、1863年にはロンドンに地下鉄が引かれる。また1879年には電気機関車が作られ、1881年にはベルリンで電車の営業運転が始まっている。
最初のモノレールは1821年に発明されたが、様々な方式が乱立し、本格的な営業は19世紀の後半。現代型に近いものとしては1876年リロイ・ストーンの跨座式や1886年マイグス式、また1901年にはヴッパータールに片持ち懸垂式の空中鉄道が開通、これは現在も営業を続けている。

飛行機械

人類の飛行装置は1783年のモンゴルフィエ熱気球・ロベールの水素気球に始まる。18世紀末までには世界各地でグライダーなどによる飛行の逸話が複数残っているが、いずれもはっきりとした記録ではない。
19世紀に入り、1852年にはジファールが蒸気エンジンを備えた最初の飛行船を製作、また1874年にはデュ・タンプルの蒸気飛行機がごく短距離ながら飛行実験に成功している。1890年頃からリリエンタールがグライダーの実験を開始。1900年にはツェッペリン伯が最初の硬式飛行船を製作。
20世紀は飛行機とロケットが飛躍的に発展を遂げる。ライトフライヤーが初飛行したのが1903年、また同年にツィオルコフスキーが液体燃料ロケットの概念を発表。1907年にはフランスで最初期のヘリコプターが試験飛行に成功している。1910年にはルーマニアでコアンダによる最初のジェット機製作。また、この頃から航空旅客や航空輸送が事業として成立し始め、また軍用としても使われ始める。
1926年、ゴダードによる最初の液体燃料ロケット飛行。

ヘリウム

1868年からその存在が知られるようになったが、単離されたのは1895年、1903年にはアメリカで石油の副産物として可燃性ガスに混じって産出し、主に飛行船に使用された。

船舶

蒸気船は18世紀後半にアイディアが成立しているが、実際に建造されたものとしては1807年イギリスで試作された外輪式蒸気船クラーモントが最初である。以降、商船を中心に帆船が蒸気外輪船に置き換えられてゆくが、船体中央に大きな蒸気機関が据え付けられるために積載量が削られ、また船体が前後に分断される問題があった。
軍用では動力部が攻撃に晒されることを問題視して採用が遅れ、戦闘艦よりも先に輸送船などで採用されていった。
実用的なスクリュープロペラを備えた蒸気船は1836年から作られるようになり、外輪船との競争に勝利して性能を認められた。
1882〜98年にかけて蒸気タービン機関が実用化され、1894年に就航した初の蒸気タービン船タービニア号は当時世界最速の34.5ノットを叩き出し、優位性を証明した。この後、20世紀に入り第一次大戦頃を境に大型船舶の機関はほとんどタービンに置き換えられてゆく。

潜水

古い「潜水服」のイメージにある、ガラス窓付きの真鍮ヘルメットは19世紀初頭のものである。1825年には圧縮空気を入れた缶を背負う独立式の潜水服が、1837年には船上から管で送気する方式が成立する。首から下はゴム引き防水布で作られ水を防いだ。服そのものの重量に加え、水中で浮力に抗って直立し、また潮に流されないための錘が付いており100kg近い重量であったようだ。

潜水艦は1776年の米国独立戦争1864年南北戦争で既に用いられている。ただしいずれも手動でスクリューを回すもので、またハッチ付近を水上に出した半潜水に過ぎない。
1864年、フランスで最初の動力式潜水艦プロンジュールが進水。圧縮空気タンクを備えた大型の艦で、9mの潜行に成功しているが、圧縮空気の再充填のために支援艦の随伴を必要とするなど実用的とは言えない。とはいえ先進の驚くべき技術であったことは疑いなく、ジュール・ヴェルヌ海底二万マイルの着想を与えたという。
また1860年に最初の魚雷が開発され、1870年には量産を開始している。

エレベータとエスカレータ

エレベータの原型は紀元前からあった(滑車とロープを用いた巻き揚げ機)。17世紀にはロープの反対側に釣り合い錘を下げたものが作られている。
19世紀初頭には水圧式のエレベータが、1835年には蒸気式のものが発明されているが、近代型の構造は1853年のニューヨーク万博に於いてオーティスが展示したものが最初である。これは落下防止装置を備え、実際に目の前でロープを切ってみせ安全をアピールした。
水圧及び蒸気式のものは冬季の動力に難があったが、1889年に電気式が開発され、以降急速に普及してゆく。
日本では1890年に浅草・凌雲閣に電動式が設置されたのが最初の例。ただしこれは構造強度上許容されたものではなく、関東大震災で崩落した。

エスカレータは1886年にニューヨークで初めて製作され、1898年にはハロッズに設置された。1900年パリ万博には複数の企業がエスカレーターを出展している。日本では1914年大正博覧会で初めて展示され、日本橋三越呉服店に設置されたが、こちらも関東大震災で失われている。

文化など

喫煙

喫煙の歴史は意外に浅く、16世紀にアメリカから輸入されたものの習慣として定着するのは1820〜30年頃。
葉巻は16世紀から作られていたが、当時の主要な喫煙形態は刻み煙草を用いたパイプであった。また19世紀頃の上流階級は嗅ぎ煙草や噛み煙草を(高級な容器に入れて)嗜み、あるいは準備に手間のかかる紙巻きのシガレットを吸った。
1853〜6年にかけて行なわれたクリミア戦争に於いて、初めてシガレットが兵士及び帰国後の下層階級を中心に広まってゆく。

