防疫の基本はまず「感染源との接触を断つ」ことだ。とりわけ、CoViD-19のようにワクチンなどの医学的予防手段がない感染症の場合、「人同士の接触を抑制する」以外に抜本的な対策手段がない。
しかし、人の接触は日常的な生活、とりわけ経済のほぼ全てにかかってくるものだ。それを抑制するというのは即ち「経済を抑制する」ことと同義となる。
病は直接的に人を殺すが、経済の崩壊もまた人を殺す。従って感染症政策は単に「接触を抑制して流行を抑え」れば良いというわけではなく、それに伴い不可避に発生する経済低迷をも同時に支える必要がある。
理想的に言えば、相当期間の移動抑制要請を出しつつ、その代わりとして「外出せずに用を済ませる」ための体制構築と、経済活動の停止による減収への補償を全面的に行なうべきということになるが、それはもちろん容易なことではない。
それにどれほどの予算が必要かを見積もるのは困難だが、日本はそもそも(この期に及んでまだ)金を出し渋っている感がある。言うなれば、感染抑制と経済維持を同時に行なおうというのではなく「最低限の出費でどちらかダメージの大きい方だけ」を、ある程度軽減するに留めたいと考えているように見える。
恐らくは予算を必要なだけ支出しまくった先に訪れるであろう、「金の刷りすぎによるハイパーインフレーション」あたりを警戒しているのではと思われ、それ自体が(そもそも長らくデフレ社会である日本では)杞憂に過ぎる気はするのだが、私も経済に明るくはないのでこのあたりは判断しかねる。
さておき、仮に「出せるカネには限度がある」のだとすれば、少ない予算を効果の高い部分に絞って投入するしかないということになる。それが感染症抑制にかかるあらゆる経済負担を支えるには不足である場合、どこにどのように投じるのがもっとも効果的だろうか。
(このような「金と命」の比較については抵抗を感じずには居られぬものの、比較せずして政策の是非は語れまいと考え、逢えて「経済と人命の比較」を試みる。)
経済的ダメージとその人的被害
CoViD-19疫禍は世界的に経済、とりわけ旅客・観光業などに大きな打撃を与えた。国境を越えての感染を防ぐため入国をシャットアウトし、帰国に際しても2週間の予防拘禁が行なわれる状況では海外観光などおよそ不可能だし、国内旅行についても一番の書き入れ時であったGWを緊急事態宣言で潰さざるを得なかったのだから、当然のことだ。
日本観光業の経済規模はおよそ22.5兆円規模だが、これが前年比で2%程度にまで落ち込んでしまった。この状況が長く続けば、観光業界そのものが全滅し、それに伴って日本経済自体も重篤なダメージを受けることが予想される。
経済ダメージによる「死者」とは、主に自殺だ(餓死など困窮の果ての死もあるが、多くは餓死に至るよりも先に自死を選ぶことが多い)。
20年ほど前、大型の不況が自殺者を急増させた時期があった。
現在の自殺者は年平均で2万人前後だが、平成10(1998)年に突如3万5千人規模へと跳ね上がり、これが15年ほど続いた。前年の北海道拓殖銀行および山一證券破綻が引き金となり、それまでの貸し付け体制から貸し渋り・貸し剥がしに転じたことによる影響と見られる。言うなれば、経済の低迷が年間1万5千人の「超過死亡」を発生させてきたということだ。
98年〜2002年までの間、平時1万を下回っていた倒産件数は2万件近くにのぼり、負債総額は平時1兆円程度だったものがピーク時では24兆円にも達した。
これらを大雑把に纏めるならば「23兆円の負債増加が5千〜1万の超過倒産と1万5千の超過死亡を15年にわたり発生させた」ということになろう。
22.5兆円がゼロ近くまで落ち込んだという観光業界への打撃は、この時のダメージに等しい規模である。つまり、何の手も打たなければ再び1万5千人/年の超過自死が懸念される。
この危難に対して政府は観光振興策「GoTo」キャンペーンを打ち出した。
これは予算1.3兆円あまりを投じ、1泊2万円を上限として費用の一部を国が補助することにより、最大で2.5兆円程度の経済効果を発生させようという目論見だ。
政府発表に拠ればGoToキャンペーンの利用総数は、7月下旬の開始から11月半ばまでの時点でのべ5千万人以上。旅行代金のうち政府が補助する35%分の支出総額は3000億円程度とのことで、観光業界の売上はおよそ1兆円前後と見込まれる。
