陰謀論にも一分の理

何も陰謀論に限ったことではないが、理性的立場からの検討に際し、対象もまた理性的であることを前提とした推論が行なわれ、それが事実に即さない場合というのがある。


陰謀論で言うと、ほとんどの論に共通した特徴として「リスクばかり多くてメリットがない」という点が挙げられる。
例えばアポロ月面着陸捏造説では「特撮で誤魔化して一番乗りを宣言しても、ソ連が本当に月面着陸したらすぐ嘘がバレる」という多大なリスクがある。実際には一番乗りを果たせなかったソ連はその後月面有人飛行を行なわなかったわけだが、それは結果論であり、最初の人工衛星も有人宇宙飛行も、剰え月面探査すら先を越されていた当時の情勢にあってはいつ実行に移されても不思議ないことだった。
9.11陰謀説の場合は事情が複雑で、どの部分がどのような理由で陰謀だったのかということ自体に統一見解がないから一口には語れないのだが、事前にこっそり解体用発破仕掛けるの超無理な爆破解体説や現代技術で不可能な純粋水爆利用説あたりを除外したとして、アスベスト処理誤魔化し説はどう考えてもアスベスト処理費用<陰謀がバレた時の賠償金であるし、テロ自演して戦争の口実説はそんなことしなくても開戦の口実なんていくらでもでっち上げ可能(というか、結局大量破壊兵器所持の疑いとかなんとか証拠もなしに因縁吹っ掛けたわけだし)。
いやそもそも大規模陰謀すべてに共通するのは「そんなに関係者いたら絶対情報リークするよね、で漏れたら一巻の終わりだよね」という点だ。戦争の口実だろうがアスベスト処理誤魔化しだろうが、それがバレた場合どう見ても首謀者は極刑を免れず、組織は完膚なきまでに解体され他組織の管理下に置かれるだろうことは火を見るより明らかだ-----それが国家であろうとも。
得られる利益に対してリスクが大きすぎ、しかもバレ易い。常識的な判断力を持っていれば、立案以前の段階で破棄するようなプランである。


……というのが、理性的に見た陰謀論への評価となる。
しかし、一方で(少なくとも明るみに出た)過去の陰謀を見るに、いずれもリスクがメリットを上回り、それなりの人数が関与し、情報リークにより失敗している。つまり、現実に行なわれた陰謀は得てして理性的ではないということだ。まあ根本的に陰謀そのものが理性的でないような気もするが。
ということは、陰謀論を理性で判断してはいけないのかも知れない。むしろ徹底して立案者が愚かな誇大妄想狂であることを念頭に論じるべきなのか。
それはそれで、今度は「なんで実行まではバレずに済んで、実行した途端にボロ出しまくりなのか」という点が疑問に思えるのだが。捨て身のテロじゃあるまいし、完了すればその後はどうなってもいいなんて考えるはずはない。それじゃ何のための陰謀だか解りゃしない(アスベストさえ無料で処理できれば、その後莫大な賠償金を請求され会社は潰れ自分は死刑になってもいいなんて、そんなことは誇大妄想狂でさえ考えまい)。


陰謀論なんていう生活レヴェルでほとんど無縁な話でなくとも、もっと身近な世界でもこうしたことは起こり得る。例えばBlog界隈で定番の話題である無断リンク論。理性的に判断すればリンクを禁じる理由は何一つない筈だが、そう考えてしまうのは技術を解し理性を重んじる一派だけで、技術に疎く感情を重んじる一派はまったく逆の判断を当然のことと感じるし、むしろそちらの方が数的優位とさえ言える。
あるいは対戦型のゲームをしている時、相手の行動予測までを視野に入れての最適解を模索するに当たっては敵が常に最適解を選択するという前提で進めねばならない。最適と思える行動が複数生じるにしても、そうでない可能性まで全て考慮に入れては手を絞り切れなくなってしまうからだ。だが時に、定石を外した悪手が思わぬところで番狂わせに繋がることもある。敢えて最適ではない手を混ぜることで「裏の裏をかく」高度な戦術性。優等生的判断だけでは太刀打ちできぬ部分である。
なにも自分自身の判断基準をそれに合わせる必要はまったくないが、理解のためには「相手が理性的ではない」可能性も念頭に入れねばならないということだ。