伊藤計劃の遺した屍者の帝国

劇場版アニメの評価が、賛否両論著しい。「原作たる円城塔版から改変された部分」もさることながら、「伊藤計劃自身の書いた冒頭を削ぎ落とした」として批判が少なくないようだ。
元より伊藤の遺した冒頭部分とプロットとも言えぬメモ程度から書き起こされたものとはいえ、「冒頭と違う」から(プロジェクト伊藤計劃としては)駄目だ、というのであればそれはむしろ屍者の帝国に対する伊藤の影響力を冒頭の文章それ自体にしか認めぬ謂いと受け取れる。
そんなにちっぽけなものであるものか。

以下に、伊藤計劃の手になる冒頭部分を手がかりに、円城塔の書籍版および劇場アニメ版が「どこまで伊藤計劃であるか」を検証する。
当然のことながらネタバレを含むので、そのつもりで。

伊藤計劃の冒頭を読み解く

物語は、ワトソンの医学生時代から始まる。つまり第二次アフガニスタン戦争に従軍して負傷し、英国に復員してホームズに出会う前の時代設定であることが判る。
ジャック・セワードとエイブラハム・ヴァン・ヘルシングの登場により、これが単なるシャーロック・ホームズパスティーシュなどではなく複数パスティーシュを含んだ作品を指向していることが伺える。ついでに言えば後段でユニヴァーサル貿易が登場するあたり、必ずしも同時代ネタばかりを集めたわけでもないことも判明する。
動物磁気や骨相学、「0.75オンスの魂」は古い時代の科学知識に基いたスチームパンク的設定を伺わせる。
そして、何より「屍者」。
脳にインストールした制御系で死体を操り労働力に活用する技術が一般化した社会、蒸気機関ではなく屍者によって産業革命が成し遂げられた世界。タイトルとも相俟って、これが作品世界の中核を成していることは明らかだ。
また、屍者技術を切り拓いたのが100年前のフランケンシュタイン博士であることも伝えられる。

この時点で既に、世界設定はほとんど見渡せていると言って良い。この後2章ではワトソンが単なる軍医ではなく工作員として送り込まれようとしていること、任務がアフガニスタンから始まり、主な相手がロシアとなるだろうことが示唆されるが、屍者技術文明という世界設定からしてグレート・ゲームの鍵を握る「ワトソンが追うべきもの」はその技術に大きな影響を与える何かであり、また屍者技術を学ぶ医学生でなけれな扱い得ない性質のものであろうと察せられよう。更に言えば前2作を「人の意識」を巡るものとして描いた伊藤計劃の作風を考え合わせれば、物語は生者と屍者の差異を通して「魂」を問うような構想であった可能性は低くない。
そこにカラマーゾフの兄弟を、未来のイヴを、風と共に去りぬを、放り込んだのが伊藤なのか円城なのかは不明だし、2部3部あたりはメモにすらあったかどうか怪しくなり、他方で円城の後書きには伊藤の構想すべてを消化することは叶わなかったともあるが、ともあれ「冒頭だけが伊藤計劃」では決してなく、(文章こそ大半が円城塔の手になるものとはいえ)真に合作と呼ぶべきものであるとは断言できる。

劇場版アニメとの比較

さて、それでは改めてアニメ版を見てゆこう。
「様々な作品のパスティーシュを含む」部分については、いくつかの切り落としにより円城塔のそれよりも幾分弱まりはしたが、それでもしっかりと残されている。シャーロック・ホームズはもちろんのこと、物語の骨子にかかわるフランケンシュタイン博士とザ・ワン、ハダリー、カラマーゾフの兄弟ディファレンス・エンジンなどは健在だ。
007要素はユニヴァーサル貿易の名が消えて「M」だけかと思いきや原作にはなかったミス・マニーペニーが登場。「大里化学」も残されたので充分すぎるぐらいだろう。
伊藤の冒頭から展開の予想された第一部に関しては、大半が原作通りに描かれている。大きな違いはといえば冒頭の交戦と最後の展開ぐらいで、それ自体は恐らく伊藤計劃部分ではない。
第二部以降は円城塔オリジナル比率が高まっていると考えられるが、その中で伊藤計劃構想にあった(もしくは円城塔によるオマージュとして取り入れられた)日本編の「ちょっと誤解された描写」感を含む007的殺陣シーンなどは踏襲され、省略されたのはそれ以外の部分だ。
劇場版はSFとしては肝心な「魂あるいは意識とは何か」という問い掛けについては明確な答を返していないが、実のところ円城塔もこれについては漠然とした可能性を示したのみに留まり、それ以上踏み込んではいない。それが「よくわからなかった」との印象に通じているものとは思うが、この半ば哲学的命題はそもそも「問うことに意味がある」のであって、その答えを考えるのは読者/視聴者に委ねられているとも言える。もしかしたら伊藤計劃ならばそこに何か結論を出してみせたのかもしれないが、それを描かぬままに亡くなった以上は誰にも解らぬ話だ。
……といった風に見ると、(「円城塔との合作としての」原作再現性という点では不満があるとしても)これはこれで意外に伊藤計劃のエッセンスを引き継いているのではなかろうか。