またインドでは16世紀に貴族の趣味として水煙管が広まり、これは中東やアジアなどに伝わってゆく。

アール・ヌーヴォーアール・デコ

19世紀中期に、「産業革命以降の画一的で品質の低い」量産品に対して旧来の手工芸的な技法を用い装飾を多用した「生活と芸術の合一」アーツ・アンド・クラフトと呼ばれた運動が勃興し、やがてそれは後半から20世紀初頭にかけてアール・ヌーヴォーとして開花する。
伝統的な様式とも合理化された量産品とも異なる、植物や昆虫など自然の造型に強く影響を受けて曲線を多用した柔らかなスタイルで、工芸品に於いてはガラスや金属を取り入れて極めて装飾的な手工業製品を多く生み出し、またグラフィックスタイルに於いては絵画からデザインされたイラストレーションへの変化を生じた。
しかし1910年頃にもなるとこのスタイルは飽きられ、代わって幾何学的な直線や円の組み合わせによるアール・デコへと移行してゆき、これが1930年代頃まで続く。

チョコレート

1528年にフェルナンド・コルテス将軍がメキシコ遠征から持ち帰ったココアは、当初その苦味から気付けや強壮薬として利用され、また苦みを柔らげるために牛乳や砂糖を入れるようになった。
18世紀になってようやく、カカオバターを用い固化した「チョコレート」が成立。1828年にヴァンホーテンがココアの実からカカオバターとココアパウダーを分離する製法で特許を取得するが、扱いの難しいチョコレートを甘く滑らかな口当たりに保って製造するのは難しく、最終的に現代的な菓子としての「チョコレート」が成立するのは19世紀後半のようだ。

インスタントコーヒー

水に溶ける粉末乾燥コーヒーの発明は1899頃とされる。1901年には特許取得されているがなかなか広まらず、本格的な普及は第一次世界大戦の米軍から(1917年)。

ティーバッグ

1908年に偶然発明されたとされる。サンプルの茶葉を布の小袋に詰めて送ったものがそのまま煮出されてしまったのだという。
1920年頃には布から濾紙に代わり米国で広く販売されているようだ。

蒸気装甲戦闘工兵開発史(3)

早くから、所謂「産業革命」が起こり機械化の進んだ英国では、1820年代には大型の蒸気自動車が発明され乗合自動車の運用が開始されたが、これは明確に既存の馬車産業と衝突するもので、また先行した鉄道事業にも影響を与えた。これら競合する事業者たちは早くからこの「蒸気の馬車」の脅威を認識しロビー活動を展開、その結果として悪名高き「赤旗法」が施行されるに至った。これは蒸気自動車の移動に先行し赤旗を持った徒歩の人物が周辺に自動車の到来を警告することを義務付けるもので、運行速度が歩行者並みに制限された蒸気自動車には交通機関としての利点がなくなった。
その状況を、蒸気自動車発明家らがただ手をこまねいて見詰めていたわけではない。彼らはとりあえず事業を存続させるために低速が妨げにならぬ蒸気トラクター開発などに活路を見出しつつ、同法の穴を探した。着目されたのが、この法に於いて制限の対象となる蒸気自動車を(1)機械装置による動力(2)車輪による駆動(3)レールを用いないもの、と定義していたことである。
これは勿論、既存の馬車にも鉄道にも制限がかからぬように配慮したためであるが、結果として「車輪を持たぬ自動交通装置」という抜け穴を抱えることとなり、これが蒸気歩行車両として結実した。通常ならばこのような新規の発明品は特許によって保護され占有されるのが常であったが、この時は明確な狙い撃ちを腹に据えかねた発明家らがこの新発明を「共有」したため、歩行車両は瞬く間に広まった。
馬車組合や鉄道事業者らは慌てて赤旗法の改訂を試みたが、その頃には蒸気歩行車両事業者らも力を付けており、法そのものの撤回には至らなかったものの歩行車両を制限から守ることには成功し、かくして英国内だけで発展する自動歩行機械産業が成立した。


当然ながら同法は英国内にしか制限を加えておらず、従って英国外ではこのような異端の機械が発達することはなかったが、それがクリミア戦争以後に兵器開発に於ける絶大なアドヴァンテージとして機能することになる。
グレイヴの活躍を目のあたりにした各国はこぞってこの新兵器の模倣を試みるも、歩行機械装置についてのノウハウでは数十年の開きがあり、一朝一夕にコピーできるものではない。そもそも英国外では利用価値のない機械であった蒸気歩行車両が国外で売られることはほとんどなく、少数の好事家が自家用に購入した事例がある程度である。また英国はグレイヴの開発成功による軍事的優位を悟り、素早く歩行車両の輸出・技術提供を禁じる法律を制定したため、諸国が技術を導入するのは困難であった。
このため独自の歩行車両開発は遅々として進まず、平行して代替手段の模索が続けられたが、いずれも芳しい成果を上げたとは言えない。フランスなどでは塹壕突破戦力のコンセプトとして幅広の履帯を備えたトラクターの転用を試みたが、グレイヴによって掘られた塹壕は(グレイヴの隠蔽も兼ねて)しばしば従来の人力塹壕よりも深く広く取られたため、車両による突破は困難であり、この路線は事実上放棄された。


クリミア戦争は、この後の基本的な戦争形態となる総力戦の先駆けであったと言える。参戦した各国が自らの持てる技術と生産力の限りを尽くして短期決戦を挑み、互いの戦力拮抗によりそれが長期化する。無論それらは政治的な駆け引きの先に生じるものであり、戦勝国にはそれなりの意義があった筈だが、さりとて国際政治上の利益というのはすぐに国内に反映されるものではなく、むしろ国民の目には経済の疲弊が目立つのは道理である。蔓延した厭戦感の影響もあり、この後しばらくヨーロッパには戦火が起きなかった。従って英国も唯一のグレイヴ保有国というアドヴァンテージを生かす機会を得られず、周辺諸国の追随を許すこととなる。


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