TRPGに足りないゲーム要素

RPGはゲームマスタがゲームをデザインするためのツールである」的なことを指摘したのは馬場氏だったか。そういう観点で見ると、なるほどRPGとは行動の制限だけが規定され初期状態や目的をGMが補完することでゲームとして完成することを楽しむメタな遊びと見える。意識してそのように運用することで、ゲームとしての質を高めることができるだろう。
しかし実際のところ、GMが意識的に運用してなお、RPGにはまだまだゲームとしての要素が不足している。今日はその辺りの話を少々。

判定に意志決定を

以前からずっと、ほぼあらゆるRPGに共通して感じていた不満が「判定部分で意志決定が活きない」ことだった。
大体のゲームでは判定の基準値は予め能力値や装備から算出済みの固定値を使用し、あとは出目次第という方式になっている。キャラクターの行動(=プレイヤーの意志決定)によりどの能力値を使って判定するかといった違いはあるものの、状況次第で判定基準値や目標値を変化させて有利な状況を作れるようにするようなオプションは精々戦闘中の特殊行動ぐらいのもので、そうでない数値変化はGMの判断によりその場で決定されるものであるのが普通だ。
こうした性質上、判定にかかる意志決定が最大限発揮されるのはキャラメイクの段階であり、ゲーム開始後に実際行なわれる判定部分は「ダイスを振るだけ」な感じになりがちである。しかしそれでは極論絵双六と大差なくなってしまうわけで、ゲームとしての楽しさを考えるならばプレイ中にこそマネジメントやディレンマ的な要素を絡めてゆくべきだ。
ゲームがゲームとして機能するためには、クリアすべき要件が明示され、またそれを達成するために複数の方法が与えられねばならなず、更にそれぞれの選択肢について支払うべきリソースと得られる対価が明確でなければならない。


この辺、一部ゲームでは徐々に改善へ向かっているようだ。
例えばサタスペでは「能力値回数まで何度でも試行して良く、目標値を達成できた回数に応じて成功度が与えられるが、1ゾロが出るとそれまでの成功数に関らずファンブルとなり強制失敗」という仕組みがあり、どこで止めるかをプレイヤーに任せている。また情報収集など一部行動ではすべての能力値で実行可能となっており、得意分野から着手して良い。しかしそれにより得られるリソースに特段の差がないため、単に「得意な手段を実行する」に留まっているのが惜しいところ。「得意分野だと成功は容易だが目標まで遠く、不得意分野だと成功が覚束ないがその分目標まで近い」などのディレンマが欲しい。

リソースと交換

ボードゲーム類を多く遊ぶと、次第に多様なルールの中から共通する構造が見えてくる。それは要するに「何らかのリソースと引き換えに勝利のための要素を得る」ということだ。
金を消費して勝利点を買う、といった判り易いものから単に1手番を消費してコマをひとつ動かすことで(多分)勝利に近づく、といった読み難いものまで様々だが、とにかく与えられたリソースを何らかの形で消費し、その代わりに何らかの形で勝利に繋がる状況を入手する。ある意味でこれがゲームのすべてだ。
ここで、手番もまたリソースであることに注目されたい。基本的にほぼ全てのボードゲームでは、行動順序/回数は任意ではなく、その限られたチャンスで確実に勝利を掴む必要がある。1手番を無為に消費するのはリソースの無駄遣いに過ぎない。


が、RPGに於いては必ずしもそうではない。なんとなれば、時間=試行回数が(少なくとも明示的には)限定されていないからだ。
例えば「ジャンケンで勝った方がケーキを得る」という状況を考える。これ自体は1回の手番を消費して勝利(=ケーキ)を得ようとするゲームと捉えられるが、仮に「何度挑戦しても良く、1回でも勝てばケーキを貰える」というルールであったとしたらどうか。無限回のうち1回でも勝てば、ということは換言すれば「絶対にケーキを貰える」ということと同義だ。
斯様に試行回数が制限されず、かつ試行の結果にペナルティを伴わぬ場合、試行がリソースの消費という形を取らぬことになりゲームとして成立しなくなる。勝利が約束されたゲームはゲームではない。


以上から、試行数の制限がゲームの成立として重要であることが判る。
まあ実際問題、いかなシステム/GMであろうとも「好きなだけチャレンジして1回でも成功したらOK」なんて運用をしているとは思えない。けれど、例えば情報収拾の段階に於いて「無駄と知りつつクリティカルを期待して全員振ってみる」なんてのは普通に見られる光景でもある。
そうすると、例えば時間の消費を明示し「1回の試行ごとに1時間が経過する」などと示すなら、それだけで「全員が同じことを試す」なんて状況は解消するだろう。──まあそもそも時間がまったく制限を受けない状況ならば話が別だが。


あるいは別のリソースを導入し、それを消費する形を取るのも手だろう。ただRPGではその性質上、初期に最大のリソースが与えられ、それを徐々に消費するような形態を取るか、あらゆる行動で蓄積したリソースをクライマックスに投入するような形式が多くなりがちだ。どちらの形式にせよ、試行回数を限定することで前者には消費量のマネジメントを、後者には無限増殖の抑制を引き起こすようなシステムにせねばならない。そうでなければ「全然使わずに一撃必殺用に取っておく」とか「無駄な行動を繰り返してでもリソースを溜める」ようなプレイになりかねず、期待したような働きをしなくなってしまう。

終了条件の明示

もうひとつ、ボードゲームとの顕著な違いが「終了条件が明確でない」ことだ。より正確に言うなら「どのくらい手番が回ってくるか読めない」ということ。この問題は上の話ともリンクしていて、結局のところ解決までに消費することの可能な手番が無限回なのであればそもそもゲームにはならぬわけだから、必ず終わりを示さねばならなないことになる。これはまた、リソースの管理にも関ってくる問題である。


例えばゴブリン退治なんてよくあるシナリオを考えてみる。村近くの洞窟にゴブリンが棲み着いた、退治して欲しい。この状況だと、村としては被害さえ出なければ退治完了までの時間が無限であろうとさして問題ではなくなってしまう。けれど「冒険者は滞在中のコストは自腹だよ」ということであればプレイヤーとしては報酬を食い潰す前にさっさと打破する必要があるだろうし、逆に村が滞在時のコストを補填するのであれば長期滞在させないために遂行期限を切るだろう。
もう一工夫するなら退治の相手をゴブリンではなく山賊とし、「娘が人質に取られているが要求された身代金はとても払える額ではないのでこれを退治/人質を無事救出して欲しい」などとしてみる。人質が殺されてしまう期限まではあと3日、けれど娘が陵辱されてしまうと報酬半減、殺害されれば報酬なし。可能な限り迅速に任務遂行しなければ目的を達成できない。
これと準備中の時間消費管理を組み合わせれば、立派に「リソースとしての手番」が実現できる。
もっとも、時間消費単位に対して制限時間が大きすぎるとこの手法は意味を為さなくなる。時間消費単位にしても制限時間にしても常識に左右されるため恣意的なコントロールが難しい部分もあり、シナリオ執筆時点から注意が必要である。