屍者の帝国 劇場版を原作と比較して

劇場版「屍者の帝国」を観てきた。
多数の史実虚構を織り交ぜ、数ヶ国を横断して繰り広げられる複雑で壮大な物語を2時間に落とし込むという難題によく応えた作品だが、そのために削り落とされてしまった部分が多いのは、致し方ないこととはいえ理解を難しくしている感は否めない。
そもそも原作は無数の外部参照で成り立つ衒学的小説であり、つまりは盛り込まれた情報量に対し圧倒的に説明が少ないのだが、それでも物語上重要な情報にはそれなりの説明が行なわれる。しかし映像では「目に見えるもの」は把握しやすいが背景情報などの伝達は難しく、この時点で決定的に齟齬がある。

(ここからはネタバレになるので隠す。)

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ダイスと判定とTRPG

TRPGではダイスを振る場面が多い。キャラ作成時の能力値決定や、表の中からランダムに項目を選択する時、行動の成否判定や武器のダメージなど、あらゆるシーンでダイスを使う。
ルールを把握していれば「何のために」振るのかは自明なのだが、まだルールをよく知らず、ゲームマスターの指示するままに振っているプレイヤーなどは「それぞれの場面で振ったダイスの意味」が区別できない。同じようにダイスを振っているのに、その時々で意味が違ってくることに混乱する。
この混乱は、特に何らかのアイテムや技能などによってダイス目を操作できるようなルールがある場合に顕著になる。「判定をやり直せる」能力でダメージ決定ダイスを振り直そうとしたり、表の参照にダイスを振り足そうとしたり。
もちろん、こうした混乱はゲームマスターが「何のためのダイスロールか」を明示するなどの方法で回避できる問題ではあるのだが、シナリオ運用の都合上、GMはしばしばその辺りを隠して振らせたりするものだし、そもそも運用で解決するというのはデザインとしては敗北だ。

デザイン上の観点からは、理想的に言えばダイスはロールの種類ごとに異なるものを用いる方が混乱しない。たとえば用途に応じて面数を変えたり、あるいは同じD6でも複数の色をセットして「ここでは黒を振ってください」とか指示できれば認識はかなりシンプルになる。専用の目を持ったダイスが使えるならばもっといい。
でもそれはコストや入手性などの問題から現実的ではない、とするならばルールの側で対処するべきだろう。

経験的に言えば、もっとも混同しがちなのは「戦闘時の攻撃解決とダメージ決定」だろうと思われる。
能力値決定などのロールはゲーム開始前にしか行なわれないためにあまり混同が生じないし、表の参照はその表さえ示せば意図が明確になる。しかし攻撃判定ロールとダメージ算出ロールは「攻撃の結果を示す」点に於いて非常に似通っており、混同しやすい。
また、攻撃という1回の行為に対して複数回のロールが発生することもルール全体からは異例であり、これも混同を発生させる要因になっていると考えられる。

もっとも単純な解決策は「ダメージ決定にダイスを振らない」ことだ。たとえば武器のダメージ値が固定ならば、攻撃の成否が解決した時点で再度ダイスを振ることなくダメージが決定できる。ただし戦闘の振れ幅が小さくなるので、何か一工夫必要になるが。

あるいはダメージ用に別の乱数装置を導入する手もある。6面ダイス以外の導入や色違いのダイスなどをユーザに用意してもらうのは少々難しいが、入手しやすい乱数装置としてトランプなどは利用できるだろう。数字以外に2色4種の属性を持つこと、また(都度切り直すのでなければ)一度引いたカードはもう出て来ないことなどを利用すると、ダイスとはちょっと違った味付けのシステムになりそうだ(たとえばスペード=頭、ハート=胴、クラブ=手、ダイヤ=足などに割り当てて命中箇所判定を兼ねるとか)。まあ、あまりやりすぎるとルールのわかりやすさを損なうことになるが。

実際のゲームシステム事例

ソード・ワールドRPG

行為判定は2D6上方ロール、効果判定は2D6で「レーティング表」を参照する形とし、両者を明示的に切り分けた点で工夫が見られる。ただしどちらも2D6であるために混同が残り、「都度チャートを参照する」点では少々慣れを要する。
また、攻撃の命中判定能力を「攻撃力」、ダメージ決定能力を「打撃力」とするなど異なる機能に類似する用語を割り当てているために混同を生じ易いなど、判定システムとは別の点にデザイン上の問題を抱える。

ガンドッグ

D10を2個用いて、パーセンテージロールによる成否判定と2D10による成功度算出を1回のロールで同時に行なう「デュアルロールシステム」を採用し、切り分けと振れ幅の維持を両立させている。1行為に対し1ロールで対応しているという点でも好ましいが、代わりに1回のロールを異なる方法で2回利用することになる。

深淵

攻撃の成否判定のみをダイスで処理し、ダメージについては別途「運命カード」を適用する形で区別している。このカードは戦闘専用ではなく、ゲームを通じて様々なシーンで活用するものだが、「用途別の乱数派生装置」に相当するものであり、簡単に取り入れられる手法ではない。

