ネタバレになるので、ひとまず既に発表済の伊藤計劃遺稿分のみ。
→目次
プロローグ
I
- ウェストコート
- 三つ揃えのスーツに於いて上着の下に着る袖なしのベスト。→Google:画像:ウェストコート
- ウェイクフィールド
- 英人名だが、1878年当時に20歳前後となる著名人に該当なし。現実とのリンクなしか。1888年生まれの怪奇小説家ハーバート・ラッセル・ウェイクフィールド、あるいは1835年発表のナサニエル・ホーソーンの小説に登場する「20年間行方をくらませた男」?いずれも年齢は合わない。追記:「ディファレンス・エンジン」に定量犯罪学担当次官としてアンドルー・ウェイクフィールドなる人物が登場する。作品の性質上オマージュの可能性は高そうだが、19世紀中頃時点で既に初老のようで、こちらも年齢は合わない。
- 黄燐マッチ
- 「どこにでも擦って着火できる」マッチとして頭薬に発火性の強い黄燐を用いたマッチ。1830年に発明されたが、自然発火事故が多く、また黄燐に毒性があるため赤燐マッチに置き換わっていった。
- 石炭瓦斯
- 石炭を蒸し焼きにし製鉄用のコークスを得る過程で副次的に発生するガス。水素及びメタンを主成分としており、ガス灯に利用された。
- ケンブリッジ
- 地名だが、ここではケンブリッジにある世界有数の大学を指す。1209年にオックスフォード大学での学生と住民間の摩擦から大学が一時解散、この地に逃れた研究者らを中心に設立された。最多のノーベル賞受賞者を輩出。
- ロンドン大学
- 総合大学であるオックスフォード・ケンブリッジと違い、市内複数のカレッジに学位を授与する機関として発生した、複数のカレッジを束ねる連合大学。設立は19世紀半ばと、この時点では新進校ということになる。
- ジャック・セワード教授
- ブラム・ストーカー作「ドラキュラ」に登場する、ヘルシング教授の教え子にあたる医師。
- タイムズ
- 世界最古の日刊新聞。1785年創刊。保守系の高級紙と目される。
- デイリー・テレグラフ
- 1855年創刊の大衆紙。タイムズよりもゴシップなどが多く平易。
- 骸泥棒
- 史実にある事件としては、1827〜28年にかけエディンバラで発生した、解剖実習用の遺体調達のために行なわれた遺体盗掘及び連続殺人事件(通称「バークとヘア連続殺人事件」)が近い。1945年には「ボディ・スナッチャー」のタイトルで映画化されている。また、伊藤計劃が大きく影響を受けたコナミのアドヴェンチャーゲーム「スナッチャー」も想起される。
- 屍体再処理状
- 屍体を埋葬せず工業利用することを許可するもの。この後の記述から見て、生前の同意なく死んだ者の屍体は再利用されず埋葬されるようだ。
- ピカデリー
- ロンドン中心街の、商店の立ち並ぶ大通り。
地図:ピカデリー - 乗合馬車
- 決まったルートを定期運行する大型馬車。オムニバスとはラテン語で「すべての人のために」を意味する語であり、ここから「バス」という単語が生じた。「(屍者が)オムニバスを引いてて」とあるが、IIの描写から見て屍人力車ということではなく御者と思われる。
- ロンドン市長
- ロンドンはイングランドの首都だが、中心部の1マイル四方はThe Cityと呼ばれる独立した自治体で、ロンドン全体の市長(London Mayor)とは別に名誉職としてのLord Mayorが置かれる。ここでの市長がルビ通り後者を指したものかどうかは不明。
- ロンドン警視庁
- 所謂スコットランド・ヤード。スコットランドの名を冠して呼ばれるがスコットランドを管轄下に置かない。The Cityを除くロンドン全域を管轄する。
- スペクター
- 幽霊のことでもあり、「魂」の有無を分かつ物質「霊素」のことでもあり、また007シリーズに登場する犯罪結社のことでもある。