率直に言えば「焼け石に水」である。
無論「やらぬよりマシ」であることは疑いないものの、その効果は本来の経済規模に比して1/20にも満たないものに過ぎず、業界を支えるにはとても足りない。元々は終息後の経済復興策として考えられていたものを渦中での補填に転用したものだから、そもそも目的と手段がうまく噛み合っていない。
経済打撃による自殺者の増加が負債額とリニアに比例するものかどうかは不明だが、そうと仮定すれば23兆円あたり1万5千人の超過自殺者を1兆円ばかり軽減するGoTo政策の救命効果は、およそ650人程度と見積もれることになる。
それでも、今ひとときの1兆円がその後10年以上にわたり650人を救うのだとすれば、もしかしたら6500人程度の救命効果が得られたのかも知れない。こればかりは今後を見守るしかないが。
感染拡大への寄与とその経済的被害
一方で、GoToキャンペーンによる移動の奨励は国内の感染拡大を促進することが強く懸念される。冒頭で述べたように、現在のところ「人同士の接触を抑制する」以外に効果的な対策手段がない以上、移動を奨励し接触機会を増加させる政策は(経済的には望ましくとも)防疫的には最悪の部類だ。
実際、GoToキャンペーンが発表された7月頃を境に日々の感染者数は増加に転じ、また利用者の一部で感染が確認されもした。東大の研究事例では、GoToキャンペーンを利用した人がしなかった人に比べCoViD-19の疑いがある症状を2倍前後発症しているなど、キャンペーンが感染拡大に寄与したことを示唆する傍証はいくつもある。
GoToキャンペーンの開始以前から、緊急事態宣言の解除に伴い通勤・通学が再開され鉄道や商店にも客足が戻り、接触は平時の7〜8割程度まで増加していた。当然ながら感染もそれに応じて拡大してゆく。
そうした旅行以外での感染と、GoToによる移動人口増加での影響を切り分けるのは簡単ではない。
しかしながら、感染者数の変動をグラフで追ってゆくと、5月のGWを潰した緊急事態宣言によって、一旦はほぼフラットに近いところまで抑え込まれた感染者数の増加が、7月の後半から急激に増加する様子が伺われる。
通勤量は緊急事態宣言の解除後ほどなく宣言前の8割程度までは戻っているが、それによって感染の増加が見られるのは最も多くの通勤人口を抱える東京都周辺部のみで、その他では5月末のクラスター発生による増加の影響が見られる福岡県と、最初期に感染の広まりが確認されて以降、押さえ込みに苦慮している北海道だけ。他の府県では通勤が顕著に感染を広げた形跡がなく、それが突如として7月半ば頃を境に、全国で一斉に感染が増加している。
GoToの開始そのものは7月22日であるため、単純に「GoToを利用した人たちによって感染が増えた」のならば、その影響は利用日から潜伏期間の分だけ(5〜14日程度)後にずれ込むことになるはずだ。これを以て「GoToの影響ではない」と主張する向きもあるが、実際にはGoToは開始以後にのみ移動を増加させるわけではない。「国が旅行にお墨付を与えた」こと自体が、観光を中心とした遠方への外出をGoToに先立ち増加させたと考えられる。
単純に考えれば、GoToが行なわれず粛々と平時の通勤通学のみを続けていたのならば感染の増加はフラットに近い緩やかなものに留まり、今に至るもせいぜい3万に届くかどうかといった程度に抑えられていたかも知れない、と考えればGoToは感染を10倍にも引き上げてしまったことになる。
とはいえ警戒を長く続けることは難しく、どうしても気が緩む……というか、時には張り詰めたものを緩めることも必要になってくる。だとすればGoToがなかったとしてもフラットなまま抑え続けることは困難であり、ある程度の増加は避け難くもあっただろう。
そしてまた予測を困難にするのが、「感染者が増えるほどに増加割合も高まってゆく」という特性である。今の20万人がどこまで増え続けるのかによっても、GoToのもたらした影響の大きさはまったく変わってくる。