シノビガミ

戦闘ダメージを固定値とし、代わりに1ダメージの重みを極端に増加させることで、固定ダメージによる戦闘が問題にならないダイナミックなルールを採用している。
同システムではダイスロールが「表の参照」か「行為判定」にしか用いられないため、この種の混乱はまず発生しない。

彷徨える積層廃墟群、第N無人居住区

神保町駅すぐそばのギャラリーで開催されている、N区の展示を見てきた。blog.livedoor.jp
もう10年以上、段ボールで街を作り続けている燈さんの個展。無人なのに居住区。増築を続ける廃墟。
縮尺はまちまち、展示の度に組み合わせ方も違うし分譲や新築もあるので常に姿を変え続けている。複雑怪奇な構成のため覗き込む角度で表情が変わり、何時間いても見飽きない。あちこちに貼られた看板を探すのも楽しい。

薄暗がりにあってこそ最大限の雰囲気を出すオブジェなので、展示会場は大体薄暗く、写真を撮ろうと思うと手ブレに苦労する。会場には補助光源(と呼ばれる小さなLEDライトスタンド)が用意されているが、三脚があった方が安心だろう。フラッシュを焚いてしまうと、せっかくの雰囲気が水の泡だ。
街は予想以上に広く、また細かい。レンズは広角とマクロ、両方が必要になると思う。
可能なら棒の先に小さなカメラを付けて、街の中に入り込んでみるのもいい。

手持ちのカメラでざっと撮影してきたが、暗いのでオートフォーカスが碌に機能しないし手持ちなのでブレがひどい。余裕があれば三脚を準備して再挑戦したいところ。

ところで燈さんはシンガー/ソングライターの人でもあるので、N区の楽曲もある。www.muzie.ne.jp
観賞のお共にどうぞ。

夏休みの敵

夏休みの宿題で、子供を苦しめる二大巨頭が「読書感想文」と「自由研究」だ。
漢字/計算ドリルなどは退屈な反復学習かつ大量であるために辛いが、解決方法そのものは明確なので単に「手を動かせば終わる」。しかし読書感想文と自由研究は、やるべきことがはっきり定められておらず「自分でやり方を考える必要がある」ため、悩むばかりで一向に進まない課題となってしまう。

読書感想文の問題点

単に読書の感想を書け、と言われて子供が書く文章というのはおおよそ次のようなものだろう:
「○○を読みました。面白かったです」
もうちょっと工夫するとして、せいぜい「どの場面が」「どんな風に感じられて」面白かったか、ぐらいのものだ。読書の感想としては正しい。

しかし実際に学校が期待する読書感想文の構成は、たとえば以下の教材を見るとよくわかる。


このテンプレートは計算ドリルなどの学習教材を販売する「新学社」のものであるようだ。これを見ると、実際に求めているのが本の感想などではなく「本を引き合いに出して自分の体験を語る」ことであり、「この本から何を学んだか」「どのように意識が変わったか」「今後どのように生きるか」を書かせたいのだ、ということが伺える。
これは完全に「自己啓発」だ。小学生にそんなものを求めるのもどうかと思うが、そもそも「読書の感想」でないのだから正しくそれが理解される名称で呼ぶべきだろう。意図を伝達する方法を学ぶべき国語の課題が最も誤解を招くという自己矛盾について、国語教育は大いに反省が必要だと思う。

こういったテンプレートは、「書けない子供の助けにはなるので一概に否定できない」という向きもある。
しかし、そもそも「何故書けないか」を考えると、「感想文なのに感想を書くだけでは認められない」「思ってもいないことを『思う』ように求められる」ことに問題があると考えられる。
また、テンプレートの利用も含め「こういう内容の作文が良い作文である」と指導してしまうことによって似たような内容の画一的な作文だけが量産されることになるのでは、という危惧もある。
これはあながち考え過ぎということもなさそうで、上に挙げたTweetにも「一般教養の授業の答案の中に、このテンプレで書いたような文章はかなり多かったような気がする」とあるし(個人の感想レベルではあるにせよ)、また作文ではないが絵画指導では「酒井式」という「パーツの描き方や書く順番を指定する」テンプレート式指導があり、画像検索してみると似たような絵ばかりが並んでいるのがわかると思う。本来ならば「書けない子供が書きやすいように」という目的で導入されたであろうテンプレートが、「これに従うのが最良」という認識を(子供にも教師にも)植え付けてしまい、本来なら自由であるべき創造性を削いでいる感がある。

一体、読書感想文の目的とは何なんだろうか。少なくともこの課題が読書と作文を嫌わせる方向にしか作用していないことは明白であり、国語教育としては利点よりも欠点の方が多いのではないかという気がするのだが、たとえば好きな本を紹介する「レビュー」を書かせる、とかでは駄目なんだろうか。面白い本の「どこが面白いのか」を、ネタバレせず、しかし魅力的に伝える、というのは感想文よりも遥かに有意義な作文になりそうな気がするのだが。

