「地震雲」は、数ある地震前兆現象(と称する何か)の中でもとりわけ根強いもののひとつである。Earthquake cloud - Wikipediaによれば6世紀末には既にインドで「地震雲」という概念が成立していたようだ。更に遡ること500年、1世紀ローマではプリニウスがヴェスヴィオス山噴火についての記述中で地震の前兆としての雲について触れているこれは「前兆としての雲」というより噴煙についての記述と見られ、たしかに地震に伴う現象ではあるだろうけど地震雲ではない。恐らくはそれよりも昔からずっと、「雲で地震がわかる」という考え方はあったものと思われる。
ところが、不思議なことに現代に至るまで、地震雲の存在が明確になったことはない。何故だろうか。
統計から地震雲を見る
地震についても気象についても、何十年もの間観測が行なわれている。昔から雲と地震の関係についての説があるぐらいだから、これらのデータを使った関係性調査が行なわれなかった筈はないのだが、実際に関係性が見付かってはいない。
統計調査というのは便利なもので、原因がわからなくても関係性を見ることはできる。例えば1848年ロンドンでの、コレラ流行の原因が汚染された水源にあると突き止めた調査は統計手法によるものだが、細菌の存在が確認されたのはそれから30年も後の話であった。
同様に、雲と地震に関係があるならば(それがどういう仕組みによるものかは判らなくとも)必ずデータに現れる。例えば震源から○Km以内に必ず特定パターンの雲が発生しているとか、ある種の雲が発生してから○日以内に地震が発生するとか。
しかし、実際にそういう形で関係を証明できるデータは何一つないのだ。
ということは、地震と雲に関係があるという考えには首を傾げざるを得ない。
まあ統計調査については「不思議なことに今まで誰一人として研究してみたことがないのでデータがない」という可能性もないではない。ほとんどあり得ないとは思うが、断言はしないことにしよう。
理論から地震雲を見る
次に、仮定から論理的に地震雲の実在可能性を考えてみたい。
そもそも地震雲とは何か、ということを考えるに、以下の条件を満たすものということになるだろう。
単に「地震に伴って生じる雲」ならば地震発生より後に雲が生じてもいいのだが、あくまで前兆として語られるものである以上は地震よりも前に生じることが地震雲の要件となるだろう。
見分け可能であるというのも重要なポイントで、これがなければ地震雲なのかそうでないのかを語ることがそもそも不可能になる。
最後の「予知可能性」については、必ずしも地震雲の要件とは言えないのかも知れない。ただ、予知可能でないのだとすれば地震雲について語る意味がなくなる。「いつかどこかに訪れるとわかっている地震」というのは何も言っていないのと同じだ。
さて、「地震の発生時期、場所、規模との間に明確な関係性がある」を考えてみる。
「明確な関係性」というのは、要するに「地震雲が発生すれば必ず地震があり、地震が起こる前には必ず地震雲が発生する」ということだ。
今のところ私にはどの雲が地震雲だか判らないので「雲が出た後に地震」を調べることはできないが、逆はできる。つまり、「雲が出ていない状態の後に生じる地震の空白」だ。
雲ひとつない青空の日というのは割と頻繁にある。日本列島上空にひとつの雲もない日というのも年に数回以上発生している。ということは「地震のない日」がある筈だ。しかし実際には地震のない日というものはなく、雲と地震が連動しない。
……まあ「弱い地震では雲が発生しない」と仮定すれば、とりあえず雲のない日については説明が付かないこともないかも知れない。それには「快晴の日の一定期間後には必ず弱い地震しかない日がある」ことを調べる必要があるが、ひとまず置いておこう。
つぎに、雲の位置を考える。
どのようなメカニズムであれ、雲が地震によって生じるのであれば、まずその発生位置は震源を中心とした円状の範囲になり、震源から離れるほどに薄れると考えるのが妥当だろう。従って「震源地から見えないほど遠い雲」は恐らく前兆ではないということになる。
雲の見える距離というのは、だいたい視線の角度30度ぐらいのところだと高度の倍程度の距離で見える。上空10kmの雲なら20km先まで。地平線の彼方まで見渡せるなら数百km先でも見えるが、現実的には恐らく数十km程度の範囲が限界だろう。大雑把に言えば、震源地の隣県よりも離れることはない、という感じになる。東北の地震に起因する地震雲があったとしても、南関東から見えるようなことはない。
見分け方から地震雲を見る
さて、最後に見分けについて考えよう。それには「地震雲ならではの特徴」を知る必要がある。
そもそも、巷ではどんな雲が地震雲と見做されているのだろうか。
地震雲とはどんなものか(Webアーカイヴ)では主に帯状/筋状の雲、及び空を二分する雲。雲によって方角指定あり、距離指定なし、時期指定なし、規模指定なし。また月の色など雲以外の現象にも言及。
地震雲のかたち・種類 - 地震雲掲示板ではその他に丸い雲や曲がった雲も。雲によって方角指定あり、距離指定なし、時期指定なし、規模指定なし。
*【地震雲】を信じますか* ( 気象学 ) - *small happiness* - Yahoo!ブログではTV放映されたものと思しきキャプチャ画像にて、筋状・帯状、波状・放射状、直立型・竜巻型、固まりと紹介され、それぞれに時期指定がある。距離・方角、規模については不明。
