「スマートウォッチ」に何を望むか

率直に言って、AppleWatchは欲しくならなかった。理由はまあ色々あるが、結局のところ「それがもたらす素敵が思い描けない」に尽きる。
翻って、ならば私は「理想的なスマートウォッチ」に一体何を求めるのか、を考えてみた。

現状、携帯情報機器としてはスマートフォンがほぼ完璧な仕事を成し遂げている。既にその能力はPCに迫るものがあり、「画面を広く取れない」こと以外ではほとんど不足ない能力を持っていると言ってよい。また画面サイズに関してはタブレット機によって対応可能であり(代わりにポケットに収まる携帯性と本体を直接耳に当てる通話はスポイルされ、よりPCに近い位置付けになるが)その方面でも死角がない。
翻ってスマートウォッチは、腕時計という形態を取る以上どうしても広い画面を持つことはできず、また処理能力的にもバッテリ容量的にも不利がある。いきおいスマートフォンの機能はどうしても補助的なものにならざるを得ない。
つまり、

  1. 多くの容量を必要としない
  2. 複雑な処理を必要としない
  3. 狭い画面内で必要充分な情報を表示できる

範囲に機能を絞る必要がある。

ところで「スマート」てなんなんだ。スマートフォンはスマートでないフォンに比べて何がスマートなのか。ウォッチの場合どうなのか。
ネットに繋がればスマート、というわけでもない。アプリがインストールできればスマート、というわけでもない。
スマートってなんだろう。

いきなり根源的な命題になってしまったが、実際のところ「時計を越えた何か」というのはなかなか難しい問題なのだ。時間表示のみならずカレンダーや予定表、メモや録音程度は携帯電話の普及よりも前に実現している機能だし、スマートフォンとの連動機能にせよ着信お知らせや天気・交通情報の表示などはiOSで言えば「通知センター」あたりで集約表示できているもので、それをスマートウォッチに出したところで精々「スマートフォンを取り出さなくてもいい」程度のものにしかならない。その一手間はスマートウォッチによって短縮すべき代物なんだろうか。
スマートフォンでは為し得なかったものとして、「表皮に接触し続ける」装着状況を利用した脈拍などのヴァイタルセンサは有望筋だと思うが、わりとスポーツ寄りの機能であってそれほど必要性が高いわけでもなく、また既にハートレートモニタなどで実現済という点では目新しさに欠ける感も否めない。いやまあ別に単体機能としての目新しさが必須というわけでもないのだけれど、少なくともそれを「スマートウォッチという形で日常的に身に付けることで得られる新しさ」は必要なわけで、それが見えないのは確かだ。

結局のところ、現時点でのスマートウォッチは「スマートフォンの補助機器でしかないが、その必要が薄い」という実に微妙な立場に立たされている。──現時点では。

ところでスマートフォンは既に限界が見えてきている。携帯という特性上あまり大きくできず、指で操作する関係上あまり細かくできず、少なくとも片手利用ではiPhone4S〜5Sあたりがひとつの完成形だった。最近の大型化傾向はニッチを埋めるものとしては意味もあるが、片手利用できなくなってくるとタブレットとの境がなくなってくる。単純性能は向上したものの携帯性は落ち、手軽ではなくなりつつある。
「広い表示領域」と「携帯性」を両立し得るデザインの終端は「電脳メガネ」だろう。視界に直接情報を描くことで物理的な小ささと視覚的な大きさを両立できる。常に装着する機材としては軽く薄く作ることが求められ、それは処理性能と稼働時間に対する障害となるが、これに関してはある程度解決策がある:たとえば処理系を分離して有線または無線でデータだけ送るようにするとか。それこそ胸ポケットに入れるスマートフォンサイズの機器が担うのでもいい。
が、これにも些か問題はあって、それが「操作方法」だ。物理キーを持たない電脳メガネは「視界内に投影した仮想キーボードを打つ」などの方法で操作するイメージがあるが、それだと物理フィードバックが得られないのであまり操作しやすくはないだろう(レーザー投影キーボードなども実在するが、あまり良い評価は聞かないし)。
あるいはジェスチャなども可能ではあるが、何もない空中に手を上げて操作するということ自体が疲れる行為であり、長時間利用するインタフェイスとしてはいまいち好ましくない。
ならば物理的な操作端末を別に用意すればいいのではないか。そこでスマートウォッチだ。

たとえばベゼルをぐるぐるなぞるとスクロールするとか、上下左右をタッチして方向制御とか。文字入力もフリックぐらいは対応できる。そういう片手タッチ操作デヴァイスとしてのスマートウォッチ、というのはどうだろう。
もちろん、加速度センサ/ジャイロセンサがあれば装着側の腕を動かしてのジェスチャ操作だって可能なので操作範囲はかなり広がる。
またメガネでは対応しにくい操作として例えばNFCのような接触距離通信をスマートウォッチが分担したり、視界と分離したアングルのカメラ(たとえばFaceTime用の自分撮り)として使うなども考えられる。もちろん心拍数などのヴァイタルセンサーはメガネよりもウォッチの方が向いている。

というわけで、現状私の考えるスマートウォッチの結論は「スマートフォンの補佐としては不要」「電脳メガネの補佐としては極めて有効」である。


ところで時計というのは従来から、時間を表示するだけの道具に留まらず多分にファッションでもある。少なくとも懐に入れておく携帯電話と異なり見えるところに装着する分だけ「見栄え」には拘らざるを得ないし、また服装に応じたデザインが求められてしまう。フォーマルな装いとカジュアルな装いが一本で対応できるとは限らないし、服の色などによっても変えたい部分はあるだろう。文字盤部分は変えようがあってもベルトはなかなかそうも行かないし、ベゼルのデザインは尚更だ。
となると数本を状況に応じて使い分ける必要がありそうだ。当然ながらどのスマートウォッチでも普段使っている端末と問題なく同期できねばならないし、また1社の製品で賄えるデザイン範囲はそう広くないから、各社の製品を好みに応じ利用するのが適切だろう。従ってスマートウォッチには共通の規格が策定されるべきだし、対応してさえいればどのメガネでも操作可能になるべきだ。当然ながらウォッチ本体の固有機能は文字盤の見栄え変化ぐらいに留め、それ以外の拡張機能はすべてメガネ側が担うのが宜しい。
そういう未来を期待している。