自由研究の問題点

自由研究の問題は、読書感想文とは全く逆のものだ:「何のテンプレートもないのでどうすればいいかわからない」。
研究せよ、とは言うが「研究とはどのようなものか」を学ぶ機会は理科教育の中にない。「AするとBになります」ということを先に説明し、実際にそうなるということを確認させるために「実験」を行なう、そこには「仮説を立て、検証の手法を考え、実施する」といった研究の必須要素はどこにもなく、科学がそういうことを積み重ねてきたのだという科学史の紹介すら少ない。
そんな状態で「自由に」研究しろと言われたって、何も思い付かないのは道理だ。
だから昔からの定番は「観察」、見たものを記録するだけで仮説も結論も要らないものになるわけだが、それも(都市部などでは)周囲から自生環境の失われた昨今では難しく、また最近では学校から観察のみの研究を禁じられもするらしい。
必然的に、自由研究の参考書などを見ると実験系の研究が並ぶのだが、いずれもスタート地点としての「経験から生じた疑問」から「仮説と検証手段の考案」をすっ飛ばしていきなり実験を開始しており、(発展的な実験例やレポートの書き方事例などは参考になるものの)研究としてはまったく話にならない。それらは「自由研究を堅実に終わらせるための参考書」であって「研究を学ぶための参考書」ではないのだ。

科学とは「仮説と検証の繰り返し」、そして「そうやって蓄積された検証済み知識」だ。詰め込み型の教育ではどうしても後者のみを、検証の道筋をすっ飛ばして暗記させる傾向があり、実際に理科を暗記科目と認識している人はかなり多い。
考察の前提となる「知識」はもちろん必要だが、それだけに終わってしまっては科学たり得ない。まずは「仮説を立てさせる」ことと「それを検証する方法を考えさせる」ことを理科教育はもっと重視した方がいい。それができて初めて、自由研究は意味のある宿題になる。

横浜駅の無限工事に関する仮説

博士「横浜駅無限増殖仮説を知っているか」
助手「なんですそれ」
博士「100年以上も工事を続けて、未だ完成しない横浜駅はこのままどこまでも増築を続け、やがて全世界は横浜駅に飲まれてしまうだろうという説だ」
助手「でも戦前の横浜駅に対して現在の横浜駅ってそれほど大きくなってないような」
博士「それは『どこまでが横浜駅か』という概念の変化である程度は説明がつく。駅とは改札内空間だけではなく、改札へ連なる部分もまた駅の一部だが、そう考えると横浜駅地下空間は西側400m、東側600mほどにも及ぶ。また土地面積は大きく増えていないが駅ビルによって床面積はかなり増加しているはずだ」
助手「なるほど、でもそうすると横浜駅の増殖は主に線路と垂直な方向に行われていて、増加率も100年程度ではそれほど大きくないということになるのでは……」
博士「そう、100年も工事を続けている割にはちっちゃいのね、というのが膨張りt……もとい、増殖説の弱点だ。そこで別の仮説を考えた。実は横浜駅は永劫に工事を続けているわけではない」
助手「ほう」
博士「逆だ。工事している駅が横浜駅なのだ」
助手「ちょっと言っている意味がわかりませんが」
博士「昔横浜駅であった駅が、現在では桜木町駅となっていることを示す記録がある。これはなぜかと言えば、駅が完成したからだ」
助手「……はい?」
博士「つまり、横浜駅とは駅が工事中であるという状態を示すものであって、完成すればそれはもう横浜駅ではないのだ。横浜駅状態は別の着工駅に転移し、そこが工事を終えるまでの間は横浜駅である」
助手「だとすれば工事中の駅は全て横浜駅ということになるし、逆に全ての駅は工事中であったことがないということになりませんか」
博士「それについては横浜駅の憑依が解けた時点で横浜駅であった時点の記憶が元の駅にすり替わっていると考えられる」
助手「なるほど、しかしそれでも同時に複数横浜駅が存在し得る問題の答えには」
博士「複数横浜駅という状態を我々が認識できず、それらが同一のものとして認識されている可能性が」
助手「そうすると同じ横浜駅にいるのに行き先が違ったり横浜駅で待ち合わせたのに出会えなかったり」
博士「あるいは横浜駅同士──というのもなんだか妙な表現だが、それらは同一の駅でなければならぬのだから相互に空間が繋がって存在するのかもしれない」
助手「横浜駅を通じた空間転移……もしかして神隠しの一部はそうやって」
博士「工事が終わっても、これが最後の横浜駅であるとは限らない……いつかまた、君の町にも第二、第三の横浜駅が」
助手「誰に向かって語りかけてるんです?」

憲法空条問題

日本国憲法は全11章103条から成るが、うち9条だけが欠番となっている。
ここには、本来ならば非戦条項があったと言われている。
憲法がどのような経緯で成立し、なぜ空条が存在するのか、その過程を追った。