- キャンバス地
- 帆布。主に亜麻の繊維から成る厚く丈夫な粗布。
- 霊素の重さ
- アメリカ合衆国マサチューセッツ州の医師ダンカン・マクドゥーガルの実験による。「人が死ぬと平均21gの重量損失が生じ、犬では生じなかった」つまり動物に魂はなく、人間だけに在るという主張への裏付けである。なお史実では1907年の発表だが、この世界では恐らく別の人間が既に実験済ということだろう。
- ガル・マップ
- 18世紀ウィーンの開業医フランツ・ガル提唱の「骨相学」に依る頭蓋測定からの脳機能マップ。→画像:Wikipedia:骨相学
- ルクランシェ電池
- 1866年、フランスの電気技師ジョルジュ・ルクランシェ発明。二酸化マンガンと塩化アンモニウム溶液の反応を利用するもので、湿式ではあるが現在のマンガン乾電池と基本構造は同一。当時の電池の欠点であった分極作用による電極周辺の水素気泡発生が正極の二酸化マンガンによって還元され、内部抵抗の上昇が抑えられて安定した電圧を供給する。
- エイブラハム・ヴァン・ヘルシング教授
- ブラム・ストーカー作「ドラキュラ」の主人公であるヴァンパイアハンター。ここでは吸血鬼に関する民間伝承をまとめた精神科医とされる。
- フランケンシュタイン
- かの「フランケンシュタインの怪物」を作り上げたとされるスイス人科学者ヴィクター・フランケンシュタイン博士。
- フランケン
- 疑似霊素を上書きした屍体に対する、この世界での呼称。
- メスメル
- 18世紀ドイツの医師フランツ・アントン・メスメル。生体内に磁気に類似した流れが存在し、これが乱れることによって病が引き起こされると考えた。
- インゴルシュタット
- ドイツ南部バイエルン州の都市。1472年設立のインゴルシュタット大学が存在したが、1826年にミュンヘンへ移転した。
- パンチカード
- 厚紙に開けた穴の位置でデータを符号化したカード。元はジャカード織機の模様を設定するために考案され、その後最初の汎用コンピュータとされるチャールズ・バベッジの解析機関構想に取り入れられ、また米国でもタビュレーティングマシンとしてパンチカード読取集計システムに採用された。
- ガルヴァーニ
- イタリアの医師(1737-1798)。カエルの解剖中に生じた筋肉の挙動から電気生理学の端緒を開き、また史実ではこの後アレッサンドロ・ボルタによる最初の電池発明の契機となったが、ここではガルヴァーニ自身が電池を発明した扱いか。
- グローバル・エントレインメント
エントレインメント(entrainment)とは心理学系の用語で「同調」のような意味があるらしいが、詳細は不明。伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』全ページ感想ツイート - Togetterまとめに於いてこのページが紹介されていた。そこから辿るに、どうやら「脳神経系、身体、環境が強く相互作用し、その結果として運動が自己組織的に生成される」制御系らしい。- 不気味の谷
- ロボット工学者である森政弘が提唱した概念。人間に似せた人工存在に対する心理的反応として、全く人に似ない物から完全に人間そっくりなものへと向かう好感度上昇曲線に於いて「完全に人間」の手前に強い嫌悪感が生じる現象をいう。「人に似て非なるもの」は「似ていないもの」よりも異質さを際立たせる。
II
- ランドー
- 御者席の後ろに4人が向かい合って座る箱型客室を持つ、2頭立て4輪の馬車。参考→Landau/ランドー|馬車屋ドットコム
- ハンサム・キャブ
- キャブリオレを英国の建築家ジョゼフ・ハンサムが改良したもの。御者と並んで座るキャブリオレと違い、御者が座席後方に立ち乗りするスタイルで2人座れる。→画像
