「小説家になろう」などを中心に異世界ものを色々読んでいると、話の面白さとは別のところで「粗が目に付く」場合が少なくない。
基本的には物語の大筋には関わらない、重箱の隅をつつくような話ではあるのだが、実は意外に世界設定の根幹と関わってくるような部分が適当に扱われていると、細かい積み重ねが全体の迫真性を損うことにもなりかねないのではないかと思う。
以下はそうした「私が気になる」部分を列挙したものである。
単位
単位系は量を想像する目安として使いやすいため、意識的にせよ無意識にせよ慣れた単位を安易に使いがちである。しかし世界が違えば基準も違うのが当然であり、どうしても現世地球の単位系に寄せないと説明が難しいというのでもなければ、異なる基準単位を設定しておくか、あるいは単位には言及しないようにするのがいいだろう。
長さ
日本では一般的にメートル法が使われるが、これは元来「地球の大きさを計算し、子午線弧長(つまり「赤道から極までの長さ」)を一千万分割した長さ」を基準としたものである。従って異世界に於いてメートル法を基準とした距離単位、センチメートル・ミリメートル、キロメートルなどが存在するはずはない。
もちろん、「偶然にも」およそ1メートル程度の距離単位が採用されている……という可能性がないわけではないが。
現実世界の単位の中では、1ヤードが0.9mほどと比較的近い長さを持つ。が、副単位フィートとの関係性は1yd=3ft、更に副単位インチとの関係性は1ft=12inとなるためセンチやミリなどの単位とはまったく合わない。
伝統的な長さの単位はだいたい「身体尺」すなわち体の大きさを基準として決められたようなものが多い。たとえば「指先から肘まで」を基準とするキュビト、足の大きさに由来するフィート、他にも「太陽が地平にかかっている間に歩ける距離」に由来するスタディオン、などがある。
こうした単位は身体感覚にフィットして扱いやすい反面、基準が厳密でないために人によって、地域によって、時代によって単位が変動する扱いにくさもあり、商取引などの発達に伴い「どこの地域でも共通で使える明確な単位」が要求されるようになってゆくのだが、逆に言えば国際共通単位が協議されるような近代的時代性でもなければむしろ国によって違いがあるぐらいが普通ということでもある。
重さ
日本で扱われるのはグラム単位で、これは「水1立法センチメートルの重さ」が基準となっていた(正確には1リットルの重さである1キログラムの方が基準単位なのだが)。
異世界でも水は水として存在すると思われるので水を基準とした重量単位が作られても不思議ではないが、長さの単位が違えば基準となる体積も異なるため、グラムに近似した単位系が作られる可能性は小さい。
伝統的な単位系では1ポンドが450gほど、1貫が3.75kgなど単位がぜんぜん合わない。しかしこの400g前後の単位系はむしろキログラム単位よりも手に持った時の重量感とマッチするという話もあり、感覚的単位系としては相応しいのかも知れない。
重量単位は穀類の取引などに用いられるものが起源となったため、たとえば「麦180粒の重量」などが基準単位として用いられ、そこから「一定単位の穀類と等価で取引される量の貴金属」が貨幣として定量化され、同時に重量単位にもなったりしてきた。その名残りなのかどうか、たとえば日本の五円玉は1匁=3.75gなのだそうだ。
時間
時間の単位は地球の自転周期を基準に定められており、1周期=1日を24分割して「時」、60分割して「分」さらに60分割して「秒」が定められるが、異世界の1日が地球の1日と同じ長さであるとは限らない。24や60で分割されたのにはそれなりの理由があり、これは異世界でもそうなる可能性があるものの、必ずしもその長さが丁度良いとも限らない。たとえば江戸時代までの「一刻」は現代のおよそ2時間相当だったし、ついでに日の出と日没を基準に分割するため時期によって長さが変化した。
また1年が365日程度であるのは地球の公転周期がたまたまそうであったに過ぎず、1ヶ月が30日程度であるのも月齢の周期に合わせたものであって、異世界の1年や1ヶ月がそうであるとも限らない。
1週間が七曜であるのは更に理由がなく、単にバビロニア天文学で定めた天体の守護日が各地に伝わったに過ぎない。江戸時代まで日本は六曜だったし、五曜制や十曜制を採った地域もあった。もちろん「月」曜日や「日」曜日はまだしも、火や木などが曜日に使われるべき理由もない。
