脳内人格シミュレータ

私は割合他人の気持ちを酌むことのできないタイプであると言われる。無論できないのではなく外れるだけなのだが。
できないが故に「何故できないのか」については色々考える。思うに、「他人の気持ち推定」には2種類のロジックがある。
ひとつは「今までの相手の反応データベースに照らして、この場合はこう考えている可能性が高い」という実績ベースのもの。
もうひとつは「自分が相手の立場なら多分こう考えるだろう」という演算ベースのもの。
私の場合はとりわけ後者がやや一般から乖離しているが故に、予想がよく外れるのだろうと思われる。


データベースが充分なら、相手の反応は高精度で予想できる。しかし実際問題としてそれほど高精度のデータベースを構築できる相手というのは親兄弟や長年の連れ添い、幼な馴染みなど、要するに時間をかけて多数の事例をサンプリングしてきたごく親しい相手に限られる筈で、付き合いの浅い知人や職場の同僚に働かせるものではない。
となると、いきおい通常の演繹は「立場の入れ替えシミュレーション」に頼ることになる。こちらはあくまで「自分ならどう考えるか」なので、思考回路の異なる他人を類推するにはあまり精度の高い手法とは言えない。似たようなタイプなら当てられるが、そうでない時は大きく外れる:例えば異性のシミュレートには大体役立たないし、立場の大きく違う人相手にも使えないことが多い。
実際にはこれらの手法は普段あまり意識されることなくmixされており、両方の結果から更に妥当と思われる点を演繹するのだが、それ故に「自分がどうやって推測したか」を意識することは難しく、「一致しないのは異常なこと」と片付けられてしまいがちである。


本当は、「一致するのは奇跡的なこと」なのだ。あくまで他人なのだから、実際に何を考えているかなんて判ろう筈もない。データベースだって表面的な反応の観察からの漠然とした推測に過ぎないし、シミュレートだって互いの感情やその時の体調など外因に左右され易く然程当てにならない。本質的には理解ベースのコミュニケーションなど幻想といっていい。
それでも他人を知ろうとすること、慮ろうとすることこそがコミュニケーションの本質なのだろう。