中弛み防止策としてのストーリー

ゲームの醍醐味は概ね行動の最適化にある、というのは既に何度も述べた。レースゲームならライン取りの最適化が、格闘ゲームなら入力タイミングの最適化が、シューティングゲームなら敵行動パターンの記憶と自機操作の最適化が、RPGやウォーゲームなら戦術の最適化が面白さの主要な部分を担う。
だが最適化に面白みを感じられる範囲というのは案外狭い。アクション主体のゲームならばコンマ1秒未満の反応速度を鍛えるレヴェルでストイックな追求の道もあろうが、思考主体のRPGなどでは一度確立した戦術を更に特化する理由が薄い。低レベルクリアなど厳しい制限をかけてのやりこみプレイは存在するが、通常の最適化とストイックなやり込みが連続するアクション系ゲームと異なり、思考ゲームではそうしたやり込みは何度もプレイして普通の遊び方に飽きた後に訪れる、断絶した世界である。


基本的な最適化範囲の狭い思考ゲームでは、情熱を衰えさせない為にいくつかのパターンで断続的な変化を発生させ、最適化を終えた戦術の発展解消による新たな最適化の余地を作り続ける仕掛けを施している。
その一つは敵の能力変化、もう一つはキャラの能力変化-----新たなスキルの取得や装備の変更など-----である。
敵の能力変化は非常に重要な要素で、新たなエリアへ移動するなどした時にこれまでの戦術では勝ち得ない敵を出現させることで新たな戦術を構築せざるを得ない「圧力」をかけるという役割を担っている。しかし所詮はダメージとHPという単純なパラメータに帰結するシステムである以上、力技で押し切ってしまうことも不可能ではなく、決定的な力を持つには至らない。
スキルや装備の変化は更に弱い。ほとんどの要素は単純に下位存在をグレードアップしただけのものであり戦術を変化させるほどのものではない(精々、戦術パターンの異なる強力な装備などを得ることで「強い装備に付け替えて戦術に変化を加えるか、現状を維持するか」の選択肢を付け加える程度のものだ。


本当は、新たに出現した要素が戦術に変化を促すだけの圧力を備えているべきなのだと思う。これまでの戦術パターンでは太刀打ちできないような能力を持った敵の出現、強力だが副作用のある能力。また、変化を受け入れなければ先に進めないような構造でもいいと思う。レヴェルアップに従って能力値に10倍も開きが出るような状況は不自然だ。


しかし、あまりストイックに能力を要求するゲームは市場で大成しない傾向にある。幅広い客層を掴むためには、巧くないプレイヤーのフォローも必要ということだ。結果として、安易なレヴェルアップで押し切る戦術を切り捨てるわけにはいかなくなってしまう。
当然ながら、こういうヌルいゲームでは中弛みを抑えるのが難しい。戦術最適化が最も楽しめるのはシステムを理解するまでの序盤〜戦術幅が飛躍的に拡がる中盤までであって、それ以降は単に数値的なグレードアップに留まってしまい変化に乏しくなる。だからこそ、中盤以降の牽引役としてストーリーに頼らねばならなかったのだろう。
大概のRPGでは、ゲーム開始時点で主人公はさしたる目的も持たず行動する空気のような存在である。主人公は多種多様な思考を持つ無数のプレイヤーたちの化身であるから、可能な限り自己主張は控えなければならない。いきおい、提示される行動目標も近視眼的なものばかりでありストーリーは遅々として進まない*1
それが、中盤あたりから世界を巻き込むような大きな展開に乗り、一気にストーリーが加速する。これはストーリー展開上の都合でもあるのかも知れないが、半ば以上戦術の最適化が一段落してしまったことによる中弛みを抑え、ストーリーを進めたいと思わせることによるプレイの新たな動機付けを狙ったものだろう。
逆に言えば、壮大なストーリーを売りにした昨今の大作RPGは、「そうすることで売れる」というより「そうしないと売れない」がために現在のような形態に陥ったものと考えられる。


世間的には非常に評判の悪かったFF12だが、中盤から新たなシステムを追加して戦術の最適化を一度リセットするという荒技により(ストーリーには見るべきものがないにも関らず)プレイへの興味を持続させるという稀有な作品になっている。-----もっとも、それが終盤まで有効に機能しているかどうかは疑わしいが。

*1:ドラゴンエストでは最初に世界を救うという目標が示されたが、その後のシリーズでは徐々に目標を提示しなくなってゆく