仮に、あらゆる創作活動を非営利としてみるとする。

まず、当然ながらコンテンツ産業というものは消滅する。営利行為が行なえなくなるから、産業ではなくなるという意味で。
けれど制作者がいなくなるわけではない。制作の現場で培われてきた技術は各人に継承されているから、それを使って何か作ることは可能だ。勿論、生きるためには他に働き口を見付けるしかなくなってしまうから、今までのように長期間を制作に専念するようなことはできなくなってしまう、けれどその代わりに納期もなくなるから、好きなだけ拘って作ることが可能になる。

良い方の予想

ソフトウェアも無料になるので、これまで高価に過ぎて手の出なかった分野まで素人が進出する。勿論それは多数の駄作を生み出すだろう、けれど一握りの傑作をも生む筈だ。これまでも、技術に劣る部分を根気でカヴァーした作品は多く存在し、それぞれに高い評価を受けている。まして、そのための効率の良い道具が揃うとなれば、これまで以上に質の高い作品が市井から出てくるとして不思議ない。全体として見れば、むしろ良作の絶対数を増やすのではないかとさえ思える。


差し当たり、障害があるとすれば

  1. 糊口を凌ぐための労働に割かれる時間
  2. 個人レヴェルでの制作が困難な大規模開発/制作

だが、2は経験的に個人あるいは有志によるプロジェクトでもかなりのものが実現可能であると知られているし、1は……既にフルタイム労働という制度自体が崩壊しつつある現状では、いずれベーシック・インカムやそれに類する施策を取らざるを得ないと見ているので、なんとでもなる(というのは流石に楽観視しすぎか)。いずれにせよひとつの産業が丸々消失し、それに専門的に従事していた労働者が他へ流れるとなれば、只でさえ人手余りな状況が更に加速するから、最低限ワークシェアリングの導入は避けられまい。そうすると半減する収入を公費で支えざるを得ず、そこまでするならいっそベーシックインカムの方が話が早かったり。


近代創作に営利が付随せざるを得なかったのは、距離という物理的な制約から知名度向上のために複製流通によるマスの力を借りざるを得なかったせいだと言える。ネットワークの発達によって狭い範囲にダイレクトに到達し局地的な密結合を発生させ得る現代に於いては、マスプロモーションに頼らずとも充分に活動して行けるだろう。

悪い方の予想

巷間に無数の著作物が出現するが、駄作の絶対数が極めて多く、それを効率良く選り分ける手段が未発達であるためにノイズに埋もれて傑作が見出され難くなる。
溢れ出したコンテンツのデータ量はサーバの容量と帯域を圧迫し慢性的な接続障害が発生、これによりネットワーク自体が衰退。結果としてその上での活動を前提としていた著作活動自体が急激に先細る。
しかもひとつの産業が丸々消失した煽りで慢性的な人手余りが加速し失業率が急上昇、深刻な不況が発生。

両者の違いは

良い方の予想と悪い方の予想を分ける要素を考えるに、ポイントは2点。ひとつは検索技術の進歩によるS/N比向上、もうひとつはベーシック・インカムの導入である。
検索技術に関してだけ言えば、現在のところ画像検索などの非テキストデータ検索技術はまだまだ未発達であり実用上充分な精度とは言い難いのだが、ソーシャルな分類手法による洗練関連テキストを介した検索でかなりを補えている。
ベーシック・インカムについては、遅かれ早かれ類似した政策を採らざるを得ない場面に直面すると考える。
つまり、現在でもかなり楽観的な予想に近い条件が整いつつあるのだ。


無論それには越えるべきハードルも多く、とりわけ前例のない冒険を嫌う日本ではまだまだ非現実的なようだが、世界レヴェルで見れば意外にその時代は早く訪れるのではないか、そんな気がする。