- キャブリオレ
- 1頭立て2輪の馬車。座席は2人乗りで、御者と相乗りのため客は1人しか乗れない。
- ブルーム
- 御者席の後ろに2人乗りの箱型客室を持つ4輪馬車。画像→Wikipedia:Brougham
- ハー・マジェスティ
- 英語に於ける敬語表現。日本語でも「陛下」など敬称に下の字が入るものは直接の呼び掛けを畏れ多いとして「その下に控える人に取り次ぎ願う」ものだが、英語でも同様に直接の呼び掛けではなく、その「威厳・権威」を代名詞に使う。
- サブジェクト
- 主題、対象、主観、被験体などの意味と共に「国民・臣民」をも意味する。
- ネトリー
- クリミア戦争の後に、ヴィクトリア女王の命で英国南部サウサンプトン市ネトリーに開設された王立ヴィクトリア軍事病院のこと。軍医になるにはロンドン大での医学学位だけでなく、ここで軍医としての研修を受ける必要があった。
- メリルボーン
- リージェント・パークの南を東西に走る大通り。ベイカー・ストリートと交差する。
地図:メリルボーン - リージェント・パーク
- 庭園、野外劇場、動物園などを含むロンドン北部の自然公園。
地図:リージェント・パーク - ユニヴァーサル貿易
- 後の英国諜報員、“007”ジェームス・ボンドもしばしば身分の偽装に用いたペーパーカンパニー。
- 気送管
- 手紙類を専用の筒型容器に入れ、張り巡らされた管の中を空気圧で移動させる通信システム。多くは電報などを中心に建物内などで使うための短距離用だが、高圧で遠距離まで送る大型のものや、乗客を運ぶ気送鉄道構想もあった。
- マルティニ・ヘンリー銃
- 前装式からの改造だったスナイドル銃に対し、最初から後装式で設計された小銃。
- スナイドル銃
- 前装式だったエンフィールド小銃を後装式に改善したもの。後装式は立ち上がって装弾作業を行なわねばならない前装式に対し、伏せたまま装弾可能で射撃間隔が短かい利点があり、各国で競って開発された。
- 真っ赤な陸軍の制服
- こういうの→第53歩兵連隊(1845)
- グレート・ゲーム
- 中央アジアの覇権を巡る英露両国の軍事的駆け引きを、チェス・ゲームになぞらえてこう呼ぶ。この関係は19世紀初頭から20世紀初頭まで、実に100年に及んだ。
- 『M』
- もちろん、シャーロック・ホームズの兄であるマイクロフトだが、Mというコードは単純に本名の頭文字ではなく007シリーズに於ける上官のコードを意識したものでもあろうと考えられる。「いくつかの官庁で会計検査の仕事をしており表面上は下級役人だが、実際にはその卓越した頭脳で政府の政策全般を調整する重要なポストにある」とされる人物だが、ここではその重要なポストが諜報機関ウォルシンガムの主要メンバーという形になっているようだ。
- 弟
- シャーロック・ホームズ。Wikipediaに拠れば、丁度大学を出て開業したばかりの頃である。
- フランシス・ウォルシンガム
- 16世紀イングランドの政治家。私財を投じ諜報機関を運用、宗教的にも対立のあったスコットランドの謀略を暴き、女王暗殺を2度にわたり未然に防止。
- クリミア戦争
- 1853年から56年にかけ発生した大戦。凋落したオスマン帝国と、それを狙うロシアの間で開戦、ロシア側の一方的な「虐殺」が報じられたことにより国内世論に押される形で英仏がオスマン側につき、戦場は黒海からバルト海、カムチャツカ半島に至る広い範囲に及んだ。参戦各国合わせて数十万の死者を出し、これを契機としてナイチンゲールは医療衛生の改善に取り組み、ノーベルは爆薬の販売で財を成し、シュリーマンは戦争特需でトロイの発掘資金を得、どさくさに紛れてフェルディナン・ド・レセップスはエジプトからスエズ運河の建設許可を取り付けたという。