実験について

理科の楽しさは実験にあるのだけれど、理科を誤解せしめているのもまた実験であるかも知れない。


理科の授業で行う「実験」は、教師が予め答えを知っている現象について生徒に再現させる作業である。そこには「正しいやり方」「正しい答え」しかない。
でも本当の実験とはそのようなものではない筈だ。

実験の意義

実験とは「理論の実証」であり、あるいは「理論のためのデータ取得」である。
ある事柄について仮説を立てた時、その確からしさを検証するために「理論が正しければAのときa、Bのときbになる筈だ」といった予想を立て、実際にそれを再現してみる。何度か繰り返しても常に予想通りの結果になるようなら理論の確からしさが実証できる。
もしくは理論ができる前の段階で、同一条件下で特定の初期状態だけを変えて実験を繰り返し、「Aのときa、Bのときb……」というデータを沢山取る。これを解析すれば自ずと法則性が見えてくる。
どちらにも共通するのは「答えがわからないからこその実験」という点だ。

実験のデザイン

だから、実験は「こういう方法でやります」と言われた通りにやるのではなく、自分でデザインしなければ意味がない。
何が解っていないのか。何を知りたいのか。それはどんなものだと予想するか。その為に、どうやったら予想を確認するに充分なデータを得ることができるか。
検証内容と無関係なノイズを取り去る方法は。実験の失敗によるエラーデータと予想の間違いによる予期せぬデータをどうやって弁別するか。

結果の判断と考察

実験した、データをプロットした、だけでは単に「作業の終了」に過ぎない。実験はこれで終わりではなく、そのデータから何かを読み取り何らかの結論を付けてはじめて終わりとなる。
(理論が先行するなら)理論値と実験値を比較し、ばらつきが計測誤差の範囲内なのかどうか検討する必要がある。もし誤差を越える結果が出る(それも、何度実験しても再現される)ようなら、そこに計測値を狂わせる別の原因が存在するか、もしくは根本的に理論が間違っているか。


実験データから理論を導くのはもっと難しい。データに求められる厳密さが桁違いになるからだ。(この項巧く纏められないので、あとで書く)


いずれにせよ、実験というのは仮説を検証するための行為であり、用意された答えを満たすデータを出すためのものではない。算数でいうところの検算のようなもので、検算結果が出した答えと食い違うならどこかに間違いがあるのだ。
でも今の理科教育だとどうしても、予め答えが用意されていて、それに近い結果を出す=実験は成功、ということになってしまう。これは非常に拙いことなのではないだろうか。