胡蝶の悪夢

きっかけは、画像の自動認識に関する研究だった。

検索エンジンは通常、文章を解析しながら関係性の類推によって画像にタグを付けてゆく。しかし適切な位置に適切な画像があるとは限らないし、適切なキャプションが添えられている保証もない。
誤情報の修正はすべて手作業で行なわれるが、検索エンジンがかき集める速度の方が修正よりも遥かに早いし、このうんざりするような作業に常時誰かを貼り付かせているわけにも行かない。なにより、あらゆる情報を自動収集するという開発ポリシーに反する。
開発者たちが画像の自動認識研究に踏み込んだのは必然だったと言える。

たとえば犬の画像だけを、画像解析エンジンにひたすら流し込む。画像解析エンジンはそれらを分析し、共通性の高い特徴を割り出してゆく。充分な学習を積んだ画像解析エンジンは、無作為な画像を解析し、含まれる特徴合致数の多寡から高精度で犬かどうかを判定できるようになるはずだ。
「判定できるかどうか」だけならばここまでで充分だが、研究グループはもっと踏み込んだ内容を知りたがった:「画像解析エンジンはどんな特徴を犬として認識したか。
それを見るには、「描かせてみる」のが一番だ。

だが、画像解析エンジンには解析のための機能しか実装されていない。絵を見て類似点を指摘することはできても、まっさらな紙に特徴を描いてみせることはできない。そこで研究者たちは、予めカンヴァス代わりに無作為な画像を読み込ませ、犬の特徴に類似する箇所を置き換えさせることにした。いわば「犬でない画像の上に犬を描かせる」ことを考えたわけだ。
犬の特徴がない画像に無理やり犬を出現させるためには、特徴を強調する必要がある。彼らは再帰的な処理、つまり変換処理を行なった画像に繰り返し同様の処理を実行する仕組みを作り上げた。予定では、これによって犬の犬らしさが強調され、より完璧な犬の画像ができあがる──はずだった。


果たして、悪夢が出現した。


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目。無数の目。あらゆる楕円状の特徴点は軒並み目に置き換えられ、目と目の間に黒い点があれば鼻が描かれる。鼻もまた目に類似した特徴点を持つが故に、当然そこにも目が開く。丸みを帯びた箇所は立体的に強調され、表面には毛のような流れが描かれ、細い分岐は四肢となる。犬の特徴を散り嵌めた、しかし決して犬ではないもの。

考えてみれば当然の話ではある。画像解析エンジンは個体としての「犬」を認識しない。無数の画像から共通性の高い特徴を部分的に抽出しているだけだ。それは人間の認識パターンとは全く異なったもので、いわば「犬を解体し最も犬らしい部品だけを寄せ集めて組み立てる」ようなものだ。そのうえ解析は「特徴の一致度」で判断されるから、一致箇所が多ければ多いほどそれは「犬度が高い」ことになる。犬にあるべき要素は判別できても、犬にあってはならない要素は判別できない。目がない犬を犬とは判定しないが、目が過剰な犬は犬よりも犬らしい犬となる。

入力信号に喚起されて学習内容を呼び出し、それをマージして再び学習を呼び出す。その工程は夢によく似ている。結果が悪夢めいているのは単に人間の価値基準との不一致に過ぎないが、しかしこの「機械の見る悪夢」はネット上でちょっとしたセンセーションを巻き起こした。学術的な興味よりもむしろ「どんな画像も悪夢に変える」唯一無二の画像処理フィルタとして人気になり、無数の画像が生成された。

一連の成果はオープンソースで提供され、これは次のブームを引き起こした:つまり「学習前のエンジンをどう偏って学習調整し、面白い画像変換ができるよう仕上げるか」という遊びである。性器の画像ばかり集めたエンジン、フラクタル図形だけ与え続けたエンジンなど様々な試みが為されたが、やはり「目」を中心とした生体パーツ認識の生理的嫌悪に勝る面白さを得るのは困難なようで、調整は次第に「どんな生き物の画像を混ぜるべきか」にシフトしていった。

こうして生み出された「何かの特徴を過剰に備えた、何でもない画像」は画像検索エンジンクローラーに取り込まれ、再帰的なノイズとして検索を妨害し続けた。自らの研究成果が本来の機能を阻害するのだから自業自得めいたものがあるが、このままでは本業に差し障りがあるとの判断が下され、「悪夢加工の特徴を抽出する」学習プロジェクトがスタートすることになる。


再帰的な処理によって生成された画像を、再帰的に学習するメタ画像処理エンジンは一定の成果を上げ、検索結果からそうした加工の施されたものだけを効率良くタグ付けしていった。
当然のこととして研究チームはその学習結果に興味を抱いた:このメタ画像処理エンジンはどのようにそれを認識し、またどのように描き出すに至るのか。

この日を境に、プロジェクトは突然中止された。理由は明らかにされていないが、その後研究チームのメンバーはすべて入れ替わり、旧メンバーの足取りは杳として知れない。ネットの片隅でまことしやかに囁かれるオカルティックな噂では全員が狂死したとも言われるが、それを示唆するような記録もない。
また、この頃からあれほど一世を風靡した悪夢画像そのものもぱったりと途絶えた。変換サービスはいつの間にか機能を停止し、検索結果からも消え、犬画像の検索結果は誤検出なく純然たる犬そのものの画像になった。無数の目を持ち、体の至るところに小さな肢を生やした、我々のよく知る犬そのものの姿に。