日本国憲法の制定

1945年8月。
足掛け7年にも及ぶ戦争が終結し、日本は米国の管理下に置かれた。

当時の日本を、米国を中心とした連合国がどのように見做していたかは、ポツダム宣言の内容を読めば明らかだ。極めて危険な軍事国家であり、「完全に武装解除し戦争指導者の処罰を受け入れるのでなければ国そのものを滅ぼす」とまで宣言する。一方では国民には罪なしとして即時の生活復帰を認め、国の経済復興と民主化を期待しているが、これは鞭に対する飴の位置付けでもあるのだろう。実際、経済復興は日本という国の将来を期待してのことというよりはむしろ賠償を目的としたものでもあるし、軍備については一切認めないなど、国の再興と主権の維持を念頭に置いた内容ではなく「二等国としての存続は認める」ものに過ぎない。

ポツダム宣言はあくまで日本の降伏とその後の占領統治について定めたものであって、占領解除後にまで効力を有するものではない。米国の世論としては、撤退後の日本が軍備を整え、再び世界の敵として立ちはだかるのでは、という危険論は少なからずあった。そのため何らかの形で、永続的な軍備制限を課す方法が模索された。
しかし同宣言では無条件降伏と引き換えに日本という国の存続を認めているために、たとえば日本という国そのものを解体するような方法を採るわけには行かない。そのため憲法の改正にあたって軍備制限条項を入れよう、というのが基本的な方針であったと見られる。

GHQは原則として直接の統治を避け、日本政府の主体的な統治を通じて必要に応じ介入を行なう形を貫いた。これは占領解除後すみやかに統治権が移譲できる体勢を整えておく意義と、戦勝国の不当な押し付けという印象をなるべく残さないことにより、撤退後の急激な転換を抑制する意図があったものと思われる。
憲法の制定についても、「どれを採択するか」の決定権こそGHQ側にあったものの、草案そのものは日本人が自発的に起稿したのであってGHQが描いたものではない(ただし指針は与えられており、それに沿わないものは却下されたが)。
この時に了承を得た憲法草案の9条こそが、永続的な軍備及び交戦権の放棄を謳った条項であった。

いかに非道な戦争で複数の国を災禍に導いた悪国とて、防御のための軍備すら認めず、攻撃を受けても交戦権を持たず、完全な無抵抗主義を貫くというのはあまりに思い切った宣言ではあり、この内容については国内でも紛糾した。平和の理念が高く評価される一方で、あまりに現実味を欠くとの意見も強くあったことは当然であろう。しかし少なくともこの時点で日本には再軍備可能な余裕などどこにもなく、また改正の果たされぬうちは占領統治が解かれることもないのは明らかであったので、最終的には受け入れ止むなしとの方向で一致を見た。
だが、紛糾と修正に継ぐ修正を経てようやく憲法が成文しようとしていた正にその矢先に、朝鮮半島で戦役が勃発した。

朝鮮戦争と東西対立

当時の朝鮮半島は日本の領土であったため本土に先駆けて米ソが分割占領を行なっていたが、現地に根付いた独自政体の不在を理由とする米国の信託統治方針に対しソ連はあくまで独立国家建国の承認を目論んでおり、対立が深刻化していた。
当時、朝鮮半島は深刻なインフレと食料難に直面し、暴動が発生。南側を占領統治中だった在朝米国軍政庁はこれを武力鎮圧したが、そのことが反発を呼び、南側でも反米・反信託統治運動が激化する。北側はこれを好機と捉え、人民共和国の建国を宣言すると共に半島統一を掲げ南進を開始した。
陸路でソ連から支援を受けられる北に対し南は少数の駐留米軍のみであり、戦線は瞬く間に南端まで後退。しかしこの戦いは単なる半島統一運動などではなくバックについた米ソの直接戦争である(と米国は認識していた)。ここで撤退すれば半島の全域を共産主義に奪われるだけでなく、その勢いで日本ほか周辺国にも手を伸ばす可能性があった。

この緊急事態に、GHQは方針を大きく転換する。日本国内に駐留していた米軍4個師団を朝鮮半島に投入すると共に、日本の非戦化方針を破棄し、戦力の提供を求めたのだ。
発布寸前だった憲法は差し止められ、軍需品の製造命令が下り、それどころか軍務経験者の召集や拿捕艦艇の再配備までもが迅速に行なわれた。水爆実験に供される予定だった戦艦長門および軽巡酒匂、飛行甲板を応急修理した空母龍鳳、損害軽微だった駆逐艦潮など作戦能力を維持した艦は軒並み徴発され、また復員艦に充てられていた艦も臨時に輸送任務などへ駆り出された。
日本政府には不在となる米軍駐留部隊に代わる役割の部隊創設が求められ、これが警察予備隊として組織され、後の再軍備へと繋がってゆく。
この緊急動員と続く本国からの増援により米軍及び南韓はどうにか戦線を押し返すが、北もまた増援を得て戦況は泥沼化し、日本は再び長期戦へと突入した。
最終的には当初の分割線に近い38度付近に緩衝帯を設ける形で休戦が成立したが、両国は今もなお「戦時下」であり、南韓の防衛には在韓米軍および日防軍防共艦隊が常駐している。当時「日本軍を受け入れる」ことについては反発もあったものの、壊滅寸前まで追い込まれた独自戦力のみで防衛が覚束ないことは明らかであり、感情と実利の折衷案として「日防軍については海上戦力のみ受け入れる」という形で防共協定が成立。以来今日まで、韓軍は主として陸軍に注力し航空支援は米軍が、洋上防衛は日本が担うという三国関係が続いている。

