干渉

レイアウトパターンとか写真の選定というのはデザイナーの職分であって、それに合否を出すのはクライアントの役割ではないのか。なんで営業が「この写真下切って空白にして」とか「この写真家庭的なイメージに差し替えて」とか指示するのだか。
どうもこの人達はデザイナーとオペレーターの区別がついていないのではないかという気がする。指示に従ってアプリケーションを操作するために居るわけではないのだが。

禁酒ファシズム

数日前にブックマークでちょっと注目されたほろ酔いでいられるお酒の量に関する言及を覗いていたら、こんなエントリが。

どうやらアルコールの存在そのものを認めたがらない方らしい。私の「適量」を調べてみましたが、ビールだと1リットル以上にもなってしまう計算でした。こんなに飲んだら、「ほろ酔い」ではなく泥酔とあるところを見ると、きっと体質的に酒に弱い人で、今までそのことで厭な思い出もしてきたのだろう。
日本の社会では(こと男性は)酒が飲めないと色々辛い部分があるようで、そうした飲酒強要は「アルコール・ハラスメント」とでも言うべき問題である。こと飲み過ぎれば死に至ることもあるという点を考えれば、他人への強要は決して許されるべきではない。
しかし、自分が呑めないからといって他人にまで禁欲を強いることはあるまい。


そもそも、アルコールの危険性についての認識自体が過剰反応に思われる。
アルコールは確かに過剰摂取により依存性を発揮する薬物ではあるが、ニコチンや麻薬類と違って習慣性は決して強くない。アンケートで示されているのは薬物としての依存性ではなく精神的依存性、即ち「愉しいことは止められない」類いのものである。この論に則って飲酒を弾圧するのであれば、同様にギャンブル、ゲーム、果ては映画や音楽などすべての娯楽が禁じられるべきということになる。
尚、軽い酩酊による感情の解放とそれによるストレスの軽減は、ある種の治療効果として評価されるべき点であるとも申し上げておこう。「毒を以て毒を制す」ではないが、薬効成分はどんなものでも過剰摂取すれば毒である(薬物に限らず、全ての物質には致死量がある)。少量でも危険なものだけが有害指定を受けるべきなのであって、アルコールは(体質により個体差があるが)その範疇にない。


また、酒は煙草に比べ遥かに歴史の長い嗜好品であり、文化的背景を持つものでもあるから、これを社会的に禁じることは望ましいあり方とは言い難い。実際、禁酒法が施行された時にも実質的にそれが遵守されず、巨大な地下市場を生み出してしまったことなどを鑑みるに、却って弊害を生じる可能性が高いと言えよう。

開拓者といっしょ

最早太古の昔から定番ゲームとして君臨していたかのような印象すらあるカタンであるが、考えてみれば10年前に登場したゲームなわけで。てことはほぼ日本に輸入されたのと期を同じくしてカタンをプレイしていたわけか。
その時期が丁度RPGからボードゲームに目覚めて行った時期であるというのは、社会的にRPGの衰退とボードゲーム復権が始まった時期だったということなのかも知れない。良く解らないが。
でも正直、私自身はあれを凄く面白いゲームだと思ったことはなくて、事実今では物置に仕舞い込まれたまま殆ど引っ張り出されていない。それは多分、カタンが他プレイヤーとの協力という観念の薄いゲームだからだ。
カタンは基本的に手札マネジメントゲームであり、その入手は運に、調整は交渉に委ねられている。私としてはちょっと運の要素が強すぎるというか、他人と協調しながら頭一つ突出を狙うディレンマがないというか、今ひとつカタルシスにかける感じがして好きでない。
個人的なお薦めはBassari(バザリ)。宝石を売買する商人のゲームだが、運と読み合いと交渉が1/3ぐらいの適度なバランスでミックスされており、ライトゲーマーからヘヴィーゲーマーまで楽しめる良質なゲームだと思う。
機会があれば幾つかゲームを携えてはてなに遊びに行きたい。