オキナガ考

ゆうきまさみ著「白暮のクロニクル」は、オキナガと呼ばれる「不死の人」たちが存在する現代日本を描いたサスペンス調の漫画である。

オキナガとは古い言葉で「息長」あるいは「生長」と書き、長命の者を意味する。

オキナガの肉体構成はヒトと変わりないが、体は成長せず、傷は素早く癒え、食べ物をほとんど必要とせず、また病に冒されない(正確には「病によるダメージがすぐ回復してしまうため自覚的な症状が出ない)。
生肉および血を好むが、それなしに生きられないわけではない。犬歯が鋭く伸び、噛み付きによる吸血を行なう場合がある。吸われる側には快感があるというが、これは痛みによる抵抗を抑えるための何らかの快感物質注入によるものであるのかも知れない。
オキナガは視覚、特に低光量視覚に優れ(桿体の感度が高いのか、暗所で目が光るような描写もあったので猫のように反射構造を持つのかも知れない。また10巻で茜丸の目がほぼ黒目であるように見える描写があり、瞳孔が極端に広がる可能性もある)、また聴覚・嗅覚もヒトより格段に鋭い。
一方、肉体がヒトに比して強靭であるわけではなく、膂力などはヒトと変わりない。むしろ紫外線に対する極度のアレルギーにより日光下では数時間と保たないという致命的な弱点を抱える(オキナガの死因1)。
首を切られても生存可能で、切断部位も傷口を合わせておけば癒着するが、大きな肉体欠損までもが元に戻るわけではない。内臓、特に心臓を失えば死に至る(オキナガの死因2)。
オキナガはオキナガとして生まれてくるわけではなく、オキナガが死に瀕した人間に血を飲ませることによって「成り上がる」。ただし血を分けたところで成り上がれるかどうかは相性次第で、少なくとも遺伝的に「オキナガ化し得る」因子が存在するらしいこと、またこれは母親から受け継がれるらしいことが知られる。

ここからいくつもの疑問が生じる。

疑問1:オキナガの脳は変化するのか

オキナガの肉体は高い恒常性を保っており、肉体は(大きな欠損を除けば)すぐ元に戻る。では、脳はどうなのだろうか。
一般に、ヒトの脳はニューロンの結節が変化することにより記憶を蓄積してゆくと考えられている。だとすれば、オキナガに於いても脳内の変化は生じているはずだ。
一方で、雪村が目にしただけの顔を全員覚えていたり、応仁の頃から竹之内に仕える多聞が当時嗅いだきりの「茜丸の匂い」を記憶しているように、オキナガには特異的な記憶の良さを示す描写がある。これは「一度記憶形成したニューロンが変化しない」ことを意味するようにも思われる。
また他方では竹之内が「(雪村や自分は)モニタで文字を読んでもあまり頭に入ってこない」と述べるなど時代の変化に対応し切れないとも取れる発言があり、こういった部分は「脳が変化しにくい」ことによる作用であるのかも知れない。

疑問2:オキナガは出産できるのか

オキナガの肉体は変化しない。すると、体の変化を伴う「妊娠」は不可能なのだろうか。そもそも「生理」が生じない可能性もある──逆に、生理中に「成り上がった」場合は生理が続くことになるのだろうか?
妊婦がオキナガになった場合はどうなるのだろう?オキナガとしての性質が胎児にも及ぶ場合、胎内に成長しない胎児を抱えた永遠の妊婦になるのだろうか。それとも胎盤で分かたれた胎児にまではオキナガの血が届かず、「これ以上大きくならない」母体の子宮内で胎児だけが成長してしまうのだろうか。

疑問3:髪や髭は?

