公害訴訟のディレンマ

ちょっと暴論を含む話。


公害訴訟などで、全体としては因果が認められても個々の事例として認定が下りないという話はよく耳にする。
無論それには「症状が弱く補償の対象外」「関係性がはっきり立証できない」「便乗しただけで無関係」などの事象も多く含まれるのだろうと思うが、客観的には明らかに対象範囲であっても外される事例も確かに多いようではある。
その原因が、癒着にあるのではないかという指摘の声も。


津田が水俣病の経緯を調べてみると、官僚と学者の異常な関係がゾロゾロと出てきた。政府に協力的な主張や研究を行う医学者や法学者に国が巨額の研究費を与えていたり、政府側の医学専門家が破格の昇進をしていたり??。一方で水俣の住民や患者を現地調査し、その結果から水俣病の認定はおかしいと主張する医学者たちには一銭も研究費は与えられず、主張も一切無視された。
これ自体が立証可能かどうか、など思うところはあるものの、「可能性としては」否定できないところだ。


公害訴訟ではその性質上、影響範囲がかなり広く取られる。落命や深刻な後遺症などにはそれに見合っただけの補償が為されるべきであるから少なく見積っても一人あたり数百万、場合によっては億単位×認定患者/故人数の支払い額となってしまう。これは被告としては極めて大きな打撃だ。100億単位の話ともなれば会社ひとつ潰しかねず、国レヴェルでも決して安からぬ額になる。
となると、そこには出費を抑えるためのインセンティヴが生じる。例えば100億の出費が、10億の賄賂で1/10になるならば、合計として80億を浮かすことができる。
つまり、(変な話なのだが)影響が深刻であればあるほど、裏工作のインセンティヴは高まるし、工作資金も潤沢になってしまうわけだ。
原告がこれに対抗するのはなかなか難しい。人数が充分に多いならば少額を出し合って左遷された研究者を支援する方法もあるが、1万人集まって10万づつ出資しても漸く10億。実際には普通原告集団はもっと少ないし、働き手を失ったり介護や治療あるいは弁護士の雇用に多額の費用がかかったりする中での工面はなかなか厳しいだろうから、頑張っても1000万程度が関の山。その上、直截的にスポンサーになってしまうと研究者が公平な第三者でなくなってしまうという問題もある。


このような体制が実際に存在しているのだとして、それを本気で打破しようと考えるならば、公害を証明し個々の被害者の因果を証明することに大きなインセンティヴを得る研究機関が独立に存在しなければならない。変な喩えだが、米国の弁護士がしばしば「補償金のn%の成功報酬」などの形で仕事を受けるように、個々の認定患者から成功報酬を受けるような方式の調査機関とか。
もしくは、集団としてのインセンティヴと個人のインセンティヴが相反しないような体制というものを考えるか。「ここで個人的に賄賂を受け取るよりも、それに荷担せず全体の利益を追求した方が、結果として自分の利益になる」という状態であれば、そもそも賄賂は機能しなくなるのだが。


もし現状でも可能な方法があるとすれば「訴訟額を極めて小さくする」ことぐらいだ。そうすると工作費用がかなり小さくなってしまうため、広範囲に睨みを効かせるような手法は取れなくなる。結果として疫学的に正しく認定が下りるという「前例」ができた方が、全体としては幸福なのではないかとさえ思う。ただ、こちらにもまた「全体と個人のインセンティヴ乖離」という現象が等しく働くがために、そのような状況は生じ得ないのだが。