「河をきれいにする」ということ

各地で、「EMで河をきれいに」といった市民運動が行なわれていて、それに対して科学者から反対の声が挙がっている。
EM──「有用微生物群」というのは、要するに様々な細菌が集まったものだ。それが河川を浄化するというのはどういうことか……を考える前に、まずは「河をきれいにするというのはどういうことか」から考えてみたい。

「きれいな水」の目的と定義

そもそも、きれいな水とは何だろうか。いや、その前にきれいな河にする目的は何だろうか。今現在の「きたない河」にはどんな問題があるのか。最初にそれをはっきりさせよう。
「きたない河」のどんな状態が問題なのか? 水が濁っていること? 悪臭を放っていること? それとも魚がいないということ?
例えば臭いが問題だということであれば、「河を埋め立ててしまう」という抜本的な対策だって可能だ。河がなくなってしまえば臭いの原因もなくなる。
濁りが問題だということであれば、川底を浚渫しコンクリートで固めるなどして濁りの原因となる微粒子をなくしてしまう方法もある。
しかし生物がいないのが問題だということなら(恐らく、問題意識のベースはここだろうと思う)、そういう乱暴な方法を使うわけには行かない。


とりあえず、ここでは「きれいな水」を、「特定の生物が生息できる水」と定義しよう。特定の生物が何であるかは河川によって違ってくると思うが、基本的なところはだいたい同じだ。

なぜ生物が生息できないのか

生物の生息を目的に据えるならば、次は現状分析だ。何故、今の「きたない河」には棲めないのか。
水棲生物の生存を妨げる要因というのはそんなに多くない:だいたいは次の4つに分類される。

  1. 水のpHが偏っている
  2. 水中酸素濃度が低い
  3. 餌となる生物が生息していない
  4. 産卵に適した場所がない

さて、ここでようやくEMの話に戻る。


EMは、冒頭でも説明した通り、細菌を集めたものだ。元は土壌改良の可能性を研究されていたが、そちら方面で効果なしとの判定が下り、何故か水の浄化や洗浄効果、におい取りから肌質改善、果ては放射能除去やら病気の治癒やら何にでも効くことになってしまっている。
このうち、におい取りあたりはひょっとしたら一定の効果を発揮するかも知れない:というのも、気になる臭いの元は微生物による分解物──つまり「腐敗」が原因であることが少なくないし、EMに含まれるいくつかの細菌類は他の細菌類の増殖を抑え自らの優勢状況を作ることに長けた性質を持っているので、結果として腐敗させる細菌を駆除しEMによる「においの少ない腐敗」に切り替わるかも知れないからだ*1
でも、他のことで効果が発揮されると考えられるものはない。そもそも万能を謳うものがまともであったためしなどないので、騙されないように。


さて、細菌は生物だから呼吸する:河の水にEMを投入するということは、水中の酸素を消費する生物を増やすことだ。つまり、2の問題を解決するどころか悪化させる働きをする。またEMの主要構成要素のひとつは乳酸菌で、酸性の物質を作り出すので水のpHを偏らせることになる:1の問題も悪化させかねない。少なくとも上記2点が原因となっている「きたない河」を改善するには役立たないどころか、却って悪化させるということだ。


3と4には必ずしも悪影響を与えるとは限らない……が、少なくとも3の場合に「魚が主食とする昆虫が主食とする水草の栄養分となる有機物を供給する微生物の死骸が足りない」というようなことでもない限りは状況が改善されるとは思えないし、食物連鎖のピラミッド構造はどれか一部が急激に増加すると全体が乱れ生態系が崩壊することが知られている。生態系の保護を目的とするのに生態系を乱しては意味がない。4は純粋に地形的な問題であって水質とは関係がない。むしろ卵が微生物によって死滅しかねないので害はあるかも知れないが。

目的を明確にしてから手段を選ぶこと

というわけで、「河をきれいに」の本来の目的である「生物が戻ってくる河に」を念頭に置くならば、そもそもEMを使うという選択肢はないということがお判り頂けたかと思う。
にも関わらず、全国的にEMが浸透しているのは何故か:「目的をちゃんと認識していないから」だ。最初は生物のことが頭にあったとしても、スローガンが「河をきれいに」になった時点で、「きれいな河とはどういうことか」という定義が抜け落ちてしまっている。その結果、「水が透明になれば良い」とか「においがなくなれば良い」といった、目的とは違った方向に向いてしまう。
大元の目的を見失っていないならば、濁っていようが臭いが悪かろうが生物が戻ってきさえすれば成功だと判る筈なのだが、それが共有されていないから害のある手段を取ってしまうわけだ。


目的は明文化すること。そして、目的から乖離したスローガンを排除すること。河川の浄化に限らず、どんな運動にも言えることだが。

*1:効果を保証するものではない