ゲームというのはほぼ全てが「行動の最適化を楽しむ」ものだ、というのが持論であるが、この数少ない例外がアドヴェンチャーゲームと言える。
アドヴェンチャーゲームに於けるゲーム性というのは、現在置かれている状況の的確な理解と、選択肢からの適切な選択で構成されている。ゲームの基本条件である「意思決定」を中心に楽しむものだが、その性質上「まだ選択の結果について知らない」こと、かつ「選択の結果が予想できる」ことが極めて重要になってくる。
選択の結果を知っているかどうかは、重要度としては比較的低い位置にある。「全ての結果を知ってしまった」のでない限りは、まだ見ていない結果を確認するという楽しみがあるからだ。しかし「選択の結果が予想できる」かどうかは、質の判断に極めて深く関ってくる。
より正確には、予想が当たるかどうかは重要ではない。問題なのは、予想が外れ、かつその結果に納得が行かない時である。
例えば、某ゲームでちょっと身を隠す必要が出たとき、主人公が潜入可能な部屋がふたつあったのに、そのうち一つは潜伏先として選んでもフラグが立たなかった、という事例がある。この例では外れの部屋への潜伏は単に話が進行しないだけであって結果には何ら影響を及ぼさないのだが、プレイヤーとしてはその部屋では潜伏に適さない理由が判らないため、不満-----もっと言えばゲームへの不信感を抱くことになる。それが、予想もつかぬ理由によってゲームオーヴァーにでもなろうものなら、二度とそのゲームをプレイする気にはなるまい。
ゲームのルールと違って、シナリオ-----文章や画像からプレイヤーが得る情報は曖昧で、ある程度解釈の幅がある。すると開発時には予想もしなかった行動を取ろうとするプレイヤーもいるかも知れない。
あらゆる情報を把握していてなお気の抜けないアクションゲームなどと違って、アドヴェンチャーの場合は先を知っていると無意識のうちに行動が絞られてしまう傾向がある。従って制作サイドでのデバッグは(選択肢のみのゲームでない限り)どうしても見落しが発生し易い。一見低コストで制作し易いようでいて、実は最も敷居の高いゲームなのかも知れない。