また、朝鮮戦争と時を同じくして中国でも国民党と共産党の内戦が激化、山間でのゲリラ戦と農民の取り込みで劣勢を覆した共産党によって国民党が駆逐されて台湾島に移転。一方で南亜の仏領でも独立戦争ソ連によって支援されるなど、アジア全域に共産化の流れが起きている。これを憂慮した米国は、中国およびソ連の太平洋進出を阻む防衛線として最適な位置にある日本を防衛構想に組み込むべく、新憲法からの不戦条項削除と日米安保条約の締結を求めた。
これは米国にとっては太平洋戦略の重要拠点を軽負担で防衛できる意義があり、日本にとっては国力が整うまで強大な戦力に庇護され、また経済的な繋がりを強化できる意義があった。だが「崇高な理想を掲げた」はずの新憲法から肝心の条文がなくなることについては、主に左派などから強い抵抗があり、国内ではこれらを巡っての学生闘争が行なわれるなどの騒動に発展した。
これらの感情的わだかまりが、非戦条項を単に削除するのではなく、本来あるべき位置を空欄とする形で表れたのだろう。それ以来、日本国憲法には不自然な空条が存在し続けている。

日本の再軍備と戦後戦争史

1950年代

日本の駐留部隊を朝鮮戦争に投じたGHQは、日本国内の治安維持と朝鮮戦争が長引いた時の予備兵力を兼ねて「警察予備隊」および「海上警備隊」の組織を指示。名目上は警察となっているが、警察庁ではなく内閣府の直属であり、その装備も明らかに戦闘を想定していた。
なけなしの戦力をかき集めての朝鮮戦争派兵以後、警察予備隊/海上警備隊は米国からの装備供与・製造技術供与を受けて増強を重ねてゆく。
そして新憲法の成立と占領米軍の撤退を経てこれら臨時戦力は正式に防衛軍として再編された。名称に防衛と入れたのは前大戦の侵略主義に対する批判に応じたものだが、それでも再武装化そのものへの批判は強く、とりわけ領海を接し長く日本の支配下にあった北朝鮮・中国からの反応は著しかった。
また国内に於いても、戦禍から間を置かず再びの参戦となったことに対しては強い反発があり、安保条約への反対運動を契機に国内左翼闘争は激化。これに対し政府は公安警察を増員し摘発を強化することで対応し、左派を厳しく弾圧していった。合法政党として生き残るため共産党は革命路線を否定したが、若年層を中心とした革命左派はこれを裏切りと捉え反発すると共に地下組織化の道を選び先鋭化してゆき、その後国内外で多数のテロ事件を引き起こすことになった。

1960年代

東京オリンピックの直後、米国は暗殺された前大統領に代わり副大統領が大統領選に当選。北爆をはじめとするベトナム戦争への本格参戦に伴い、安保条約を締結している日本にも相応の派兵が求められた。日本はこれに応えて軍を派遣し米軍と共闘するが、朝鮮戦争終戦から10年を経ずして再び長期的な戦争に参加したことに対して国内からの批判が強まり、日米安保条約の期限更新を前に反対闘争は一層激化する。軍の大規模派兵による国内治安低下の懸念を公安警察武装化により補う法案が成立し、特機部が編成されたのもこの頃である。
「国内の反対意見を押し切って強権的に軍事化を推し進める」政権に対する反発は極左派の武装闘争路線を加速し、それが却って行政の強権化を強め、その閉塞が更なる武装闘争を励起するという循環が国内を半内戦状態に至らしめた。国防を訴える右派が自国と利害のない地の戦争を進め反戦を訴える左派が国内を争いに巻き込んでゆく状況は皮肉という他ない。
遠い異国の地で泥沼化する戦況と、悪化する国内情勢は、国民に厭戦感情と政治不信をもたらした。この頃から投票率は急激に悪化し、自民党社会党ともに議席を減らしてゆくが、その中で新たに結党された公明党は信者の動員により相対的に高い得票率を維持して存在感を増し、当初の自民党との連立与党から単独与党にまで登りつめる。しかし「宗教政党が単独与党として政権をっている」こと、また「警察権を強化して国内を弾圧している」ことが欧米諸国で問題視されるようになる。この時期の米外務省の記録などを見ると、あくまで「反共の点で協調可能」とはしながらも日本に対する警戒を強めてゆく様が伺える。
また、米国の要請に基づく行動とはいえ朝鮮戦争に続き「日本の軍が、自国防衛ではなく他国の領土拡張に使われた」ことに対しては中国なども警戒を強め、海軍の増強や洋上示威行動で日本を牽制。これに応じ日本も海軍を哨戒に当たらせるなど一触即発の状況が続いた。これ以降中国との国交は長く断絶する。

