タイムスケール格差

原発問題には実に様々な要素が絡んでくるが、その一つがタイムスケールの食い違いなんじゃないかと思う。


原発は耐用年数40年と言われる。場合によって60年程度まで延長することもあるようだ。また廃炉となっても、30〜50年程度は炉内の強い放射能が減少するのを待たねばならない。つまりできてから70〜100年ぐらいはそこに「核物質」が存在し続けることになる。優に3〜4世代ぐらいが関わる話なわけだ。


しかし人間の行動タイムスケールというのはそんなに長くない。予測範囲としても普通1〜2年程度、10年後ともなると極めて限定的な範囲でしか予想し得ない。あるいは「責任の及ぶ範囲」を考えてみても、自治集団に重大な影響を及ぼす決断を下す立場の人物が、継続的にその立場を維持するのは恐らく10年前後だろうと思われる。つまり、「100年影響するものを10年以内の思惑で決定している」わけだ。
いやまあ原子炉に限らず建築物というのは数十年以上のスパンで残るものだし、インフラの類ともなれば100年を越えて維持されるのも珍しくない。それを10年以内の範囲で決定している点では何も違いなく、要するに文明の社会活動とはそういうものなのだが、他方このタイムスケールのずれが「望まぬ不利益」を生じている面も否めないとは思う。


……といった点を指摘してみたところで何の解決策もないわけだが。まあ精々、原発については「廃炉しようにも数十年かかる」問題は結構重いと考えるべきことを述べるに留め、後は……そうだな、例えば「平均寿命が極端に延びて100年スパンで考えられる人類」の登場を待ってみるか。その前に原発を代替できてしまいそうだが。