軍隊の拠り所

軍隊というのは国家の権利としての暴力機構であり、その存在意義は

  1. 他国に主張を押し通す
  2. 他国の攻撃を防ぐ

の2点に集約される。あくまで外敵あっての機構であり、敵の消失した暁には存在意義を完全に失う代物だ。
しかし仮に外敵の一切が存在しなくなったとして、軍隊は解散するだろうか。


実のところ軍隊の存在意義を支える「外敵」は、必ずしも実在の敵対存在ではない。むしろ明示的な敵を持つ国家の方が稀なぐらいで、各々が多少の摩擦を抱えはしても、軍事的緊張にまで至るほど密な敵対関係を築いている例は少ない。たとえば日本に於いては敵らしい敵といえば直接の接触がほとんどない北朝鮮ぐらいのもので、その北朝鮮はむしろ日本よりも韓国と直接の敵対関係にあるので日本に割くほどの余力はない。要するに事実上、目下の敵はいないも同然ということだ。
しかし敵らしい敵がいないとしても、軍が警戒を緩めることはない。実際に敵対していなくとも、「敵対した場合の戦力」を鑑みて仮想敵を想定し防備を整えるのが軍事の常である。言うなれば「非実在の敵を存在意義に置ける」ということだ。


この性質は存在意義の持続には非常に都合が良い。存続の目的を明示した組織は目的達成の暁には解散を免れ得ないが、仮想の目的でも良いとなれば事実上その存在意義は永続的だ。たとえ世界中が一つにまとまり敵と呼べるものが完全に失われたとしても、いつか現れる敵の可能性が存在を支える。具体性を伴った敵ならば、その想定戦力に応じて自ずとこちらの軍備にも制限がかかるだろうが、仮想のものであれば如何様にも脅威を拡張し得る。これは反証不可能仮説なのだ。


こうして見るに、現実に直面する敵に備えた軍以外のあらゆる軍備はある種の宗教的要素を持った存在に見えなくもない。かつ、その宗教集団は武力という影響力を有している。であるが故に、軍は常に自らの内にある狂気性を自覚し、またそれを認識する外部存在によって統制されねばならない。でなければ、存在意義を自己規定可能な武装集団は容易く暴走し得る。


それにしても、対人関係に於いては厳しく戒められるべき暴力を背景とした交渉術が、対国関係では正当と認められるというのは実に不思議なものだ。