塔の諸島の糸織り乙女

ずっと書籍化されるべきだと思っていた作品がとうとう書籍化されたので紹介する。
kakuyomu.jp

渡来みずね「塔の諸島の糸織り乙女」は、王国辺境の離島で(このあたりではそこそこ裕福な)仕立て屋の子供として生まれてきた少女が、のほほんと数奇な運命に巻き込まれてゆく、のんびりスローライフ転生ファンタジーである。

物語は主人公スサーナさんが6歳にして前世の記憶をなんとなく思い出したりするあたりから始まる。
おおおこれが異世界転生……と早速知識チートなどを試みるものの、この世界はこの世界なりにちゃんと技術文化が発達しており大抵のものは既にあるか、あるいは見当らぬものは環境に合わないから発達しなかった感じであり、ぜんぜんチートできない。
けれど実はチートは転生ではないところにあって──

どうやらこの世界に於いて魔法の権能を振るう血筋である「鳥の民」の血を引くらしい彼女は、そうと知らずに彼らの使う「糸の魔法」を発動させてしまう……のだが、だからといって魔法の力で無双するようになるわけでもなければ、逆に魔法の使い手であることがバレて周囲の扱いが激変するというわけでもない。
相変わらずのほほんとお人好しな彼女は、主に頼みを断り切れなかったり見捨てられなかったりで色々な面倒ごとに巻き込まれ、そのたびに少しづつ人脈を広げ、その立場を変動させてゆくことになる。

……スサーナさんに本当にチートな能力があるとすれば、その天性の人たらし能力かも知れない。

客観的に見れば美少女と言って差し支えない容姿で、その上によく気が回り温和な性格、しかも理知的(まあこれは前世の記憶というアドヴァンテージもあるにせよ)と、好かれるに十分な要素を備えている。ついでに仕立屋の家で修行を積んできたので裁縫ごとも得意で、また食いしん坊な(というか時折迫り来る前世味覚への希求がある)ので調理にも積極的、いわゆる「家庭的な女性」像との一致度も高め。
しかし当人は「この世界では忌まれる」黒髪であることや自身の出生、それ以上に幸福だったとはいえない前世の影響から自身の価値を低く見詰もる傾向があり、それゆえ他人からの好意には極めて鈍い。
……まあ記憶だけは成人であるため、同世代の子を歳相応の相手と見るのは難しいという面もあるのだろうけど。

そういうわけで彼女には複数のハイスペック男の子たちが密かに恋情を寄せている。だけどそれで甘酸っぱい雰囲気になるかというと……彼らの気持ちにはまったく気付かない彼女はそれを単なる親切、もしくは自分以外への情と考えており、みんな「仲の良いお友達」としか思っていない。そのすれ違いぶりにあらあらうふふするのがひとつの楽しさである。

なおスサーナ自身の好意とベクトルがきちんと向き合っているたぶん唯一の男性は、この世界で畏怖の対象とされる長命種「魔術師」の一人にして、彼らを束ねる十二塔の一人、医療を修める「第三塔」の主なのだが、これはこれで「世話の焼ける幼子/家族以外の安心できる保護者」ぐらいの感覚であって恋情とは程遠い。
こちらは冷静で超有能な「保護者」とその庇護下にある小動物の如き幼子、という組み合わせで、これはこれでにっこりできる。



人間関係だけではなく、この世界に対する描写の豊かさも、本作の魅力のひとつだ。

塔の諸島では島の周りの海が雲を呼ぶために初夏になると雨が増える。
 さあっと雨が降っているのを眺めながら、スサーナは中庭を囲む回廊をてちてちと歩いていた。

 中庭に植えられた植物たちは気合を入れてわさわさと成長し、ささやかな林めいて空を遮りだしている。雨の粒が葉を打つ音がちょっとした楽器のようだ。

春と夏の合間、一番気候のいい時期のよく晴れた昼、戸外のあずまや。
 梁に絡むオールドローズは今や満開に花を咲かせ、まるで甘い香りの飛沫を立てる白い清楚な花の滝のようだった。

 木製のベンチに厚くクッションと絨毯を敷いて、白い石の丸テーブルを囲んで上品に座った少女たちが五人。
 彼女らの前にはそれぞれ茶がサーブされ、繊細な白い皿の上にはそれぞれ薄く上品な形にこしらえた、生ハムと塩気のある硬いクリームを挟んだ薄切りの発酵パン。

こんな風に情感たっぷりに描写されてゆく。ちょっと海外の児童文学めいた趣きさえ感じるが、明るい場面だけではなく、時には海賊市のような些か薄暗い社会なども描かれ、楽しい島暮らしだけでは終わらない可能性も示唆される。

特に、しばしばチート可能性を探るスサーナさんの視線は、この世界の文化、とりわけ家業の服飾や当人の興味が強い料理を重点的に描写する傾向がある。
たとえば……

 ほにゃんと顔が緩んでしまう。さくさくとした糖衣の中にたっぷりの果汁がじゅわっと染み出してくる歯切れのいいスポンジのようなものが入っている。
 なんだろう。柑橘の皮かな。スサーナは口の中でもごもごと味を確かめる。
 確かに鼻にすうっと抜ける甘い香りと味は柑橘の精油のものだ。レモンの皮にしては妙にふわふわしっとりして厚いけれど。

これはざぼんのようなアルベドの厚い柑橘を砂糖煮にしたものの描写だが、料理については万事このような感じで読者の食欲を刺激する。
「食べ物が魅力的なファンタジーは名作」と言ったのは誰だったか、たしかに食は文化の基底であり、およそ人間が存在する限りどんな世界であれ通用するだろう分野だから、ここを手厚く描写できる作品は、書き手の中に確りと世界が構築されているのだろう。

書籍はひとまず1〜2巻同時発売、カクヨム版でおよそ60話ほどを収めるが、現在のところ連載は320話ほどまで進んでおり、たっぷり10巻は刊行可能な分量が既にある。続きを楽しみに待ちたい。