肉体の損傷は速やかに回復してしまうオキナガだが、肉体的には「死んだ部位」である毛はどうなのだろうか。切断しても接合するのかしないのか、新たに伸びるのか伸びないのか。伸びない場合は歳経たオキナガほど無毛になってゆくように思われるので、恐らくは伸びるのだろうが。

疑問4:オキナガと感染

体の損傷が回復してしまうオキナガは、感染しても自覚的な症状が出ないようだが、感染力はある(少なくともその可能性は否定できない)と考えられている。
病原には主に「体内を食い荒らす寄生虫」「毒性のある物質」「毒性物質を排出する微生物」「細胞を作り替えるウィルス」があるが、これらに感染した場合にオキナガの体質はどれぐらいの速度で修復され、またその場合に体内の病原体はどうなるのだろうか。
寄生虫の場合、食い破られる痛みなどはあるにせよ(もっとも、肉体の損傷に伴う危機感の薄いオキナガはそもそも痛覚の必要性が薄く、感じないとまでは言わぬにせよ感じ方が弱そうでもある)、損傷部位は速やかに回復してしまうため「死なない宿主」として寄生虫を永く生存させ得ると考えられる。
細菌感染の場合、排出される毒性物質はオキナガにも影響を及ぼし得るものの、致死性であっても回復してしまうので、こちらも細菌を生存状態で永く保持できそうだ。
ウィルス感染の場合はどうか:通常のような「成長」を行なわないオキナガの場合に、体へのダメージ回復以外の理由で細胞分裂が行なわれるのかどうか、よくわからない。仮に細胞分裂が行なわれない場合、ウィルスはDNA改変による増殖を引き起こせない可能性がある。
もっとも、体毛が伸び続ける可能性が高いということは細胞分裂が行なわれているということであろうから、ウィルス感染も引き起こしそうに思われる。その場合、これまた「分裂するウィルスを体内に永く保持しつつ失われた細胞が補完され死なない宿主として機能する」ことになり、結局いずれの場合でも「当人の健康状態にほとんど影響しないまま周囲に対する感染力だけは保持した」衛生管理的には厄介な存在たり得るだろう。そりゃ厚労省管轄で定期診断せざるを得まい。

疑問5:オキナガの血はどのように作用しているのか

オキナガが血分けによって増える、ということはオキナガをオキナガたらしめる要因は恐らくその血にあるのだろうと思われる。血を飲まされた者が「甘く」感じられる、というのもそれを裏づける。
1巻および2巻での血分けの描写を見るに、傷口にも垂らしているようだが、基本的には「飲ませて」いるようで、だとすれば体に直接作用させるには些か効率の悪いやり方に思われる。だとすれば、血は通常のように胃腸を通じて吸収されるのではなく、もっと直接的に肉体を侵襲している?ならば「血に触れさせる」だけで効果が得られるのだろうか?
「オキナガ化」は極めて迅速に進攻する。全身の構成を、細胞単位で機能的に作り替える、といってもいいだろう。この変化は何が、どのようにして齎すのか。
諸々考え合わせ、ひとつの仮説を立ててみた:オキナガとは、血液内の成分──ある種のウィルス──による感染症ではないか。
オキナガをオキナガたらしめる成分が血に含まれていることは明らかだ。
ヒトは血液との接触によってオキナガになる。ただし、生きたヒトがオキナガの血に触れてもオキナガになるわけではなく、死につつある状態でしかヒトはオキナガになれない。更に、死につつある時の接触であっても、長命化因子に適合しなければオキナガになることはない。
従ってオキナガは極めて弱い感染力しか持たないが、代わりに「宿主を極端に死ににくくする」ことによって感染力の低さを補い、ゆっくりと増殖する。
オキナガの血液成分は明らかに宿主を「作り替える」。それがなぜ生きた状態のヒトに対しては作用しないのかは不明だが、もしかしたら生体の免疫系であっさり防がれてしまうのかも知れない(「死につつある」状態の体でそれらが機能しないのかどうかは解らないが)。
吸血衝動は単なる生理的欲求ではなく、「ヒトを半死状態に追い遣りつつオキナガの唾液などの成分と接触させる」ことによる感染を期待しての(一部の寄生生物で知られるような)宿主コントロールなのかも知れない。

