蒸気装甲戦闘工兵開発史(2)

最初に実戦投入されたグレイヴ、Mk.Iは非武装の純作業用だったが、現地では武装化の要求が高まっていた。自在に移動可能な鉄の塊は実際かなりの威圧感を持っており、心理的な効果だけでも充分な打撃が期待された。
当時はまだ機関砲もなければ車両に搭載可能な小型砲も存在しなかった時分、またグレイヴ自体が言わば「秘密兵器」であったこともあり、この時点では戦闘への直接的な投入は行なわれていない。しかし軍部でもグレイヴの武装化について研究を進めるべしとの声が上がり、「グレイヴに搭載可能な小型火砲」の開発が開始されている。
Mk.Iは陣地構築を劇的に高速化し、英国軍は戦争を優位に進め、セヴァストポリを瞬く間に包囲した。だが戦場はロシア軍の要塞である。グレイヴによる陣地構築の利点は敵の陣地構築速度を上回ってこそ発揮されるものであり、予め築かれた防御陣地を打開するだけの力はなく、戦争は膠着した。


Mk.IIは最初の「武装したグレイヴ」である。機体上部に砲座が設けられ、ここにベルギーで開発された37砲身モンティニー砲が1門搭載された。これは、いわば蜂の巣状に並べられた小銃を連射するような武器であり、今日の機関銃に相当する。砲の後部にカートリッジ式の弾倉を差し込み、ハンドルの回転により込められた銃弾を発砲する仕組みであった。発砲そのものは一人の射手で可能だったが、砲カートリッジはかなりの重みがあり、装填手が別途必要となった。多数の銃身を束ねた形状の結果として砲そのものも重く、これの旋回にも人手が必要であったため、この砲座は2名で運用されることとなった。
また車体側面〜下面に隙が指摘されたため、左右に銃眼付きの装甲板で覆った銃座が用意された。これは後に砲座に置き換えられた重火力型も存在する。
この他に、グレイヴに搭載するために新開発された2ポンド砲を搭載したタイプも造られた。モンティニー砲搭載型は主に対歩兵戦闘を想定したもので、2ポンド砲型は対トーチカ戦を前提とした支援砲撃用である。2ポンド砲型は雄型、モンティニー砲型は雌型と呼称されていた。
1855年に実戦投入されたMk.IIは多大な戦果を上げた。小銃を防ぐに充分な装甲と陣地の要衝を吹き飛ばす砲、それに障害物を乗り越える機動性を備えたグレイヴは防御陣地を蹂躪し要塞を丸裸にした。固定砲は動き回るグレイヴを狙うには鈍重に過ぎ、歩兵はグレイヴを打ち倒すだけの火力を持たず、要塞は事実上無力であった。流石に石積みの要塞を攻撃するだけの火力はグレイヴには備わっていなかったものの、それは塹壕の向こうに陣取った砲兵で充分だった。


この戦争でグレイヴは兵器として充分すぎるほどに有用性が確認され、一躍英陸軍の主役として脚光を浴びた。無論それは英国以外に於いても例外ではなく、フランスやプロイセンでも類似兵器の研究が進められることになる。


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