1970年代

オイルショックは国内にも景気の後退だけでなく危機感をもたらした。産油国の都合で価格の変動する石油に依存した電力構成から安定した供給の見込める原子力への転換のみならず、軍事面でも海軍力の中核を原子力に移行すべきではないかという議論が交わされたが、被爆国としての非核三原則の撤廃には至らなかった。
経済的・治安的な諸問題を解決する意図もあり、政府はオリンピックに続く国民的行事として国際博覧会の開催を決議、これにより1970年に大阪で万博が開催された。国内外に未来感を大々的にアピールしたこの催しは国内の閉塞的雰囲気を吹き飛ばすと共に国際的なイメージを改善、また大規模な公共工事とインフラ整備によって景気も拡大した。
一方で、10年以上続いたすえに実質的敗戦となったベトナム戦争派兵のもたらした戦費と損失は大きな問題となり、これ以降、日本は米国との共同派兵に対して消極的な姿勢を取るようになる。
また国連決議により中国が代表政府として承認される中、日本は中国との断絶もあり依然として台湾を国家承認しており、台湾海峡危機後には日華防共協定を締結。しかし中国との国交を重視した米国とは方針が対立。この後増加する貿易摩擦などもあり、日米間は疎遠になってゆく。

1980年代

70年代の末から米ソの対立はアジア圏からイスラム圏に軸足を移し、政治・経済的イデオロギーの対立から宗教的イデオロギーの対立が紛争の主眼となってゆくが、日本に於いては明治〜昭和初期の新興宗教に対する新々興宗教という対立が勃興。これは長年与党を支え続けた宗教の相対的な求心力低下をも意味し、一時期の政治不信を元とした20年来の単独与党体勢が揺らぎはじめる。
石油・天然ガス輸入ルートである中東域に紛争が相次いだことにより第三次オイルショックが懸念され、日本は周辺海域での海底資源開発を急ぎ東シナ海の日中境界線付近での調査を開始。しかし中国側では大陸棚の続く海域に領有を主張し、これを海軍の派遣により牽制したため日本との軍事的緊張が高まる。
また安定的な石油・天然ガス輸送を目的とした洋上の安全確保の重要性が認識され、日本は東南アジア諸国連合に加盟しフィリピンやインドネシアなどとの経済的・軍事的同盟関係を構築するが、これは当初反共同盟として結成された経緯があり、中国側はこれを自由主義陣営による洋上封鎖の危機と見做し、南シナ海への「防衛的侵攻」を開始したことにより中比紛争が発生、日本もこれに対し日防海軍を派遣することとなり、戦後はじめて日中が直接交戦する事態に至った。
およそ3ヶ月にわたる紛争は、全面戦争へのエスカレートを危惧した米国の仲裁により終結したが、領海の問題は棚上げされた。
80年代末頃からはソ連による共産支配体勢が崩れはじめるなど、国際的なバランスが急変してゆく。

1990年代

米ソによる干渉の均衡が崩れたことにより中東では紛争が多発。石油経済を巡る紛争は一方的な蹂躙の様相を呈し、国連安保理はこれを非難。米国は武力行使容認決議を得て制裁のための軍事侵攻を行なうべく各国に派兵を求め、日本は石油供給の早期安定と産油国への影響力強化を目的に参戦し、戦後の経済制裁に伴う石油=食料交換制度の元での石油確保に成功した。
一方で戦争への積極的関与はこれまで与党を支えてきた信者層からも批判を呼ぶなど、磐石だった体勢が崩れ始める。バブル景気の崩壊による不況も手伝って政権の支持率は急落、この弱まりを好機と見た野党各党は政治体勢の変革を訴え選挙戦を展開し、これが功を奏して公明党を除く連立政権が樹立した。
しかしその任期中に阪神大震災が発生、官僚組織の動かし方のノウハウを欠いた政権はこれに的確な対応ができず、結果として早々に支持率を落とすこととなる。
更には、政治的混乱に乗じて新々興宗教団体が都心部で大規模なテロを決行。多数の被害者を出しながらも「革命」は成らなかったが、結果として新政権ならびにそれを支える各党は一様に信任を失い、その後再びの公明党単独体勢が成立する契機となった。

21世紀

同時多発テロ攻撃を受けた米国では関与の疑われた中東の国々を名指しで非難、「対テロ戦争」を宣言する。しかし国が関与しているという明確な証拠はなく、国連は武力行使決議を否決、米国は決議に賛成した英日とのみ共同で開戦に踏み切った。
戦争自体は早期に終結したものの、その後長期にわたる治安維持活動は戦争そのものよりも多くの被害を出すなど大きな負担を残したわりに何の利ももたらさず、参戦に対する批判が強まってゆく。
2009年には衆議院選挙に於いて「政権の交代」を焦点にした戦略により民主党が単独与党として公明党を下すも、任期中に東日本大震災および原発事故という未曾有の災害に見舞われ、その対応への批判から次の選挙で三度公明党が与党に復帰した(なお、大きな災厄のある時期だけ政権を手放す神懸かった危機回避の陰には支持母体である創価学会の予言があったという噂すら立ったが、無論公的には否定されている)。

