真剣と荒らしの間

プレイスタイルというのは主義の問題であって強要するようなものではないが、一方ではスタイルについてある程度の共通認識がないとプレイが(互いに)やり難くなる。全身全霊傾けた真剣勝負を望む向きには私のようなファンブック使いは冒涜的ですらあろうし、私からしても機先を制されてコンセプトがまったく発揮できずに終わりそうな真剣師との戦いは望ましくない。


ところでファンブックというのはなかなかに危うい存在である。
ゲームには「全員が全力で勝ちを目指す」という前提があってバランスが設定されているので、一人でも勝ちを目指さない人がいるとそれが崩れる。徹底的な合理化の結果として「単純な最適解はAだが裏をかくためにBを選択する」ような、敢えて定石を崩すプレイはありだが、単に「こうすることで自分には何の得もないがトップが困るだろう」なんてことをするのは只の荒らしだ。
しかし、プレイの上では最善を目指しているとしても事前の準備段階で最善とは言えないものを用意するファンブックは、かなり荒らしスレスレの危うい位置に存在している。ちょっと先へ踏み込んでしまえば「最初から勝つ気のないブック」に成り下がるだろう。
まあゲームがゲームだけに本当に勝てないのは「50枚全部アイテムだけ」のような極端な例のみだろうが、「こだわりのために最善でないカードを採用する」ようなブック構成で対戦するのはマナーとしてどうなのかと問われれば答えに窮する。
勿論これは「真剣師に対しては失礼なのでは」ということではあって、最初からファンブックであることを知った上での対戦ならば問題はなかろうと思うが、いずれにせよ使い手は「きちんとした勝ち筋を持つブック」とすることを強く意識せねばなるまい。自分の中に禁じ手を作るのはよい、が事実上勝ちようのないブックになってはいないかどうか、省みつつ精進すべし。