感染は、増えるよりも抑える方が時間がかかる。そして7月からの第二波は、抑え切れないままに10月頃から再び増加に転じ、現在の波がある。これが今すぐ沈静化に向かうとは期待しにくく、現在の増加割合のままであと1ヶ月も続くとしたら感染者数の累計は40万にも届きそうだ。
とりあえず、GoToによる影響を暫定的に、「感染者数30万人の増加」と仮定しよう。
CoVid-19の世界的な致死率は約2.2%だが、今のところ国内での致死率はそれより低く1.3%に抑えられている。これはひとえに医療現場が頑張って持ち堪えてくれており、他国で見られたような医療崩壊を発生させていないからだろうと思われ、今後もこの死亡率が保たれる保証はどこにもないが、さておき死亡率が変わらず1.3%のままで感染者が30万人増えるのだとしたら、死者はおよそ3900人増加することになる。死亡率が今後他国並みの2.2%にまで引き上がってしまうようであれば6600人程度。
ただ、感染者の増加に比して死者は(今のところ)大きな増加は見られず、もしかしたら死亡率はもっと低くなるかも知れない。それでも、感染者数がもっと増加するならば人的被害はそれに応じて更に増えるし、死を免れたとしても重い後遺症を引き摺る人も少なからず発生するから、実際には死者以上の「超過被害」があるわけだが。
功罪の比較と不足分
これで、(仮定に仮定を重ねた不確定な推計ではあるが)GoToのメリットとデメリットを、「人的被害」という同一単位系の上で比較できる情報が出揃った。GoToが救うかも知れない命は1年あたり650人ぐらい、もしかしたら10年前後続くかもしれないので6500人ぐらい。対してGoToで失われるかも知れない命はこの1〜2年内で3900〜6500人ぐらい。意外にも、「GoToで救われる数」と「GoToが増加させる死者数」には大きな差がないようだ。
ただ、これはあくまで「GoToをやって観光業界を救うのか、GoToをやめて感染被害を救うのか」という二択を前提としての比較である。
が、そもそも「どちらも救う」という選択肢はないのだろうか。単に「観光はさせないが観光業は延命させる」ことはできないのか?
GoToによる観光経済への直接的な寄与は今のところ1兆円程度に過ぎない。その程度の金額であれば、補正予算で予備費として確保した10兆円の中だけでも十分に賄うことが可能だ。業界に直接給付してしまえば、なにも旅行を奨励して感染を広げる必要はない。それを「国の出費は1/3」に抑えようなどと考えるから、被害軽減のために被害を広げるようなおかしなことになる。
そして、業界を支えるにしては1/20程度の支援はあまりに非力だ。全額補償とは行かぬにせよ半額ぐらいは出せないと、ごく小数の大手が屋台骨のみ生き残って中小や大勢の業務従事者が失われる(そして来年以降に観光を復興するだけの体力が残されていない)結果になるのではなかろうか。
逆に、観光業が無収入でも当面継続できるだけの支援が可能であれば、移動を奨励して感染を拡大するような政策を打たずにこの局面を乗り切ってゆけるはずだ。
医療現場は既に限界近くまでフル稼働しており、いつ何時崩壊してもおかしくない状態である。諸外国の累計死亡者数を見ても、医療崩壊を引き起こしたら超過死亡はとても数千では済むまい。
そもそも人員の不足を抜本的に解消できる手段がないためジリ貧ではあるのだが、せめて最前線で死力を尽くしている人たちの心が折れぬよう、支える必要がある。
現状できる範囲で最大限の支援は(必要物資の補充と共に)一人一人への手厚い金銭的手当だろう。厚労省はこれまでに5〜20万円ほどの一時金は給付したようだが、継続的に奮闘する彼らを支えるには到底足りまい。
国内の医療従事者数は医師およそ30万人、看護師・准看護師で130万人、歯科医師・薬剤師などあらゆる医療従事者合計で200万人ほど。200万人に一人あたり平均10万円を給付するとして2千億円、毎月給付なら年間で2.4兆円。これも予備費だけで賄い得る金額だ。
予算は使ってこそ意味がある。「使い切らないと減らされる」と無駄に出費を増やして調整するのはどうかと思うが、確保するだけして後生大事に溜め込んでも意味はない。
医療も経済も、被害が小さいうちに食い止めなければ、 手を拱くほどに被害は拡大し、長く爪痕を残す。今出さずして後はないのだ。