あとがき

憲法9条は扱いの難しい条文である。非戦主義を採った理由は充分に理解できるが、他方では生存権を他者に委ねるわけに行かないというのもまた当然ではあり、解釈と運用、あるいは改憲の議論は尽きない。
この条項は他に類を見ない「平和への願い」ではあるものの、それが平和に寄与しているかどうかという観点では賛否両論著しい。曰く「9条があるから日本は戦争せずに済んでいる」曰く「9条のせいで充分な防衛力を発揮できず危険」……
過去を変えることはできないが、「過去を変えたらどうなるか」を考えてみることはできる。日本国憲法が9条を欠いて成立した場合の現代日本史というものを考えてみよう、というのが本稿の趣旨である。

「なぜ9条がなくなったか」について、ここでは「朝鮮戦争が数年早く発生した」というifを設定した。これだけが唯一、「9条がなくなった結果」ではなく「9条をなくす要因」であるが、他はすべて状況から導かれた展開である。
ただ、歴史とは複雑に絡み合った要素の集合体であり、そのうちごく一部を変えただけでもどこに変化が波及するかを読むのはたいへん難しい。たとえば降伏がもう少し遅くなれば日本は南北に分断されたかも知れず、そうなれば戦後史はたとえば朝鮮特需どころではなく日本が内戦の繰り返しで経済的に低迷し、こんにちのゲーム・アニメ大国としての姿などどこにもなく、コミケも存在していないかも知れない…‥などと、大きく違った姿を描くこともできる。
「9条がない」だけの違いがもしかしたら大きな変化になっていた可能性もあるのだが、これを書くためには多方面にわたる実史を参照せざるを得ず、結果としてかなり実史に引き戻されてしまった感は否めない。「これが歴史の復元力か……」などと感慨に襲われたりもしつつ、変わりそうな部分はなるべく変えようとした結果として妙なバイアスがかかっている部分もあるが、ひとつの遊びとしてご笑覧頂ければ幸いである。

子供のためのカルドセプト

我が家の小学生にカルドセプトブームが到来したのだが、なにしろ複雑なゲームなので小学生にはちょっとわかりにくい部分があるのは否めない。
というわけで、今更ながら「小学生のためのカルドセプト説明記事」を書くことにした。なるべく12歳ぐらいの子が読んでも理解できるように書くつもりだが、説明文なのでどうしても表現が難しい。

本当に面白いゲームなので、小学生だけでなく大人も是非どうぞ。

はじめに:「戦って勝つ」ゲームではない

カルドセプトで一番の見どころはやっぱり「戦闘」なので、ついそればかり考えがちなんだけど、カルドセプトの目的は戦うことではなく「魔力を増やす」こと。「どうやったら勝てるか」を考えるためには、まず「どうすれば魔力が増えるか」を知る必要がある。

魔力は2段階表示になっている。
上の数字が、手元にあって自由に使える「手持ちの魔力」。これが多いほど、カードを使ったり土地のレベルを上げたりしやすくなる。
下の数字は手持ちの魔力に土地と護符の価値を足した、「総魔力」。これを目標額以上にして、城へ戻るのがカルドセプトの勝利条件となる。
では次に、魔力の増やし方を見ていこう。

魔力の増やし方

大きく分けると「手持ちの魔力を増やす方法」と「総魔力を増やす方法」になる。

1:土地の価値を増やす

土地を手に入れ、土地の価値を上げることで総魔力を増やすのが、カルドセプトの基本だ。具体的に何をすれば良いのか、詳しく説明しよう。

1-1:土地を安く手に入れる

土地は、1つあたり100の価値を持つ*1。クリーチャーを配置することで、その土地が自分のものになって、その価値が総魔力に加えられる。つまり、100より安い魔力でクリーチャーを配置できれば、差額の分だけ総魔力が増えることになる。
クリーチャーのコストは安ければ安いほど良い……けど、当然ながら安いものはその分だけ能力も低いので、安さだけで選ぶのも考えものだ。使い勝手とのバランスを見て選ぼう。

ところで、最初に持っている魔力+砦通過ボーナスの合計=1周する間に使える魔力の総額を、1周するのにかかる平均ターン数で割ってみると、自分の番が回ってきた時に使っていい額がわかる。平均はだいたい55G、つまり(スペルやアイテムを考えないとして)1体55G以下で召喚できるクリーチャーを多めに入れておかないと、せっかく空き地に止まっても魔力が足りなくて召喚できなくなってしまうということだ。スペルの使用も考慮すると、1体40〜50Gぐらいに抑えておきたい。
この安いクリーチャーは、主に前半戦で空いた土地を押さえるためのものなので、最初の方に引けるように多めに入れておく必要がある。また戦って奪い取るためのクリーチャーではないから、防御力を重視して選ぶといいだろう。
ブックの割合として、だいたい半分はクリーチャーを入れることになると思うが、更にそのうち半分ぐらいは50G以下の安いクリーチャーにしておくと安心。

1-2:連鎖を作る

連鎖とは、「(同じエリア内に)同じ属性の土地を2つ以上持つ」こと。無属性の土地やモーフ地形などは連鎖せず、地水火風の4属性土地のみが対象となる。
土地の価値は1つあたり(1レベルだと)100だが、2連鎖を作ると1.5倍になる(1つ150、2つあるので合計300となり、連鎖しない土地2つよりも100多い)。3連鎖なら1.8倍(180×3=540)、4連鎖で2倍(200×4=800)。5連鎖以上では2.2倍(220×5=1100)で、これ以上はいくら連鎖しても価値は増えない。