疑問6:ヒト以外のオキナガ

オキナガ化についてはあまりにも不明点が多いが、「長命化因子」がヒトにしか含まれないものでない限りは、ヒトに近い生物などでは共通感染を引き起こし得るのではないだろうか。とすれば、一部の哺乳類や、もしかしたら鳥などにも、オキナガ化個体が混じっている可能性は充分にあるものと思われる。

疑問7:海外でのオキナガ

オキナガは感染しにくいため拡散力は決して高くないが、ヒトの移動に伴いオキナガもまた移動する以上は日本に特有の存在とは考えられず、世界中にオキナガがいると考えるのが自然であろう(実際、按察使薫子はヨーロッパ留学中にオキナガ化したし、作中でも他に海外出身と思われるオキナガが複数登場する)。他国では、オキナガはどのように扱われているのだろうか。
東欧の吸血鬼伝承など、夜に出没する不死存在の伝承がオキナガを指している可能性は非常に高く、多くが「人を襲う化け物」として描かれてきたことからも根強い差別意識が存在するだろうことは想像に難くない。

疑問8:オキナガ認知の歴史

古くから「不老不死の人がいる」こと自体は伝えられてきたはずだ(そういう伝承が多数残っている)が、その(生理的/戸籍的な)実態の把握はほとんどされておらず、日本に於いては具体的調査が進んだのは恐らく太平洋戦争前後のことであると思われる。
とはいえ、「死なない」ことの戦闘的利点は明らかであるからして、他国に於いても類似の「利用」が考えられなかったはずはない。たとえばドイツ第三帝国末期にヒトラーが「最後の大隊」と称する無敵の戦闘集団に言及しているが、これが不死者の軍隊であった可能性は高い。日独がそれぞれに似たようなことを考えたのだとすれば、英米ソなどに於いてもまた類似のアイディアは当然にして存在したであろう。
いったい社会はいつ頃からオキナガを正式に認知し、またどのように対応してきたのか。

古いオキナガについて

登場人物それぞれに触れるとキリがないので、特異的に出自の古い二人だけを取り上げる。

竹之内参事

古いオキナガ。当人の申告によれば「1600年ばかりこの国に仕えている」そうだが、それが1600年前の生まれを意味するのか、それとも「もっと古くからオキナガとして生きてきたが国に仕えるようになったのは1600年ほど前」なのかは不明。
応仁の乱茜丸と出会いオキナガに成り上がらせる。この当時は「スクネ」を名乗っていたことから、記紀に記述のある武内宿禰たけのうちのすくね当人である可能性は高いが、逆に「記紀から名を取った」可能性もある。
記紀武内宿禰についての記述を信じるならば景行天皇の時代に生まれたことになっており、生年は西暦80年代頃となる──現実世界では、初期25代あたりの天皇は「度を越えた長命」を理由に実在性が疑われる存在であり、それら天皇に5代続けて仕えた人物とされる武内宿禰もまた非実在と考えられるが、オキナガが実在するこの作品内世界にあっては天皇の記述が架空であると断じることもできない。

入来神父

浅黒い肌で、コーカソイド系の骨格。「日本の戸籍制度が始まった時から日本人」ではあるが、渡来と思われる。
6巻にて竹之内が「いつからこの国にいるのかわからんが」「古い。ことによると俺よりもな。」と発言しており、1600〜2000歳前後と思われる竹之内より年上かも知れないことから、紀元前の生まれである可能性も。
「非常に古い不死者」で「海外から日本へ渡来した」「 父親が大工だった」という条件に当て嵌る人物は非常に少ない、というか一人しか思い当たらない:ベツレヘムに生まれゴルゴタの丘で磔となって死して3日後に復活したことで知られる、ナザレのイエスである。