意のままになる領域と、そうでない領域

たとえば著作物を公開する。画像や文章なら書籍として、音楽や映像ならデータディスクとして流通させるだろうし、オブジェクトや原画ならギャラリーを借りて展示するかもしれない。
これら著作物の権利自体は、勿論著作者である貴方自身が保有しているから、それを勝手に複製したり改変して公開したりするのは差し止められる。けれど流通しているものの購入を禁じたり、展示しているギャラリーの場所の公開を禁じることはできない。それは著作者の権利範囲外だから。
同様に、Webに公開したデータへのリンクを禁じることはできない。リンクさせたくないなら、(例えば会員制のギャラリーへ展示したり会員のみに販売するように)アクセス制限など技術的な手段を講じる必要がある。


「嫌がることはやめろ」とかいう話ではなくて、根本的にそれは自分の権利が及ぶ範囲ではなく、禁止即ち他人の権利を侵害するものだということ。感情論に終始してしまうと「じゃ無断リンク禁止は不快だからやめろ」などと返されてしまう。


勝手にコンテンツを掠め取る泥棒に例えた表現があったが、その線で行くとWebへの公開というのは「家の外に向かって『ご自由にお取り下さい』と金庫を開け放つ」に等しい。それで盗られたのなんのと騒ぐのは御門違いで、自分がなにをやっているのかまったく判っていないとしか言いようがない。


……ああそうか、無断リンク禁止派(のうち穏健派:事前申告要求タイプ)の主張したいことはつまり、「『ご自由にどうぞ』と書いてあっても一声掛けるのが礼儀でしょ?」ってことか。無論それに対しては「『ご自由にどうぞ』って書いてあるんだから一々確認すんな鬱陶しい」という一派もまた存在するので、事前/事後に承諾を求める方が良いかそうしない方が良いかというのは等価であり、強要するべきものではないという結論に落ち着くのだが。
誤解を生じかねないので強調しておくが、これは「リンクはご自由に」と書くかどうかの話ではない。「リンク前に申請して下さい」と書いてあろうが「リンクしないで下さい」と書いてあろうが、Webに公開するということ自体が即ち「リンクはご自由にどうぞ」と書いてあるに等しいのだということ。


リンク否定派についてはもっと単純で、「見られたくなければ公開するな」の一言に尽きる。「同好の士だけに見せたい」というならアクセス制限でもかけるか、親しい間柄のみにメールで送付でもするか。技術がないなら学べば良い。有料でならアクセス制限機能付きのWebスペースをレンタルすることだって可能だろう(はてなグループプライヴェートモードで利用するというような方法もある)。どうしてその一手間を惜しむのだろうか。
努力もしたくない、金も出したくない、手間もかけたくない。けれど望む環境は欲しい、というのはちょっと虫が良過ぎやしないか。


「トップページ以外への直リンク禁止派」は最も厄介かも知れない。何故なら、著作権的にもある意味グレーゾーンだから。
Webサイト全体をひとつの著作物と見做すならば、それは常に著作者の望む形で閲覧されねばならない、というのは筋の通った主張に思える。同一性保持権だ。
しかし、書籍だろうが音楽や映像だろうが、一纏まりのコンテンツをどこから再生するかは閲覧者の自由であり、著作者と雖もそれを規制できない。従って、同一性保持権を以てしてもやはり直リンクを拒否することはできないと言えよう。
どうしても閲覧の形態まで指定したければ、何らかの技術的手段により制限するしかない:例えば映画の上映や放送のように。Webに於いては、全体をFlashCGIスクリプトとして構成するなどの方法が考えられる。


まあ結局、いつも言っていることと何も変わりないのだけれど。
Webに公開したデータについて、著作者が自由にできるのは「公開するかどうか」と、それが改変されたり複製して勝手に配布されたりすることを差し止めることだけで、批判やリンクを禁止する権利などない、というのが結論なので、無断リンク禁止派の方々は諦めて下さい。