……こうして見ると、まず共通見解の少なさに驚かざるを得ない。結局どの雲が地震雲でどれがそうでないのか、それすらよく判らない。
まあ主に「直線的な雲」「等間隔に並んだ雲」「縦になった雲」「それ以外」ぐらいの感じだろうか。
これらが地震でない雲と見分けられるかどうか、が問題である。
直線的な雲
普通の雲の中で、直線的な雲といえばまずは飛行機雲だろう。「地震雲」で画像検索してみた中には明らかに飛行機雲や、それが崩れたものと思われる雲が散見される。
飛行機雲は「飛行機が飛んだ直後だけに現れる」わけではない。「エンジンの出す排熱/水蒸気や翼が風を切ったことによる気圧変化で生じた雲」が航跡に沿って延びたものであって、雲の存在可能な気象条件を満たしてさえいればずっと残る。従って「飛行機がいなかったから地震雲」ということはない。
また、風が強ければ歪んだり、あるいは湿度が高ければそこから次第に広がって帯状になったりもする。直線的で帯状の雲の幾許かは、恐らく飛行機雲だと思われる。
等間隔の雲
やや聞き慣れないと思うが、雲の中に波状雲という分類がある。
Google:波状雲
横から見た波状のものも混じっているが、概ね「等間隔に並んだ雲」が確認できると思う。海に波が生じるように大気にも波があり、それが雲に影響して「波紋のような」等間隔の雲を生じる現象である。
この「波紋」は比較的小さければ曲線的な雲の列になり、非常に大きければほとんど直線的な列になるが、これが横に並んだ状態を見れば「平行な雲」に見えるし、また手前〜奥方向に延びていれば遠近感により「放射状の」雲に見える。
縦になった雲
基本的に、雲は縦に延びることはない。あるとすれば地上近くから雲の限界高度あたりまで延びる積乱雲、つまり入道雲の類か、あるいは竜巻が生じた時ぐらいだろう。しかし、縦に見える雲はある。単に直線的な雲を手前〜奥方向に見ればいいのだ。
放射状雲が実は平行な雲であるように、水平な直線状の雲が縦に見えるだけで、実は縦になっているわけではない。
雲というのは人間の把握できるスケールを越えた現象であるため、その距離や高度を正確に把握することはほとんど不可能で、「遠近感によって手前の方が広がって見える」水平な雲が、「縦になっていて上の方が太い」雲に見えてしまうことは多い。
先程例外として出した入道雲ですら、実際には縦長の雲ではない。303 入道雲に図解があるように、地平線の向こうまで水平に広がった雲が縦であるかのように見えている、というのが実態だ。
不動の雲
……あれ?どの形態についても普通の雲で説明ができてしまった。特に「地震雲ならではの特徴」と言えるものがないとしたら、地震雲についてどうやって見分けたらいいんだろうか。
実は、あちこちで地震雲についてよく知っているという人たちに見分け方を訊いてみたことがあるのだが、上記のような「雲の形」についての説明の他に、「風で動かない雲」というのが多く見られた。「他の雲が風で動いている中、不動の雲」ということらしい。
なるほど、地震の前兆として大地から何らかの作用が生じた結果が地震雲なのだとすれば、その作用が働いている限りは雲がそこに留まる、というのはもっともらしく思える。
しかし、ちょっと考えてみて頂きたい:その作用は雲を発生させるものではあるが固定するものではない筈だ。どんな原因で生じた雲であっても、風があれば動く。発生原因が変わらずそこにあることで風で動いても新たに雲を生じるということはあるかも知れないが、動かなくなるわけではないから、その場合は「先端は動かず風下に向かって広がる」のではないだろうか。
ところで、上でも説明したように雲の距離や高さの把握は難しい。高さは雲の種類によって大体決まっているが、逆に言えば種類を見分けられなければ高度もわからない。
また空気は層状を為し、それぞれに流れの向きや速さが変わる。つまり、「同じ高度にある近くの雲が流れているのにひとつだけ流されない」のであればそれは特殊な雲だが、単に「違う高度の雲が動いただけ」であれば何も不思議なことではない。
さらに言えば、「ずっと動かない雲」について、何時間/何日もの間定期的に観測したという事例はない。単に「10分ぐらいの間に動かなかった」とか「2回見掛けたけど動いてなかった」程度の証言があるだけだ。
距離を認識できないスケールの中で、実際には流れて動いていたとしても、それが目視だけで把握できるだろうか。まして短時間のうちにほとんど動いていなかったとして、それは「ずっと動かない雲」だと言えるだろうか。せめて三脚を立てて10分ごとに半日撮影し続けた写真を重ね合わせて全く変わっていないことを示すなどの検証が必要ではないかと思う。
地震雲なんてものはない
つまり、そういうことだ。地震雲というのは純然たる思い込みの産物である。「普通の雲」と見分けが付かず、地震との一意な関係性もなく、ただ「見た後に地震があった」という事実のみを以て作り出された幻想。
当たり前だが、「Aの後にBがあった」だけではAがBの前兆であることにはならない。とりわけ日本では地震のない日など存在しないわけで、別に雲でなくとも大体の事象は数日以内の地震を伴うことになる。
不思議なことに、地震との関係が立証されない──というかむしろ「関係ないことが半ば立証されている」──にも関わらず、「地震雲の生じるメカニズム」についての仮説がまことしやかに囁かれている。いかにもっともらしい仕組みを考えても、実際に関係が立証できないなら何の意味もないのだが。