二次創作の権利はどう定義されるのか

ニコニコのMAD削除騒動に絡んで、少し思ったことを。


MADを含めた二次創作が著作権法に抵触しているのは誰しも認識する通り。しかしこの判定は要するに社会通念上の問題ではなく法的運用の問題に過ぎない。つまり「単に法が悪い」可能性を何ら否定しない。
パロディ、オマージュ、パスティーシュ。日本にも本歌取りの文化があったように、二次創作は著作権より古い慣習である。後付けの権利を振り翳す前にやることがあるのではないか。


二次創作には二次創作の創造性というものがある。1から完全オリジナルのものだけが創作物ではない。それどころかいかなる創作物も知らずに育った作者などもはや一人もおらず、多かれ少かれ多数の作品に影響を受けて新たな何かが作られるのだ。それらをオリジナルと呼ぶならば、二次創作もまたオリジナルである。境界は明白ではなく、分類はまったく恣意的なものに過ぎない。
元作品の権利者が権利侵害を楯に二次創作の破棄を迫った場合、権利者もまた二次創作の権利を侵害しているのではないかと思える。
そもそも二次創作というのは元作品のファンによる活動である。改変し新たな何かを生み出せるほどに元作品を知悉していなければ為し得ない所業であり、そうした活動の多さは人気のバロメータでもある。
愛ゆえの行為を否定された時、「可愛さ余って憎さ百倍」になりはしないだろうか。


ところで音声/映像の二次創作についてはこのようにかなり弾圧されている一方、出版物の二次創作は緩やかに黙認されているのが現状だ。ファン活動としての意味を認識してのことでもあるだろうし、「営利目的ではない」ことを理由の目溢しでもあろう。
しかし実際にはニコニコのMADよりも同人誌やフィギュア造型の方が余程営利的である。「今流行の」人気作に次々と乗り換え、手軽で売れ行きの見込める性描写を中心に据えた活動は明らかに営利目的と言える。「家が建つほど稼いだ」ようなのはごく一部であるにしても、「それなりに稼げる副業」程度には事業として成立し得る。
そうすると一体、権利者の思惑はどこにあるんだろうか。MADを弾圧して得られるものとは何なのか。