使うために行動する

良い道具には人を突き動かす魅力がある。本来ならば目的が先にあって、それを満足に実行するために道具があるのだが、道具を使うことを目的として行動を定める気になる、そんな魅力だ。
それなりに値の張る道具はすべからくそのような魅力を持たねばならない。類似商品が溢れ、商品特性を打ち出し難い昨今、目的先行で買いに行っても「なんとなく安いもの」「無難そうなもの」「慣れた道具の後継商品」のような、惰性を中心動機とした購入になりがちだ。しかし本当に「良い商品」ならば、必要性がなくても購買意欲をそそり、忽ち利用のための行動を計画してしまう。
そんな経験はないだろうか?モバイルPCを買ったので意味もなく持って外出したり、新しいデジカメを買ったので撮影旅行に出たり、車を買い替えたのでドライヴしたり。


ソフトウェアやWebサーヴィスにだって同様の魅力が必要だ。ゲームのような娯楽なんてその最たるもので、目的のための道具ではなく道具そのものを楽しむための道具だから、突き動かされる魅力が不可欠なのだけれど、純粋に道具であるWebサーヴィスではどうしても欠けがちな視点なのかも知れない。細かな粗を潰して使い勝手を向上するのも勿論重要なのだけれど、それ以前に根本的な部分で「使うために行動したくなるサーヴィスか」というところを問い直すべきだ。


auRun&Walkを1年ほど使ってきた。普段の利用範囲なんて通勤時の駅←→会社の道程を記録するぐらいのもの、代わり映えせず記録する理由もないのだが、それでもわざわざ使うのは、これを使って記録することそのものに楽しみを見出しているからだ。
時に自転車で通勤してみるのも半分はRun&Walkに長距離を記録しておきたいからだが、もう半分は「愛車を走らせたい」という欲求による。
はてなを「様々な機能を使ってみること」「発見した不具合や感じた要望を運営に伝え改善を促すこと」自体を目的に長年使っているが、今改めて、それだけの魅力があるのかを問い直すべきかも知れないと思う。継続的サーヴィスは商品とちがい、新品への置き換えによるリフレッシュがなくマンネリ化し易い傾向がある。大規模なリニューアルをやれというのではないが、当初の新鮮さを失って尚「使うために行動する」魅力を持ち得るかどうか。
それは使い易さ、判り易さのような部分に顕れるのではない。極論を言えば、むしろ「使い手を選ぶ」ほど取っ付き難いぐらいの方が魅力的であるとすら言える。何かを切り捨ててでも貫く設計思想の故に表出してしまう特殊性にこそ魅力は宿るのではなかろうか。