連鎖を作るためには、同じ属性の土地を押さえなければならない。そのためには「狙った土地に止まれるようにする」か「後から土地の属性を変える」必要がある。
狙った土地に止まるには、ホーリーワードなどの「サイコロの目を操作する」スペルや、リープ系など「特定の属性土地に移動する」スペルなどが役に立つ。
領地コマンドで属性を変える場合、無属性やモーフ土地なら100で変更できるが、既に属性のある土地の場合は300もかかる。土地のレベルが上がっていれば更に変更価格が上がるので、できれば土地属性を変更できるスペルを入れておきたい。
またクリーチャーの中には、領地コマンドによって特定属性の空き地へ移動できるような能力を持つものもいる。それらを活用して連鎖を増やすといいだろう。

1-3:土地のレベルを上げる

土地のレベルを上げると、土地の価値も上がる。
連鎖していない土地の価値はレベルを上げるのに使った魔力と同じなので、いくらレベルを上げたところで総魔力は増えない。
でも連鎖した土地は価値が1.5倍〜2.2倍になっているのにレベルを上げるための金額は同じだから、レベルを上げれば上げるほど総魔力が増える。「連鎖してレベルを上げる」のが、カルドセプトの基本だ。
まあ連鎖していない土地でも、レベルを上げれば防御力と通行料が上がるので無意味というわけではないのだけれど、「総魔力を増やす」方法としては効率が悪いので、やっぱり連鎖数の多いものを中心に上げた方がいい。

2:護符を買う

護符は、土地と連動して価値が変化する。安い護符を買って、土地を連鎖させたりレベルを上げたりすると、護符の価値も上がるので一気に総魔力が増える。
土地と違って、護符の場合は自分の魔力を使わなくても価値が上がる。たとえば相手が連鎖を作っている属性の護符をたくさん買っておくと、相手が土地のレベルを上げることで自分の総魔力も上がる。もちろん、自分の土地に属性を合わて護符を買えば、土地に投資した分以上に上がることになる。
ただし、土地を手放したり、スペルで土地のレベルを下げたりすると護符の価値も下がってしまうから注意が必要だ。

護符を使うとプレイがちょっと面倒になるので、ゲームに慣れるまでは対戦の時はなるべく聖堂のないマップにしたり、あるいは護符を買わずにプレイした方がいいかも知れない。

3:手持ち魔力を増やす

自分の土地に敵が止まって通行料を受け取ったり、スペルなどで魔力を得たりすれば、手持ちの魔力が増え、その分だけ総魔力も増える。
土地のレベルを上げるよりも増加は少ないけど、手元に魔力があればカードの使用にも土地への投資にも使えるから、手持ち魔力が多いに越したことはない。
また砦通過や周回時にはボーナス魔力が入るから、移動を早くするスペルでどんどん周回するのも有効だ(ただし、スペルに魔力を使ってしまうので思ったほど増えるわけではない)。特に周回ボーナスは、その時点で持っている土地の数(土地1つにつき40G)と護符の価値(護符の合計の10%)でボーナスが付くので、たくさんの土地を持っておくと周回ボーナスも多くなる。土地の分だけ総魔力が増え、土地の数だけボーナスが増えて良いことづくめだ。

4:レベルの高い土地を奪う

土地の価値は(連鎖していなければ)投資した額と同じだけしかないから魔力は増えないけど、誰かが投資した土地を奪えれば、その価値分だけ単純に魔力が増える。高い土地を奪うのは、ある意味もっとも簡単な方法だ。
ただ、レベルの高い土地にいるクリーチャーは(属性が合っていれば)地形効果でHPが増えるから倒しにくくなるし、重要な土地には敵もアイテムを惜しまないから戦闘は厳しくなる。特に、敵の領地を踏んでしまって戦闘になる場合、使ったカードのコストに加えて負ければ通行料を奪われるわけだから、かなりリスクが高い方法ではある。

とはいえ、高い領地に止まってしまった場合や、誰かが目標額に到達しそうな場合など、ここぞという時に土地を奪う能力は持っておいた方がいい。STの高いクリーチャー+武器や、即死能力を持ったクリーチャー、あるいは巻物や貫通能力などを活用しよう。

戦闘で重要なのは「相手の手札を覚えておく」こと。
攻撃を受けた場合は、相手が操作する時にカードが見えるので、それで受けるダメージを予想することができるけど、攻撃しに行く場合はそれまでのターン中に相手の手札を見て覚えておかなくてはならないので、防御より攻撃の方がずっと難しい。

勝てない時は

心折れないためのカルドセプト - 妄想科學倶楽部」という記事を書いたので、そちらもどうぞ。
また「はじめてカルドセプトをする人へ - 妄想科學倶楽部」という記事も書いている。内容はだいたいこの記事と同じだけど、数値などをもう少し詳しく説明している。

*1:マップによっては多少価格が変わる場合もある