ところで時間の問題とは少し異なる話だが、実は地球に於ける月というのはなかなかに特異な存在である。主星たる地球のサイズに比して衛星である月が過剰に大きく、地上から見た時の視直径が太陽とほぼ等しいという偶然の故に、月と太陽の重なり具合によっては輝きを完全に覆い尽くせず「金環蝕」などが生じる。他の世界では、同様の光景が見られる可能性は低い。
数字
現在の世界では主に十進法が用いられているが、古くは十二進法も少なからず用いられてきた。今でも1ダース=12や1グロス=144などの個数単位はその名残りだし、1フィート=12インチなど長さの単位としても残存している。
言うまでもなく十進法は両の手指を折って数えたことによるものだが、10という数は分割しにくい。翻って12は4分割できるために(少なくとも10よりは)都合が良く、それもあって時間単位は12分割および10と12の公倍数である60分割を用いたのではないかと考えられる。つまり異世界でも(人類の手指が5本ならば)10進数と12進数が混在し、時間がそれらを基準に分割されるとしても不思議はない。
ところで数の進法は当然ながら物量の単位系や貨幣単位にも影響する。十二進法を基準とした数体系を持つ文化では12個がひとまとまりの単位となるし、通貨も12枚単位で両替されるだろう(そもそも桁の繰り上がりが10ではなく12ごとなのだから当然だが)。
とはいえ、必ずしも10や12単位であるとは限らない。日本は古くから十進法だが、通貨は金貨の単位である「両」の下は1/4にあたる「分」、更にその1/4である「朱」と十進数に沿っていない。銀貨は重量単位で使われていたため銀1貫=1000匁=10000分と十進数基準であり、「銭」の方は枚数で扱うために十進数準拠でありながら(少額貨幣であるため)しばしば紐に通して一定数をまとめて扱う習慣があり、100枚をまとめた「銭緡」はどういうわけか96枚1セットで100枚分として扱われる慣習があったそうだ。
翻って現代では、通貨単位はほぼ10進法に準拠しているが、両替単位は必ずしも1:10のみではなく、日本円では5円・50円・500円など半額通貨が存在するし、20ドル紙幣のように倍額通貨も使われる。
方位
方位は身体を基準としたローカル座標としての「上下前後左右」と、グローバル座標である「東西南北」が存在する。
このようなローカル方位になるのは、人間が重力圏内という「上下」のある場所に生息し、また移動方向である前後軸に対して左右で対称な構造を有しているからだ。これが水を漂うクラゲのような生き物だったら上下の別はあるが前後左右の区別はないし、重力のない世界だったら進行方向の区別による前後があるだけで上下左右がなくなるだろう。
グローバル方位が4分割であるべき理由はそれほど強くないが、「ある方角の逆」を示すために線対称構造ではあるべきだろうし、また均等分割であるべきとは思われ、従って5方位や7方位は使われにくいと考えられる。
まあ現実問題として「東西南北」の4方位以外の方位を作ると、それを示すための語を当てる必要に迫られるため描写も読解も困難になるという事情もあり、こればかりは現実と同じ4方位を継承するのが妥当だろう。
言葉
当然ながら異世界で現実世界の言葉が使われているはずもないが、作者も読者も現実世界の言葉しか理解できないのだから、ある程度は「翻訳」と考えれば飲み込める。もちろん「明らかに異世界にはないもの」に由来する言葉の使用は避けた方が良いが、そうとは意識しにくい言葉も少なからずあり、切り分けは容易ではない。
むしろ単語そのものよりも、「異世界の語にはないはずの概念」が使われる方が雰囲気を壊すだろう。たとえば等級を示すのに「一等」や「特級」などはわかるが「S級」のような使い方は「そのSってなんだよ」という気分になる。それよりは「金/銀/銅」などの方が相応しかろう(異世界でも金属の希少性評価が同じなのか、という別の疑念は持ち上がるものの)。
逆に言えば、そういった部分に「現実世界とは違う」概念の適用を演出できれば、それだけで異世界感をぐっと高めることができる。
もちろん転生ものなどでは、主人公視点に限れば異世界にない概念を用いても問題はない。しかし他のところでは使われないよう、切り分けが必要になる。