謎解きの楽しみ

例によって書きながら纏める。


ミステリ小説は謎を提示し、それを解き明かして見せるジャンルである、と定義したい。大いなる謎が思いもかけぬ方向から解き明かされるカタルシスこそが楽しみの原点である。
この点はSFも同様であるが、ミステリにはSFにない特徴として、往々にしてある種のゲーム性が求められる。

  1. 謎解きに使用する情報がすべて読者に対しても開示されていること
  2. 明示しない情報については現実世界の法則に従うものとする。特殊なルールはすべて明示されること

この条件さえ満たせば、仮令世界設定が遠未来だろうが異世界だろうが他次元だろうが、ミステリは成立し得る。
全ての情報が開示されるわけだから読者にも謎は解き明かせることになるが、実際のところ探偵の解説が始まる前に解く人はあまり多くないだろう。そう簡単に正解を導き出せるようではカタルシスが薄いし、それを楽しむためには途中で読書の楽しみを長時間に渡って中断せねばならない。どちらかと言うと、重要なのは事後の検証性ではないか。
読者が解くべきとは言わないが、それは著者が仕込んだかどうかとは関係ない。


かまいたちの夜が賞賛されてかまいたちの夜2 監獄島のわらべ唄が酷評されるのは、単純にカタルシスの有無だ。

  1. 初回プレイでも正解に到達できること
    • 正解を知った後で再プレイによりそのことを検証して悔しがることができる
  2. 正解が納得できるものであること
    • 1の謎解きが納得できたかどうかは兎も角、いくら何でも2の超変装は納得し難い

この作品に対しての評価をじっくり読んだことはないが、恐らくホラールートはそれほど酷評されなかったのではあるまいか。ホラーは性質上、理路整然としているより理不尽であるべきだから。逆に予想の範囲内に収まっていることへの不満は出るかも知れないが。
つまり問題は

  1. 主要ルートがミステリとして作られていた前作の名を継いだことで主にミステリと認識されたにも関らずミステリでない
  2. 一応ミステリらしきルートが用意されてはいたがホラーより理不尽

という構造上の問題だったと思われる。仮に不要なミステリルートを削除し、名称を変更して(あるいは明白にホラーであることを謳って)いたら、評価は随分違っていたかも知れない。
街 運命の交差点の高評価については、主にZappingによる楽しみ-----一つの事件を複数の視点から語る/独立した「運命」が相互に影響を及ぼしているという演出-----が評価されているのだろうと思う。それを「そんなに「街」みたいなのが大好きなら小説を読んだほうが効率いいと思います」と斬るのには同意。ゲームとしては、毎回の行動選択が他キャラの運命に何かしら影響を及ぼしながらストーリーが継続するマルチエンディング(ゲームオーヴァールートはエンディングと認めない)であれば、とは思う。たった一つの正解ルートを探るだけではインタラクティヴなメディアを使用する意味がない。


……というか、「謎解き」の形態として、私はMYSTのようなものを想定していたのだった。文章を読解して選択肢を選ぶ形態ではなく、隠されたヒントを頼りに今すべきことを見付けてアクションして行くような。正解は一つしかないが、小説では決して代替できない(それはヴィジュアル化されているから、といった問題ではない。ZORK 1のように、ヴィジュアルなしのテキストのみでそれを行う例もある)もの。
MYSTの公平性たるや!正解さえ知っていれば、開始2分でクリアすることさえ可能である。そこに至るまでの道程はすべて、最後の解法を知るためのものであって、その仕掛け自体は最初からずっと「生きて」いる。変なフラグ立てなんて必要ない。
こうしたゲームが日本国内に根付かなかったのは誠に残念なことだ。